菅原道真の漢詩

月夜に梅華を見る 菅原道真が11歳の時詠む(仁寿3年)855年。五言絶句。文徳天皇の斉衡2年(855)11歳の時、厳父菅原是善が文章生島田忠臣を道真の詩作の指導者に命じ、その指導を受けて道真が初めて作った詩。そのため詩集「菅家文草」の首(とっぷ)に載せられている。
月夜見梅華 月夜に梅華を見る
干時年十一。厳君令田進士
試之。予始言詩。故載篇首。
時に年十一。厳君、田進士をして試みせしむ。予始めて詩を言う。故に篇首に載す。
月耀如晴雪 月耀(げつよう)は晴雪(せいせつ)の如く 月の耀きは晴れたる雪の如し
月耀:月の照り輝くこと
梅花似照星 梅花は照星(しょうせい)似(ごと)し 梅花は照れる星に似たり
可憐金鏡転 憐れぶべし金鏡の転(めぐ)りて 可憐 :感動を表す言葉
金鏡:月を鏡にたとえたもの
転:移動すること
庭上玉房馨 庭上に玉房の馨れることを 玉房:ここでは梅の花のこと 
  耀く月の光は、まるで晴れた日の雪のように明らかに澄み、
月下の夜の梅の花は、照る星のよう。
鏡の如き月が移動してゆくにつれて、
庭園の梅の花ぶさが香ってくるのは、ああえもいわれぬことだ
初めての詩作に年齢を注記することは「白詩」(白居易の詩をいう)の「江南送北客、因慿寄徐州兄弟書」の自注に「時に年十五」とあり、道真もそれにならっている。
  
臘月独興 「臘月すなわち十二月のある日、一人心に感じ思ったこと。」という題の道真十四歳の時の作
(天安2年)858年(菅家文草・七律)臘月:年の暮れ
玄冬律迫正堪嗟 玄冬律迫(せま)り正に嗟(なげ)くに堪え 玄冬:冬の異称。
律:時のリズム
起聯:律詩の第一・二句
還喜向春不敢賖 還って喜ぶ春に向かはんとして敢えて賖(はる)かならざることを  
欲尽寒光休幾処 尽きなと欲する寒光幾ばくの処にか休(や)まん 頷聯(がんれん):律詩の第三・四句 
将来暖気宿誰家 将に来たらんとする暖気誰が家にか宿らん  
氷封水面聞無浪 氷は水面を封じて聞くに浪無し 頸聯(けいれん):律詩の第五・六句  
雪点林頭見有花 雪は林頭に点じて見るに花有り   
可恨未知勤学業 恨むべし未だ学業に勤むることを知らずして 尾聯(びれん)  
書斎窓下過年華 書斎窓下年華を過ぐさんことを 年華:年月
  刻々と抗し難く押し迫ってくるような時の流れによって、いま冬が終わろうとしている。また今年も過ぎ去って往くのかと思えば、それはまさに嗟くに値することだ。
しかしながら、それだけいっそう春が近づいているのだと思うと、嘆きの下から胸をふくらませてくる期待とよろこびもある。
ところで春になったら、このつめたい冬の光はどこへ行って休息するのだろう
それに、近づいて来ている春の暖かな空気は、いまはどこに留まっているのだろう。
春が近づいているので、もう池の氷も融けて波打っているのではないかと思って窓の外に眼をやってみると、池はまだ氷にとざされたまま、ひっそりとした冬の静けさに包まれていた。
氷は水面に張りつめ浪の音一つしない。
雪は林のこずえに降りかかって花が咲いたように見える。
学業に専念することなく、今年もまた過ぎてゆくことを歎いたものですが、
こんなふうに書斎の窓の外なんかぼんやり眺めていてはだめなんだ
  
野大夫(やたいふ)を傷む 古調七言五韻 野大夫すなわち小野美材(よしき)という人の訃報に接して詠んだ詩(延喜2年)902年
道真が大宰府に左遷されてから詠んだ詩(菅家後集)
我今遠傷野大夫 我今遠く野大夫を傷む 大夫:五位以上の官人に対する呼称
不親不疎不門徒 親しきにもあらず疎きにもあらず門徒にもあらず  
聞昔老農歎農廃 聞く昔老農の農の廃るることを歎きしを  
詩人亦歎道荒蕪 詩人も亦歎く道の荒蕪(こうぶ)せんことを 荒蕪:土地が荒れて、雑草の茂るがままになっていること
沈思雖非入神妙 沈思神妙に入るに非ずと雖も 沈思:深く考え込むこと。いろいろと思案すること。
如大夫者二三無 大夫が如きは二三(ふたりみたり)も無からん  
紀相公応煩劇務 紀相公(きしょうこう)は応に劇務に煩うべし 劇務:非常に忙しいつとめ
自余時輩惣鴻儒 自余の自輩は惣(み)な鴻儒(こうじゅ) 自余:このほか、そのほか
時輩:その当時の人々。その時の仲間
鴻儒:儒教の大学者。転じて、学問の深い人。
況復真行草書勢 況や復(また)真行草書(しんぎょうそうしょ)の勢いの 真行草:漢字の書体の真書(楷書)・行書・草書のこと。
絶而不継痛哉乎 耐えて継ぐものあらざるをや痛い哉乎(かな)  
  私はいま大宰府にあって、遠く野大夫の死を傷む
それは私が彼と格別親しかったからではない。彼は私の門人でもなかった。
ただ、かつて私は、ある老農が農業の荒廃を(すなわち自己の存在基盤の消失を)歎くのを聞いたことがあるのだが、
いま、まさにあの時の農夫のように、私もまた詩人として歎かずにはいられないのだ、野大夫の死によって、詩の道がいよいよ荒廃していくであろうことを。
(彼は即吟型の詩人で)その詩は深く思いを詩境に沈潜させて神妙の域にまで達するというふうではなかったが、
しかし彼ほどの詩人はほかにもうほとんどいないのだから。
ただ一人、紀長谷雄がいるが、彼は参議の劇務に忙殺されていて(相公は参議の唐名)詩を詠む暇もないだろう。
そのほかの、いま朝廷で幅を利かせている輩は鴻儒ばかり。
まして野大夫の真書(楷書)・行書・草書いずれにおいても傑出していたあの見事な筆勢にいたっては、
絶えて継ぐ者がいない。痛いかな!
  
