木曽路はすべて山の中ー日本遺産認定

日本遺産木曽路を巡る旅のために

 平成28年4月25日「木曽路はすべて山の中」は文化庁から日本遺産に認定されました。
 


 番号 文化財の名称 
(指定等の状況)
 文化財の
所在地
写真  ストーリーの中の位置づけ
 1 塩尻市奈良井
(国重伝建)
塩尻市 
  中山道の難所の一つ、鳥居峠の北麓にあたる重要な宿場町であり、檜物細工や漆器、塗櫛等の手工業が盛んで、現在も町のつくりや家並みは当時の面影を色濃く残す。 
2  塩尻市木曽平沢 
(国重伝建)
塩尻市    檜物細工や漆器の生産によって生計を立てる産業の町。店舗をはじめとして漆蔵等の作業場や職人の住まい等、漆器業にまつわる建物が建ち並ぶ。 
 3 曲物 
県知事指定伝統工芸品
塩尻市    木曽桧を木理に沿ってへぎ、熱湯浸漬により曲げ加工を行い、そば道具や茶道具等を作る。 
4  旧中村家住宅 
市有形
塩尻市     奈良井にある櫛問屋で、もと櫛職人であった中村利兵衛の住まい。お六櫛等を商った。 
 5 「蕎麦切り発祥の地」
未指定
塩尻市     本山宿に建立。木曽谷が蕎麦の特産地であることを示している。  
 6 木曽塗の製作用具及び製品
国有形民俗
塩尻市    木曽漆器館では、何世代にもわたって受け継がれ磨き抜かれた伝統技術の技を職人による実演で見ることができ、塗り箸の体験ができる。
 7 木祖村史跡 鳥居峠 
村史跡名勝天然記念物
木祖村     松尾芭蕉が訪れ「ひばりより上にやすろう峠かな」の句碑がある。御嶽遥拝所があり、霊神碑や神像が立ち並ぶ。
 8 鳥居峠のトチノキ群 
村史跡名勝天然記念物
木祖村      松尾芭蕉が訪れ「木曽の栃うき世の人の土産かな」の句碑がある。樹洞に入れた子が元気に育った言い伝えから、木の皮を煎じて飲めば子宝に恵まれるという言い伝えがある。
 9 お六櫛の技法 
県選択無形文化財
木祖村     お六櫛の名の起りは、頭痛もちのお六が、 家の近くのミネバリの樹を櫛にして髪を梳いたことにより全快した伝説による。現在の主生産地が藪原である。実演見学や体験もできる。
 10 水木沢天然林・
(水木沢郷土の森 )
未指定
(現中部森林管理局との保存協定)
 木祖村    江戸時代、城や城下町を造るために木曽山の木が皆伐された後、僅かに残された木から自然に種が芽生え、現在の森が形成された。現在樹齢約550年の大さわらを始め、300年以上のヒノキやブナ、ミズナラ、トチノキなど針葉樹と広葉樹が混交する森林。 
(1)   木曽地域と木年貢
長野県南西部、塩尻市から木曽郡にかけての木曽地域は、総面積1836㎢と小さな県に匹敵する広さを有する。遥かに仰ぐ御嶽山は古より魂が還る霊山として人々の信仰をあつめ、その裾野を流れる木曽川は檜の山林と奇岩の渓谷を映し木曽川沿いに街道木曽路が続く。木曽路を包む木曽谷の約9割は森林地帯である。豊臣秀吉の時代、木曽地域は、狭い耕地の作物だけでは領民を養えない地域として、領民は米年貢の代わりに木年貢が課され、領民には木年貢を納めることで米が支給された。木年貢は米が経済の基礎であった江戸時代になっても踏襲され、森林資源が木曽地域の人々の暮らしを支えていた 
11  木曽馬
県天然記念物 
木曽町
南木曽町 
   北海道の道産子や宮崎県の御崎馬と並ぶ日本在来馬種で開田高原に「木曽馬の里」がある。
南木曽町に伝わる五穀豊穣に感謝する「田立の花馬祭」では木曽馬が集落を練り歩く。
(3)木曽領民のくらしを支えた地場産業
 森林保護政策により山での採集を制限された木曽領民には、木曽の風土に根ざした地場産品の生産が奨励された。