平安新京をことほぐ七言絶句 新京楽。平安楽土。万年春というリフレインをつけて踏歌の際に歌われた。(延暦14年)
山城顕楽旧来伝    
帝宅新成最可憐    
郊野道平千里望    
山河檀美四周連     
  この山城の顕かな楽土は、遠い昔からここにあったのだが、
今しも帝都がここに新成されたことは、まことに慶ばしいことである。
郊外へと道は平らかに延びて千里のかなたまで望るかされ、
山河がその美を擅いままにして四周に連なっている。
   
沖襟乃眷八方中    
不日爰開億載宮    
壮麗裁規伝不朽    
平安作号験無窮    
  (理想の帝都を探し求めておられた)帝は沖襟(おおみこころ)もて八方を眷(みわた)されて、
幾日も経ずして爰(ここ)に億載(とわ)の宮居を開かれた。
制度文物が壮麗に備わったこの都は不朽に伝わり、
平安の号(な)にそむかぬことを無窮に験(あか)し続けるであろう。
 
弾琴を習うことを停む 貞観12年ころ。「琴を弾くを習ふを停む」という七言律詩。(「菅家文草」巻一)
停習弾琴 弾琴を習うを停む
師について習っていた琴の練習をやめる意。いっこうに上達しない琴の弾奏を断念し、菅原の家の家学である文章道に専念しようという。貞観12年(870年)道真26歳、文章得業生(もんじょうとくごうしょう)及第の頃の作と推定される。
琴(きん)は中国渡来の七弦の弦楽器で、中国では君子修養の具として重要視され、日本でも当初盛んに演奏されたが、平安時代後期には次第に衰退した。
偏信琴書学者資 偏(ひと)えに信ず琴と書とは学者の資(たすけ)なりと 偏信:ものごとの一面だけをかたよって信じること
琴書:琴と書物。君子が身辺に置くべきものの代表とされた。 
三余窓下七条糸 三余(さんよ)の窓の下七条の糸 三余(さんよ)は、董遇(とうぐう)という人が、生活苦のために学問する時間がないと訴えた弟子に、「歳の余りの冬・日の余りの夜・時の余りの雨天の三余を勉学に当てよ」と助言した故事による。(三国志)
専心不利徒尋譜 専心すれど利あらず徒(いたずら)に譜を尋ぬ 不利:実績をあげられず、うまくいかない状態を言う。 
用手多迷数問師 手を用いたれど迷うこと多く数(しばしば)師に問う  
断峡都無秋水韻 断峡(だんきょう)都(すべ)て秋水の韻(ひびき)無く 断峡:切り立った峡谷、断崖の意
都無:まったくないの意
秋水:秋の水 
寒烏未有夜啼悲 寒烏(かんう)未だ夜啼の悲しび有らず 寒烏:冬のからす。
「寒烏」「夜啼」は楽譜の琴曲「烏夜啼」をふまえて言う 
知音皆道空消日 知音は皆道(い)う空しく日を消すと 知音:琴の名手であった伯牙が、自分の音色をよく理解してくれた親友の鐘子期の死後、弦を絶って演奏をやめた故事による語 
豈若家風便詠詩 豈(あ)に家風の詩を詠ずるに便あるに若(し)かめやも 豈若:どうして~と比べられようか比較にもならない、の意
家風:その家のならわし。ここは菅原の家が代々、紀伝道・文章道の学問を家業にしてきたことを言う。  
   琴を弾くことと書物を読むことは学者のたすけとなることだと、私はひたすら信じていた。
そして暇さえあれば、学問をするはずの書斎の窓辺で、七絃の琴をまさぐってばかり
専心してがんばってもうまく演奏できず、むやみに楽譜に頼る状態。
手を動かしても迷うことが多く、しばしば先生に質問するありさま
切り立った峡谷を思わせる曲を弾いても、秋の水のような澄み切った響きはまったくない。
「烏夜啼」曲を奏でても、冬の夜のからすの声のような悲哀の情はとても表現できない
音楽をよく知る知人はみな言う、これではむだに時間を浪費するだけ、
菅原家代々の家業である学問は詩作にも役立って重要だが、それと比べれば、上達しない琴の練習など問題にもならない、
 
雪中早衙 雪中早衙(せっちゅうそうが)  早衙:官庁の朝の礼式、朝礼。
衙:役所
雪中早衙:雪の降る中を朝礼に行くこと。
貞観18年頃の作。
風送宮鐘繞漏聞 風は宮鐘(きゅうしょう)を送りて暁漏(ぎょうろう)聞こゆ  
催行路上雪紛紛 行(ゆき)を催す路上に雪紛紛(ふんぶん)たり  
稱身着得裘三尺 身に称(かな)いて着(き)ること得たり裘(かわごろも)三尺 身:身のたけの意。 
宜口温来酒二分 口に宜(かな)いて温め来(きた)る酒二分(にぶん) 二分:十文の二の意。わずかな酒の分量。 
怪問寒童懐軟絮 怪しびて問う寒童(かんどう)の軟絮(なんじょ)を懐(いだ)くかと 問:他人に問うことであるが、意味は軽く、怪しむの意に近い。
懐:童子が袖などに雪をつけている様。  
驚看疲馬蹈浮雲 驚きて看る疲馬(ひば)の浮雲(ふうん)を蹈むかと 蹈:疲れた馬が雪の中をフラフラあゆむ様
衙頭未有須臾息 衙頭(がとう)未だ須臾(しばら)くも息(いこ)うこと有らず 未:「不」に同じく否定の助字  
呵手千廻著案文 呵手千廻(かしゅちたび)案文を著(しる)す 呵手:息で手を暖めること
呵:「訶」に同じく、詰問する、怒る、責めるの意 。ここは、手に息を強く吐きかけること 
  風につれて聞こえてくる宮中の鐘の音は明けがたの水時計(漏刻)の時刻を告げ
出勤をせきたてる道路の上には、雪が乱れ飛ぶ
自分の身のたけにピッタリとふさわしく着用したのは三尺の毛皮のころも。
口にほどよくなじんで体を暖めてくれるのはほんの少しばかりの酒
寒そうにしている童子を見ては柳のやわらかな白い綿の花を身に抱いているのではないかと怪しんで尋ねてみたくなる。
雪の路に疲れた馬を見ては、空に浮かんだ白い雲を踏んでいるのではなかろうかとハッと驚いて見る
役所に着けばしばらくの休息もなく、こごえた手を何度も吐く息で暖めながら、公文書の草案を記すのだ
 
夢阿満 阿満(あまろ)を夢みる
道真は二人の男子を相次いで失う不幸に遭遇し悲痛な詩を書く。(元慶7年)883年(菅家文草・七古)詩題は、死んだわが子の「まろ」を夢に見るの意。
阿満亡来夜不眠 阿満亡じてより来のかた夜も眠らず 阿:親愛の情を示す接辞。中国で一般の人、特に幼い子の呼び名の前などに親しみを込めてつける語。
満:男子の通称で、通常は「麻呂」である。日本で男性の名前に多く用いるが、ここは幼い男の子の通称として用いたもの。
阿満:中国風の表現
来:~以来の意 
偶眠夢遇涙漣漣 偶たま眠れば夢に遇(あ)いて涕漣漣(れんれん)たり  
身長去夏余三尺 身の長(たけ)去(い)にし夏は三尺に余(あま)れり 三尺:約九十センチあまり。 
歯立今春可七年 歯(よわい)立ちて今(ことし)の春は七年なるべし 歯:年齢。
可:約~くらいの意。 
従事請知人子道 事に従いて人の子の道を知らんことを請(こ)ふ 従事:ここでは学問に従事する意。
人子道:菅原家の子としての道の意と考えられる。
読書暗誦帝京篇 書を読みて帝京(ていけい)篇を暗誦す 帝京篇:唐の駱賓王の作った長編の古詩。
帝京(ていけい)篇:初唐の代表的詩人である駱賓王の作品。
 初讀賓王古意篇 初め賓王(ひんおう)が古意(こい)篇を讀みたりき
薬治沈痛纔旬日 薬の沈痛を治むること纔(わず)かに旬日 旬日:十日間
風引遊魂是九泉 風の遊魂を引く是れ九泉 遊魂:魂が魄(はく)を離れる。死ぬこと。 
九泉:大地の底。
風引:風が吹いて運んで行くこと。
爾後怨神兼怨仏 それより後は神を怨み兼ねて仏を怨みたり  
当初無地又無天 当初(そのかみ)地無く又天も無かりき 無地又無天:「天地無きが若し」などと同じく、悲しみの甚だしさを言う表現。 
看吾両膝多嘲弄 吾が両(ふた)つの膝を看て嘲弄(てうろう)すること多し 嘲弄:あざけりからかうこと
悼汝同胞共葬鮮 悼(いた)まくは汝が同胞(はらから)のともに鮮(わかじに)せるを葬れることを 同胞:同母の兄弟。
鮮:若死にすることを言う。
 阿滿已後、小弟次夭 阿滿已(より)後、小(わか)き弟次いで夭(えう)せるなり
韋誕含珠悲老蚌 韋誕(いたん)珠を含みて老蚌(ろうぼう)悲しむ 韋康・韋誕の兄弟が二人ともすぐれていたので、孔融という人が二人の父親に「あなたのような年老いた蚌(はまぐり)からこのような二つの真珠が取れようとは」と言ったという故事によって、韋康・韋誕の二人の兄弟にも比すべき(と親の目には思われた)わが子らを相次いで失った悲しみを言ったもの
蚌:蛤の一種。
老蚌(ろうぼう):大きな蛤。
荘周委蛻泣寒蝉 荘周が委蛻(いぜい)寒蝉(かんせん)泣く 荘周:中国戦国時代の思想家。荘子。
寒蝉(かんせん):秋に鳴く蝉。ヒグラシ・つくつくぼうしなど。
蛻:蝉の脱け殻
委蛻:天地から委託されたぬけがらの意。
那堪小妹呼名覓 那(な)んぞ堪えん小妹の名を呼びて覓(もと)むるに  
難忍阿嬢滅性憐 忍び難し阿嬢の性を滅して憐(あわ)れぶに 阿嬢:母を親しみ敬っていう語。母を言う六朝時代以来の俗語。 
始謂微微腸暫続 始は微微として腸の暫く続くと謂(おも)えりしに 微微:ここでは、わずかに、かすかにの意。腸暫続:もう少しで、悲しみのあまり腸がよじり切れる腸断の状態になる、その直前のさま。 
何因急急痛如煎 何に因りてか急急として痛きこと煎るが如き  
桑弧戸上加蓬矢 桑弧は戸上にありて蓬矢(ほうし)を加う 桑弧:桑の木で作った弓
桑弧蓬矢:《男子が生まれた時、桑の木で作った弓と蓬の矢で天地四方を射て、将来の雄飛を祝ったという「礼記」射義にみえる中国古代の風習から》男子が志を立てること
竹馬籬頭著葛鞭 竹馬は籬頭にありて葛鞭(かつべん)を著(つ)く  
庭駐戯栽花旧種 庭には駐(とど)む戯(たわぶ)れに花の旧き種を栽(う)えしを  
壁残学点字傍辺 壁には残す学びて字の傍辺に点ぜしを  
毎思言笑雖如在 言笑を思う毎(たび)に在るが如しと雖も  
希見起居惣惘然 起居を見んことを希(ねが)えば惣(す)べて惘然たり  
到処須弥迷百億 到れる処は須弥(しゅみ)百億に迷うらむ 須弥:須弥山。仏教で言う、世界の中心にある巨大な山。 
生時は世界暗三千 生まれむ時は世界三千暗からん 三千:仏教で言う三千世界のこと。無数の世界から構成されるこの世界全体の意。 
南無観自在菩薩 南無観自在菩薩 南無:本来は、帰依する意の梵語。祈祷や祈願の際に用いる。
観自在菩薩:観世音菩薩に同じ。 
擁護吾児坐大蓮 吾児を擁護して大蓮に坐せしめたまえ  
  阿満が死んでからずっと今まで夜も眠ることができない。
偶々眠ると夢に出てきて、夢の中でも涙を流し続けるのである。
身長は去年の夏三尺(約九十センチ)に余るほどにもなり、
年齢は今年七つになるところだった
勉学に従事すれば人の道の基本である孝について学びたいと言い、
書を読めば(長編の)帝京篇を暗誦してしまうような聡い子であった。
読み初めは賓王の「古意篇」だった
薬であの子の激しい痛みを和らげてやれたのはわずか十日
風があの子の体から遊離した魂を運び去ったのは九泉(よみ)の国。
それ以来私は神を怨み仏を怨み
当初はあまりの悲しみに呆然として天も地もないような思いだった。
我が両の膝の空虚を見てあざけりたくなるのは、
お前の弟までも相次いでなくなって、夭折した二児をいっしょに葬らねばならなかったから
阿満についで、その小さな弟も死んだ
韋康・韋誕の二人の兄弟にも比すべき(と親の目には思われた)わが子らを相次いで失った悲しみを言ったもの
子供は親のものではなく、天地から仮に委ねられた蝉の脱け殻のようなものという荘子の言葉を思っても、やはり子を失った親は泣かずにはいられない。
どうしてこの悲しみに堪えられよう、おまえの小さな妹が、(まだおまえが死んだということが理解できなくて)おまえの名を呼んで探し求めるとき。
まことに忍び難い、おまえの母親が、ほとんど命も堪え難げに嘆いているのを見るのは、
阿満(あまろ)が亡くなった直後は、悲しみのあまり腸が断ち切れそうだと言いながら、それでもまだ微微(わずか)につながっていた。
ところが、急に腸を煎るような激しい悲しみに襲われたのはいったい何によるか、
阿満の誕生祝の桑の木の弓と蓬の矢は、まだ戸口に懸けてある。
籬(まがき)にはまだ阿満(あまろ)が遊んでいた竹馬が、葛で作った鞭を添えて立てかけたままになっている。
庭には、あの子が戯れに植えた古い花の種が芽を出している。
壁には字を練習して傍らに訂正を加えたものが今も残っている。
それらを見ると、もうほとほと絶え難い悲しみに襲われた
あの子の言笑する様子は今もありありと目に浮かぶけれど
その立ち居振舞いを見ようと思うと、(あの子はもういないのだと気づいて)呆然とする。
阿満の亡魂は今ごろ、須弥山のほとりで無数の道に心細く迷っているのではないか。
そして無明の輪廻を脱しえず、父の知らない三千世界のどこかでまた生まれ変わるのだろうか。
南無観世音大菩薩
どうぞ吾子を守護して、極楽浄土の大きな蓮の上に座らせてやってください。