 木曽代官4代目山村良豊は、  奥州から良馬の南部馬を買い入れ、木曽地域の風土に合う山坂に強い木曽馬に改良して、農民に飼育させることを奨励した。また、禁伐を課す代わりに領民の既得権として藩から村に支給される御免白木(使用が許可された材木を割って半製品にした材料)を利用しての曲げ物、漆器、お六櫛などの工芸品や木材加工、養蚕、生糸業、さらに御嶽山修験者から地元の人々に伝授された山野の薬草の製薬技術による「百草」 製品などを地場産業として積極的に奨励した。地場産品と整備の進んだ中山道の流通経済を活かして産業振興を図ったのである。
 木曽馬は、性格がおとなしく小型であるため女性でも世話できる農耕馬であり、馬市で売り買いされるだけでなく、領民の農耕・運輸にも大いに役立ち、江戸時代後期には領内に数千頭の木曽馬が飼育されていた。また、陶器に比べ軽く壊れにくい木工品や漆を施し耐久性を高めた漆工品は、木曽路を辿り全国に広まった。
 こうして発展した木曽谷の地場産業は、江戸時代中期以降、領民のくらしを支えた。
 12 山村代官屋敷 
町建造物
木曽町    江戸時代、木曽谷に地場産業を奨励した代官山村家の屋敷。山村家は約280年間、木曽谷の代官を務めた。 
 13 福島関所跡 
国史跡
 木曽町    日本三大馬市が開かれていた木曽福島にある関所。木曽馬はこの地で売り買いされていた。 
14  県宝山下家 
県宝
木曽町     木曽馬馬主で知られる山下家は、馬主でたくさんの馬を所有していて農家に貸し与えていた。農家は、仔馬を育てることでも収入を得ていた。 
 15 木曽御嶽山霊神碑群 
未指定
木曽町 
王滝村 
  御嶽講の人々により死後魂が御嶽に還るよう願って建てられた石碑群 
 16 らっぽしょ祭り 
町指定無形
木曽町     本来は山吹山麓の徳音寺集落の子供たちのお盆行事で、木曽馬に乗った木曽義仲の武者も町を練り歩く。
 17 木曽踊りと木曽節 
町指定無形
木曽町     全国に知られる木曽踊りは、木曽義仲の供養のために行われるが、木曽節は「おんたけ節」に筏師の労働歌「なかのりさん節」などを取り入れたもの。
 18 高瀬家 
未指定
木曽町    「木曽路はすべて山の中である」で有名な文豪島崎藤村の姉である園の嫁ぎ先で、 高瀬家は、山村代官の家臣で代々関所番を務めた。
(4)-2
 近代に入り、御嶽山麓の森林鉄道に木曽檜を満載した列車が走る。木曽谷の人々が守り続けた木曽檜は、再び木曽の代名詞として蘇った。そして、農家や職人町、宿場など木曽谷のあらゆる人々がそれぞれの生業を活かして発展させた地場産業は、全国に名高い在来馬や伝統工芸品などに結実した。
 文豪島崎藤村の『夜明け前』は「木曽路はすべて山の中」で始まる。木曽谷の山と木曽路は、木曽谷の人々の「山を守り、山に生きる」くらしを育んだ。そのくらしは、森林の保護、木曽路や宿場の保存、伝統工芸品の伝承を大切に思う心を培い、いまも木曽谷に息づいている。    
 19 御嶽神社里宮 
未指定
木曽町
王滝村 
  室町時代後期頃から信仰を集め、江戸時代には御嶽山頂に祀られた御嶽山蔵王大権現の里社として全国にその信仰が広まった。 
 20 清滝 
未指定
王滝村    江戸時代、水行だけの軽精進でも御嶽登拝ができるようになり、庶民の信仰も集め、木曽谷を訪れる人を増加させた。 
 21 新滝 
未指定
王滝村      清滝と同じく、御嶽山修験者が修行する場所で、木曽谷を訪れる人を増加させた。滝裏に小さな岩祠があり、滝を裏側から見ることができるので裏見滝とも呼ばれる。
 22 百草元祖の碑 
未指定
王滝村     「百草」は三岳黒沢口を開いた尾張の行者・覚明と王滝口を開いた武蔵国の行者・ 普寛によって伝授されたといわれ、御嶽信仰の普及とともに、「御神薬」として行者たちによって全国の信者に配布されるようになったと伝えられる。
 23 王滝森林鉄道 
未指定
王滝村 
上松町 
  木曽森林鉄道の中核をなした森林鉄道で、今も観光用に樹齢300年の天然林が茂る森林浴発祥の赤沢自然休養林の中を走り抜けている。なお、森林鉄道は木曽谷一帯に建設された。 