 
北堂餞宴 文章博士を解かれ讃岐の国の国守に任ぜられたとき大学寮の北堂(文章道の講堂)で行われた送別の宴で詠む(仁和2年)886年
我将南海飽風煙 我将に南海にて風煙に飽かむ 風煙:心が洗われるような美しい自然の風景を表す言葉 
更妬他人道左遷 更に妬(ねた)きは他人の左遷と道(い)わむことを  
倩憶分憂非祖業 倩(つら)つら憶(おも)うに分憂は祖業に非ず 分憂:天子の憂いを分かつの意で国守のこと
徘徊孔聖廟門前 徘徊す孔聖廟門(こうせいびょうもん)の前  
  私はこれから南海のほとりで、心ゆくまで自然を満喫できることだろう。
おまけにいまいましいのは、この讃岐守への転出を、人が左遷というであろうことだ
地方官は菅家の祖業ではない
大学寮にあった孔子聖廟の門前を去り難い思いで行きつ戻りつする。
  
讃岐の守に任ぜられた道真の詩作の頻度が秋になって増す。(仁和2年)(菅家文草・七律)
涯分浮沈更問誰 涯分浮沈(がいぶんふちん)更に誰にか問はん 涯分:自分にふさわしい境遇。
秋来暗倍客居悲 秋来暗に倍(ま)す客居の悲しみ 客居:客人として滞在すること。旅行者。
暗倍:かすかにふえる。
老松窓下風涼処 老松の窓の下風涼しき処  
疎竹籬頭月落時 疎竹の籬頭(りとう)月落(お)つるの時   
不解弾琴兼飲酒 弾琴兼ねて飲酒を解せず  
唯堪讃仏且吟詩 唯仏を讃し且つ詩を吟ずるに堪えたり  
夜深山路樵歌罷 夜深くして山路樵歌(しょうか)罷(や)む 樵歌:きこりたちの歌。
殊恨隣鶏報暁遅 殊に恨む隣鶏暁を報ずることの遅きを  
  我が身の涯分(さだめ)と浮き沈みとについて、いったい誰にたずねることができよう。
秋になってから、異郷で暮らすことの悲しみが、わけもなく(暗に)心につのってくる。
秋のわびしさをしみじみと感ずるのは、松の老木が枝をかざす窓から秋風が涼しくそよぎ入る夕方、
疎らな竹の籬(まがき)のあたりに月の沈む夜である。
私は琴も弾けず酒も飲めず、
ただ仏に祈り、詩を吟ずることができるだけ。
山路に樵たちの歌もやんで静かに夜がふけてゆくとき
ことにも恨めしいのは、隣家の鶏がなかなか暁を告げてくれないこと
 
寒早十首の第一首 讃岐の守として赴任した年の冬に民衆の生活苦を主題にした詩を詠む(仁和2年)
何人寒気早 何れの人にか寒気は早き  
寒早走還人 寒は早し走還(そうかん)の人に 走還:租税負担に堪えかねて本籍地から他郷に走れていた者が、又その本籍地に還ってくること。
案戸無新口 戸(こ)を案ずるに新口(しんこう)無し  
尋名占旧身 名を尋ねて旧の身を占(かんが)う  
地毛郷土瘠せたり 地毛(ちもう)郷土瘠せたり  
天骨去来貧 天骨去来貧し  
不以慈悲繋 慈悲を以って繋(つな)がざれば   
浮逃定可頻 浮逃(ふとう)定めて頻りなるべし  
   いかなる人に寒気はいち早く訪れるか
寒気はいち早く訪れる、他郷から帰ってきた走還の者に。
この者を本籍に再編入するために戸籍を調べても、戸籍には近年の戸口の異動がまったく記載されておらず、役に立たなくなっているので、
名前を尋ねて元の出身地を推測するほかない。
ここの土地は瘠せていて作物(地毛)に乏しく、
人々は貧相な骨格で労苦を重ねている。
もし慈悲をもってつなぎとめることができなければ、
今後も他郷に浮浪逃亡する者は跡を絶つまい。
 
寒早十首の第二首  他郷の本籍地から逃亡してきた人を詠む。走還・浪来は当時各地に起こった逃散・浮浪の人のこと。
何人寒気早 何れの人にか寒気は早き  
寒早浪来人 寒は早し浪(のが)れ来たる人に  
欲避逋租客 逋租(ほそ)を避(まぬが)れむと欲(ねが)いし客(たびびと)は  
還為招責身 還(かえ)りて責めを招く身と為(な)れり  
鹿裘三尺弊 鹿裘(ろくきゅう)三尺弊(やぶ)れ  
蝸舎一間貧 蝸舎(かしゃ)一間(いっけん)貧し  
負子兼提妻 子を負い兼(ま)た妻を提(たずさ)え  
行行乞丐頻 行く行く乞丐(きつかい)頻りなり  
いかなる人に、寒気はいち早く訪れるか
寒気はいち早く訪れる。他郷から逃亡してきた者に。
未納の税(逋租)を免れようとした彼は、
かえってこの地で責めをこうむる身となった。
三尺の鹿の裘(かわごろも)はぼろぼろで、
蝸の舎(いえ)のような一間の小屋に住む貧しさ。
子供を背負い、妻の手を引いて、
行く行く乞丐(ものごい)すること頻りである。
寒早十首の第三首 寒早し、十首・其の三 寒早:寒気が早く到来する意
  「菅家文草」の配列から見て、讃岐の守として着任した仁和二年(886)十月頃の作とされている。
何人寒気氣早 何れの人にか寒気早き  
寒早老鰥人 寒は早し老鰥(ろうかん)の人に 鰥:男やもめ。
轉枕雙双開眼 枕転(ま)ろばして双(なら)び開く眼  
低簷獨臥身 簷(のき)低く独り臥す身  
病萌逾結悶 病萌(きざ)して逾(いよいよ)悶(もだえ)を結び 結悶:病苦の憂いが身にまつわること。
飢迫誰愁貧 飢(うえ)迫りて誰か貧を愁うる  
擁抱偏孤子 擁抱す偏孤(へんこ)の子 偏孤:ここで母はのいない子を言う
通宵落涙頻 通宵(よもすがら)に落涙頻(しき)る 通宵(よもすがら):終夜
  誰に寒さがいち早くやってくるのか
寒さは早い、年老いたやもめ夫(おとこ)に
枕をしなおしては寝もやらず、両眼はあけたまま。
軒端の低い日のあたらない家の中にただひとり臥すのはつらいこの身
老いの身に病気の兆候(きざし)があって、ますます苦しみが加わる。
飢えが身におしよせても誰が貧窮(まずしさ)を心配してくれようか
ただ孤児を抱きかかえていると、
夜もすがら涙はしきりに落ちる
寒早十首・其四 寒早し十首・其の四  
何人寒気氣早 何れの人にか寒気早き  
寒早夙孤人 寒は早し夙孤(しゅくこ)の人に 夙孤(しゅくこ):はやくより孤児になった者
孤:「令集解」(戸令)に「十六以下にして父無きを孤と為す也」と見える。
父母空聞耳 父母空しく耳に聞き  
調庸未免身 調庸身を免れず 調庸:正丁(二十一歳以上六十歳以下の健康な男子)が果たすべき義務
調:「賦役令」に「調は皆近きに随いて合わせ成せ」と規定された郷土の物産を納めること。
庸:一年に十回、労役に使われること。
葛衣冬服薄 葛衣(かつい)冬の服(ころも)薄く 葛衣(かつい):葛の繊維で織った、夏用の衣。
蔬食日資貧 蔬食(そし)日(ひび)の資(たすけ)貧(まず)し 日資:日々の資(たすけ)、生活資金の意。
毎被風霜苦 風霜に苦しめらるる毎に 風霜:苦しいものとして描かれることが多い。
思親夜夢頻 親を思いて夜(よよ)の夢頻(しき)る   
   誰に寒さがいち早くやってくるのか
寒さは早い、はやく孤児になった人に
父母のことはむなしく耳にするばかり
しかもお上のきびしい義務は免除されることはない
葛で作られた夏の衣は冬には薄く寒く、
粗末な食事を取る毎日の暮らしは貧弱である
きびしい風や霜に苦しめられるたびに、
在(い)まさぬ父母を思い、しきりに夜夜の夢の中に見ることだ
 