 24 寝覚の床 
国指定名勝
上松町    木曽八景のひとつ。木曽路を通る旅人が訪れ、数々の歌を詠んだ。松尾芭蕉も訪れ「ひる顔にひる寝せふもの床の山」 の句碑がある。奇岩の渓谷美の景観と浦島太郎伝説で知られる。
 25 木曽の桟 
県指定名勝
上松町     木曽八景のひとつ。松尾芭蕉が訪れ「かけはしや命をからむ蔦かつら」の句碑がある。 
 26 赤沢自然休養林 
未指定
上松町     古来から檜などの良質な木材を産出し、伊勢神宮の式年遷宮の際にはここから選定された御神木が用いられる。森林が保護された森林浴発祥の地。 
 27 白山神社 
国重文
大桑村    元弘4年に建立され、白山神社、熊野神社、伊豆神社、蔵王神社の4社殿が鎮座し、現存する社殿建築としては信濃最古のもの。 
    (2)木材資源の増大による森林資源の枯渇と厳しい森林保護政策
「木曽のナアーなかのりさん木曽のおんたけナンチャラホイ」と歌われる木曽節の「なかのりさん」とは檜を筏に組んで川を下る筏師のことだという。木曽檜は、木曽谷の代名詞ともいえる産業である。木目が緻密で優良な木曽檜は、鎌倉時代に造られた木曽谷最古の神社である白山神社など、古来神社仏閣建築などに重用され、約330年前から、伊勢神宮が20年に1度、お宮を新たに建て替える式年遷宮の際に用いる御神木としても使われ続けている。
 この名木に危機が訪れたのは、江戸時代初期のことであった。戦国時代が終わり、安土・桃山時代以降、新たな町づくりが進められると、城郭・社寺建築の木材需要が急増し、全国的な森林乱伐をもたらした。江戸幕府から良材の無尽蔵の宝庫と目された木曽谷は、江戸・駿府・名古屋の城と城下町などの建設のために膨大な用材が伐り出され、深刻な森林資源の枯渇に陥ったのである。
 木曽谷を所管する尾張藩は、江戸時代初期から木曽檜などの伐木への制限に乗り出した。この制限は、江戸時代中期には木曽谷のほぼ全域に及び、「木一本首一つ、枝一本腕一つ」といわれたヒノキなど木曽五木を伐れば死罪という徹底した森林保護となり、木年貢も廃止された。この施策は、山林乱伐を防ぐ森林保護政策の先駆であったが、森林資源でくらしを立てていた木曽の領民にとっては厳しい経済統制となった。
 28 定勝寺  本堂・庫裏・山門
国重文
大桑村    定勝寺で金永という人物が、そば切りを振舞ったという。日本で一番古い文献があり、木曽谷が蕎麦の特産地であることを示している。 
 29 阿寺渓谷 
未指定
大桑村     ヒノキ・サワラ・ネズコ・アスナロ・コウヤマキの木曽五木に囲まれた渓谷で、美しい木曽檜の林がある。
 30 妻籠宿保存地区 
国重伝建
南木曽町     江戸から42番目の宿場として慶長6年(1601)に制定され、江戸期を通じて宿駅としての機能を果たしてきた。宿場景観地区は、江戸期の趣を今も色濃く残した宿場町。
 31 林家住宅 
国重文
南木曽町     妻籠宿で、代々、脇本陣・問屋を勤めてきた。将軍家茂の御簾中として 御降嫁した皇女和宮が、中山道ご通行の折に脇本陣で御小休した。
 32  中山道 
国史跡
 南木曽町    中山道は、慶長7年(1602)に徳川家康により五街道の一つとして、江戸から京都までの重要な街道として整備された。馬籠峠から根の上峠までの総延長19,6㎞のうち、中山道の旧態が良く残っている8,6㎞が史跡 
    (4)賑わう宿場の形成と地場産品の流通
 木曽路は、鎌倉・室町時代までは信濃と京都・伊勢などを結ぶ重要な通路として発展していたが、江戸時代には、五街道の一つ中山道の街道整備とともに木曽11宿といわれる宿場が発達した。寝覚の床・桟・鳥居峠から遥拝する御嶽山など木曽谷の情景は、訪れた多くの俳人や浮世絵師などを惹きつけ、詩歌や版画となって世に知られるようになった。