寒早十首の第五首  
何人寒気早 何れの人にか寒気は早き  
寒早藥圃人 寒は早し藥圃の人  
弁種君臣性 種を弁ず君臣の性  
充傜賦役身 傜(えう)に充(あ)つ賦役の身  
雖知時至採 時至らば採ることを知れども  
不療病来貧 病ひ来りて貧しきことを療(いや)さず  
一草分銖缺 一草分銖(ぶんしゅ)をだに缺(か)かば  
難勝箠決頻 箠決(ついくゑつ)の頻(しきり)なるに勝(た)へ難(がた)からむ  
  どんな人に寒気は真っ先にこたえるか
寒気は早い薬草園の園丁に
かずかずの薬草を高貴薬また然らざるものに弁別する
いずれ賦役の義務ある身はこの労働で徭役を果たす
時充てば薬草採りはお手のもの
だが自ら病魔に冒され貧に落ちても薬草は高嶺の花
わずか一本ほんの一分一厘が欠けていても
鞭打ちの刑は苛烈をきわめる
寒早十首の第六首 律令の駅制で、京と諸国の連絡のために主要街道の三十里(約十六キロメートル)毎に置かれていた駅家(うまや)(駅亭)には、駅家を管理し官人を送迎する業務を請け負う駅戸が定められていましたが、彼らには駅馬を飼育することも義務付けられていた上に、官人たちの不正な駅馬の使用も多く、その負担は過重であったが、この駅戸の苦しみを歌ったもの
何人寒気早 何れの人にか寒気は早き  
寒早駅亭人 寒は早し駅亭の人に  
数日忘飡口 数日飡(くら)うことを忘るる口   
終年送客身 終年客を送る身  
衣単風発病 衣は単(ひとえ)にして風に病を発すれども  
業廃暗添貧 業(なりわい)を廃すれば暗(むな)しく貧を添う  
馬痩行程渋 馬痩せて行程渋れば  
鞭笞自受頻 鞭笞(べんち)自らに受(う)くること頻りなり  
  いかなる人に、寒気はいち早く訪れるか。
寒気はいち早く訪れる。駅亭の者に。
彼は数日ろくに食事もできないほど酷使されながら
生涯、旅客を運ぶ身なのだ。
着ているものは裏地のないひとえで、寒風にあたって病気になりやすい。
けれども仕事をやめればいよいよ貧しくなるばかり。
彼の家で飼育している馬も痩せているので、なかなか行程が進まないと
馬ばかりか彼自身までが、旅客の官人から鞭打たれること頻りである。
 
寒早十首の第九首  売塩は特に讃岐で盛んであったものであろうから彼の深い体験から選び出されたものである。
何人寒気早 何れの人にか寒気は早き  
寒早売塩人 寒は早し塩を売る人に  
煮海雖随手 海を煮ることは手に随(したが)うと雖も  
衝烟不顧身 烟(けぶり)を衝(つ)きて身を顧みず  
旱天平価賤 旱天(かんてん)に平価(へいか)は賤(やす)けれども  
風土未商貧 風土は未だ商いに貧しからず  
欲訴豪民 豪民のひとりじめを訴えむと欲して  
津頭謁吏頻 津頭(しんとう)に吏に謁すること頻りなり  
  いかなる人に寒気はいち早く訪れるか
寒気はいち早く訪れる。塩を売る者に。
海水を煮ることは手当たりしだいだとはいえ
藻塩を焼く烟(けぶり)に真っ黒になるのもかまわず働いている様子はやはり重労働である。
日照りが続けばそれだけ塩の生産量が上がって標準価格は低落するけれども、
瀬戸内海沿岸のこの土地の気候風土は製塩に適しており、本来商いが貧しくなるはずはないのである。
にもかかわらず彼らが貧しいのは、豪民が利益を独占するからで、その不正を訴えようと、
船着場あたりで官吏に謁すること頻りである。
 
旅亭歳日、客を招きて同(とも)に飲む 讃岐に赴任して初めて迎えた元日に道真は近在の村老たちを官舎に招いて酒をふるまった時のことを詩に詠んだ(仁和三年)
招客江村歳酒盃 客を招く江村歳酒(こうそんさいしゅ)の盃  
主人多被旅情催 主人は旅情を催(もよお)さるること多し   
家児浅酌争先勧 家児(かじ)は浅く酌(く)みて先を争いて勧め 家児:道真は妻と娘たちと長男の高視は京に残していたが、年少の男子二、三人を讃岐に伴なってきていた。その男の子たちをさしている。
郷老多巡罰後来 郷老(きょうろう)は多く巡(めぐ)らして後(おく)れて来るものを罰す  
愁戚去年分手出 愁えて戚(いた)む去年手を分かちて出でしことを   
笑容今日両眉開 笑いてなごみ今日両眉(りょうび)開く  
欲知倒載非陽酔 倒載(とうさい)の陽酔(ようすい)に非(あら)ざることを知らんとならば 倒載:正体もなく酔っぱらったさま
陽酔:酔ったふり
舟檝漁竿遺置廻 舟檝(しゅうしゅう)漁竿(ぎょかん)遺(わす)れ置きて廻(かえ)れるあり   
  江村の老人たちを招いて新年を祝う酒をふるまったが、
初めて異国で新年を迎えた主人の私は、また新たに郷愁が湧いてくるのを禁じえなかった。
子どもらが(私があまり飲めないのを知っているので)浅く酌んだ酒をしきりに勧めてくれたが、私は酔えなかった。
しかしそんな私にかまわず、郷老たちは盛んに盃を巡らし、後れて来た者には罰酒を強いていた。
去年、家族や知友や門人たちと袂を分かって以来ずっと私は悲しみに心をふさがれていたのだが、
しかし今日は、楽しげに談笑する老人たちに、つい私も笑いを誘われて心がなごみ、両眉の開く思いを味わったことであった。
彼らは正体もなく酔っぱらって帰っていったけれど、あの酔い方はやっぱり陽(うそ)じゃなかった。
その証拠にほらあの連中ときたら、大事な楫(かじ)や釣竿を置き忘れて行っているよ
 
醍醐天皇の昌泰三年九月十日の宴に「秋思」という勅題を受けて作った。天皇のおほめにあずかり御衣を賜った。(昌泰3年)900年(菅家後集・七律)
丞相度年幾楽思 丞相年を度って幾たびか楽しみ思へる 丞相:大臣。自分を指す。
今宵觸物自然悲 今宵物に触れて自然に悲し  
聲寒絡緯風吹處 声は寒し絡緯風吹くの処  
葉落梧桐雨打時 葉は落つ梧桐雨打つの時  
君富春秋臣漸老 君は春秋に富み臣漸く老いたり   
恩無涯岸報猶遅 恩は涯岸無く報ずること猶ほ遅し 涯岸:はて。かぎり。
不知此意何安慰 知らず此の意何くにか安慰せん  
飲酒聴琴又詠詩 酒を飲み琴を聴き又詩を詠ず  
  秋風の吹くころ、こおろぎの鳴く声もさむざむと感じられ、
雨が葉を打つように降る時、梧桐はその葉を落とす。
 
旅雁を聞く 道真が配所にあって悲運を嘆じていたころ、雁について詠じた詩。(菅家後集・七絶)
我為遷客汝来賓 我は遷客たり汝は来賓 遷客:左遷された人
共是蕭蕭旅漂身 共に是蕭蕭として旅漂の身 蕭蕭:ものさびしい様子。
欹枕思量歸去日 枕を欹てて帰去の日を思ひ量るに  
我知何歳汝明春 我は何れの歳とか知らむ汝は明春  
  枕を斜めにしてつくづくと、都へ帰る日を考えてみると、
わたしは何年たったら帰れるか分からないが、お前は来年の春になると、北の故郷の空へ帰れるのだ。
 
秋天の月    
千悶消亡千日酔 千悶消亡す千日の酔ひ  
百愁安慰百花春 百愁安慰す百花の春  
一生不見三秋月 一生三秋の月を見ずんば  
天下應無腸断人 天下応に無かるべし腸断の人 腸断:非常につらい思いをする。 
  たとい心に千の煩悶があっても「千日酒」に酔えば消えてなくなる。
たとい心に百の憂愁があっても、百花咲き乱れる春となれば慰められる。
 
自詠 大宰府に左遷されて三四か月たったころ作った詩。(菅家後集・五絶)
離家三四月 家を離れて三四月  
落涙百千行 涙を落とす百千行(ひゃくせんこう)  
萬事皆如夢 万事皆夢のごとし  
時時仰彼蒼 時時彼蒼を仰ぐ  
  都の家を離れて、もう三四か月たった。
あれこれ考えると涙が限りなく流れる。
過ぎ去ったことはすべて夢のように思われる。
今はただ時折天を仰いで訴えるだけである。
 
春日山を尋(たず)ぬ 菅家文草巻三にある詩  
偶得衙頭午後閑 偶たま衙頭(がとう)に午後の閑を得て 衙:役所
頭頭:そのあたり
二三里外出尋山 二三里外出でて山を尋ねたり  
鳥能饒舌渓辺聴 鳥は能く饒舌(じょうぜつ)にして渓辺(けいへん)に聴く  
花有枝亞馬上攀 花は枝を亞(た)れたる有りて馬上より攀(よ)ず  
要賞煙蘿占遠入 煙蘿(えんら)を賞せんことを要(もと)めて占(うかが)いて遠く入り 煙:風景をしっとりと潤わせている柔らかな空気の湿り気
煙蘿:山中の清浄な風景をさす言葉
安牘縈嫌還先嬾 安牘(あんとく)に縈(まつ)わられんことを嫌いて還るに先立ちて嬾(ものう)し  
初任到従心情冷 初めて任に到りし従(よ)り心情冷(すさま)しかりしも 冷し(すさまし):何の感興もなく味気ないこと
被春風勧適破顔 春風に勧められて適(たま)たま破顔す  
  たまたま午後ちょっと暇ができたので国府の館を出て
、(綾川に沿って)二三里ほど山中に分け入ってみた。
鳥たちは渓流のほとりでにぎやかにさえずり
花咲く枝は低く垂れていて馬上から手をのばして引き寄せることができた。
空気のしっとりと澄んだ山林の風景を心ゆくまで賞味したくて、行く手をうかがいながらついつい山奥まで馬を進めてしまった。
もうそろそろ帰らねばと思うとあの際限なくまとわりついてくるような行政文書(安牘)の山が目に浮かんで、帰る先から物憂さがつのってくる。
でも、昨年初夏の着任以来私の心はずっと灰のように味気ない状態だったけれど、
今日ようやく春風に誘われて破顔一笑したことだ。
 
行春詞    
冥感終無馴白鹿 冥感(めいかん)終(つい)に白鹿(はくろく)の馴(な)るること無かりき  
外聞幸免喚蒼鷹 外聞(がいぶん)蒼鷹(そうよう)と喚(よ)ばるるを免れんことを幸(ねが)う  
応縁政拙声名墜 応(まさ)に政(まつりごと)の拙(つたな)きによりて声名は墜(おつ)べし  
豈敢功成善最昇 豈(あ)に敢えて功成りて善最(ぜんさい)に昇らめや  
轡廻出時朝日旭 轡(くつわ)を廻らして出でし時朝の日は旭(さ)しそめたりき  
墊巾帰処暮雲蒸 頭巾を墊(ひし)げて帰れる処(とき)暮(ゆう)べの雲は蒸したりき  
駅亭楼上三通鼓 駅亭の楼の上三通の鼓    
公館窓中一点燈 公館の窓のうち一点のともしび  
人散閑居悲易触 人散じてしずかに居(お)ればかなしび触れ易し  
夜深独臥涙難勝 夜ふけて独り臥せば涙たえ難し  
到州半秋清兼慎 州に到りて半秋清と慎とを兼ねたり  
恨有青青汚染蝿 恨むらくは青々たる汚染の蝿有ることを  
  しかし、讃州太守としての私の政治が天の冥感にあずかって、今日の行春に白鹿が現れるというようなことはついに起こらなかった。
それはまあいたしかたないこととしても、ただせめて、苛酷なること青鷹のごとしなどといわれることだけは免れたいものだ
私の政治は拙く、私の声価は地に落ちることだろう。
四年間の国守の任期が満了して政績功過が評定される時、善最野評価を受けることなど、まず望み難いことだ。
今朝、馬の轡を廻らして行春に出で発ったのは、ようやく朝日が射しそめる頃だった。
そして雨にひしげた頭巾さながら身も心も疲れ果てて感謝に戻ってきた時には、とっぷり日も暮れて夕立を降らせた雲が暗く空を覆っていた。
駅亭の高楼で日没を告げる鼓が三たび連打され、官舎の窓にぽつんと一つ燈が灯っているのが見えた。
人気が無くなった官舎で静かに思いめぐらしているとさまざまな悲しみが胸に迫り、
夜深けて一人横になっていると涙がこみ上げてくる。
この讃州に赴任して来てからほぼ一年。私はもっぱら清廉と謹慎とを心がけてきたつもりだが、
残念なのは、不正腐敗に汚染された青蝿のような官吏たちを一掃できないことだ。
 