 宿場は訪れる人々を迎えることによる経済的利益の他に、木曽馬や木工品など地場産品の需要をもたらす生産・販売・運輸の拠点として賑わい、木曽谷の経済を牽引した。
 奈良井宿は、幕府関係の公用旅行者や参勤交代の大名通行のために人馬を常備し、輸送・通信などの業務を負う代わりに一般の通行に対する独占的な稼ぎが許され、多くの旅行者の宿泊・休息のための旅籠や茶屋などが設けられていた。江戸時代中期には、宿場の規模は南北約1kmに及び、「奈良井千軒」と謳われ、常時2000人以上が働いていた。これは、宿場に職人町も構えていたためであり、奈良井宿は、木曽谷住民に許されていた御免白木6,000駄のうち1500駄(1駄は馬1頭が運ぶ荷物の量、約135㎏)もの材料が割り当てられ、檜物細工や塗物、塗櫛などを多く産し、近くの漆工町木曽平沢とともに地場産業の木工品や漆工品の名産地になった。
 妻籠宿は室町時代、木曽義仲の子孫義昌が木曽谷の南の備えとして整備した山城妻籠城の麓に形成された。江戸時代中期、規模は南北約250m程と11宿中最小ではあるが、人口は400人を超えた。これは、31軒もの旅籠と地場産業に従事する人口が多かったことによる。江戸時代初期には宿場近くに木地師と呼ばれる「ろくろ細工」職人の集落があり、木工品の産地であったが、江戸時代中期、森林保護政策が強化されると村の庄屋が尾張藩に請願して檜物細工の御免白木の許可を得て網笠の地場産業をおこした。農家の女性たちの手作業による”蘭”桧笠は、旅行者や僧侶の移動、農作業、茶摘み、舟下り、漁業、林業、土木など広範囲の用途に晴雨にかかわらず着用されたため、木曽路を通じて全国に広まった。
 江戸時代中期、街道整備がすすみ庶民の御嶽登山が盛んになると、全国から多くの御嶽山信仰の人々が訪れた。訪れた信者の数は、登山道沿いなどに建てられた霊神碑が数万基にのぼることからもその規模の大きさがわかる。御嶽山と木曽路を行き来する人々によって木曽谷の流通はさらに促進された。室町時代以来、御嶽山麓の修験者が携帯したといわれる「そば」は御嶽山麓開田の特産となり登拝のために訪れた人々などによって木曽谷の地場産品や薬「百草」などとともに宿場から木曽路を辿り全国に広められた。
 
 33 妻籠城跡 
県史跡
南木曽町      戦国時代に整備された城跡。慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いの時も妻籠城に軍勢が入っている。帯曲輪や空堀などは原型をよくとどめている。
 34 一石栃立場茶屋 
未指定
南木曽町     中山道沿いにある一石栃は、古くから旅人が疲れをいやす休憩地として栄えた所。現存する建物で無料休憩所として旅する人を温かくもてなす。 
 35 南木曽ろくろ工芸 
国指定伝統的工芸品
南木曽町     厚い板や丸太をろくろで回転させながらカンナで挽いて形を削り出す伝統技術。「木地師の里」で実演を見ることができる。 
36  蘭桧笠 
県指定伝統的工芸品
南木曽町    寛文2年(1662年)飛騨の落辺から来た人によって技法が伝えられた。(桧を薄く削って細長い短冊状にした。)「ひで」で編まれた手作りの笠。「笠の家」で実演を見ることができる。 
 37 手打ちそば 
県選択
無形民俗文化財
木曽谷全域    御嶽山修験者に所縁のある「そば」は開田高原特産となった。木曽谷は「そば切り」の草分けの地といわれる。
38  すんき漬け 
県選択
無形民俗文化財
木曽町
王滝村
木祖村
上松町
大桑村
塩尻市
  御嶽山麓が海から遠く、塩の調達が難しいため、木曽町などでかぶをつけて発酵させ、塩を使わず酸味を旨味として食べる食文化がうまれた。芭蕉一門も食し「木曽の酢茎に春も暮れつつ」と門人が詠んだ。 そばと合わせて食べる「すんきそば」や「とうじそば」は、木曽谷の冬の風物詩になっている。


参考文献 
 平成28年4月26日付中日新聞
報道発表文化庁資料