遊覧偶吟(ゆうらんぐうぎん) 讃岐の守時代の風諭詩的な作品の一つ
鳥出樊籠翅傷 鳥は樊籠(はんろう)を出でて翅(つばさ)傷(いた)まず  
青山碧海任低昂 青山(せいざん)碧海(へきかい)任(ほしき)ままに低昂(ていこう)す  
京中水地王公宅 京中の水地(すいち)は王公の宅  
畿内花林宰相荘 畿内(きない)の花林(かりん)は宰相の荘  
口戯貪憐誣犯限 口には憐れを貪ると戯れつつ限(さかい)を犯すものを誣(そし)り  
眼偸臨望叱窺堂 眼は臨望(りんぼう)を偸(ぬす)みつつ堂を窺(うかが)うものを叱る  
此間勝境雖無主 此間勝境に主無しと雖も   
漸漸聞来欲有妨 漸漸(ぜんぜん)に聞き来たる妨げ有らんとすることを  
  鳥籠を逃れ出た鳥は、翅(つばさ)を傷めることなく
青山碧海を自由に飛翔する(そのように、いま私の心も、この讃岐の国の海と空に解き放たれている。)
京中の泉水は王公の邸宅に取り込まれ
畿内の花林は宰相の荘園に囲い込まれている。
彼ら権勢家は、口では風流人を気取っていながら、境界を侵す者をそしり、
眼は眺望を独占していながら、邸内を覗く者を叱るのだ。
この讃岐の国の景勝にも、本来所有者など無いはずなのに、
ここでも権勢家による土地の兼併が進んでいるということで、いずれ自由に逍遥することもできなくなるかもしれない。
 
駅楼の壁に題す 京で家族と共に年を越した道真は、明けて仁和四年の梅がほころび柳の青む頃、再び讃岐に帰任したが、その帰任途上播磨国(兵庫県)の明石駅で詠んだ
離家四日自傷春 家を離れて四日、自ずから春に傷(いた)む  
梅柳何因触処新 梅柳(ばいりゅう)何に因りてか触(ふ)るる処に新たなる   
為問去来行客報 為に去来の行客の報(つ)ぐるところに問えど  
讃州刺史本詩人 讃州刺史本詩人 刺史:国守の唐名
  再び家族と別れて讃州への帰任の途に就いてから四日。早春の風光にわけもなく心が傷む。
梅や柳がなぜかくも道行くごとに新たに目にしみてくるであろう。
そこでいき来する人々の様子をうかがってもみたけれど、誰も春に悲しみを抱く者などいない。
ああ、讃州刺史とは身過ぎ世過ぎの仮姿。私は本来詩人なのだ。
 
官舎の前に菊の苗を播(う)う 道真の讃岐の守の任期期間の詩(仁和5年)(寛平元年)
少年愛菊老逾加 少(わか)かりし年より菊を愛し老いて逾(いよいよ)加われり  
公館堂前数畝斜 公館堂前数畝斜めなり  
去歳占黄移野種 去(い)にし歳は黄なるを占めて野種を移し  
此春問白乞僧家 此の春は白きを問うて僧家にこえり  
乾枯便蔭庭中樹 乾枯すなわちおおう庭中の樹  
令潤争堆雨後沙 令潤争いて堆くす雨後の沙(いさご)  
珍重秋風無欠損 珍重す秋風に欠損(そこ)なわるること無きを  
如何酈水岸頭花 酈水(れきすい)岸頭の花に如何  
  若い時から私は菊が好きだったが、老いていよいよ好きになった。
官舎の堂の前に数畝の花壇が斜めに作ってある。
去年、野に自生していた黄菊を移植したが、
今年は白菊がほしくて、寺家の僧侶に訪ねて苗を分けてもらった。
乾燥を防ぐために庭の樹の蔭になるようにし、
雨上がりには急いで土を堆く盛り上げて、苗が水浸しにならないようにする。
ありがたいことに菊は秋風にも損なわれることが無いから、
今年の秋には、此の私のささやかな花壇にも、菊の名所として古来名高いあの中国酈県の甘谷にもおさおさ劣らぬくらいに美しく菊が咲き満ちることだろう。
 
春日、故右丞相の旧宅に感ず 讃岐の守としての四年の任期を終えて帰京した後の第一首(寛平2年)890年
右大臣の旧宅が、当主の薨去後、来客も絶えてひっそりと静まりかえっていることに、深く感じ傷むところがあって詠まれた詩。右大臣の生前には、その恩顧引き立てにあずかろうとして、大勢の来客が押し寄せていたのに、右大臣が亡くなると、もう誰もこの家に寄りつかなくなった。そうした人の世の変わり易さに対して、庭の花は今年もまた春を忘れずに咲いている。故右大臣は仁和四年十月十七日に薨去した源多をさすものと考えられる。道真は源多が右大臣に任ぜられた際にそれを儀礼的に辞退した上表文(奏状)など計五通の上表文を源多のために代作している。
緑柳依依白日斜 緑柳依依として白日斜めなり 依依:柳のやわらかくなびくさま
人蹤銷滅満庭沙 人蹤(じんしょう)銷滅す満庭の沙(いさご)  
只今暮宿簷間鳥 只今し暮に宿る簷(のき)の間の鳥  
仍旧春開砌下花 旧に仍(よ)り春に開く砌の下の花  
不得平生排閣謁 平生閣を排(ひら)きて謁(まみ)ゆることを得ざりしかども  
無勝感悼望門嗟 感悼(いたみ)に勝(た)えず門を望みて嗟(なげ)く  
駕肩来客知何在 肩を駕(なら)べし来客いずくに在りとか知らん  
未葬争馳勢家到 未だ葬らざるに争い馳せて勢家に到る  
  やわらかくなびく柳の緑。斜めに射す夕陽。
人跡も絶えてひっそりとした庭の白砂。
今、日が暮れて鳥たちは簷(のき)のねぐらでさえずり、
石畳のほとりの花が昔に変わらず咲いている。
私は故右大臣殿の生前、この邸内に招かれて親しくお目にかかるようなことはなかったけれども
哀悼の念に堪えず門内を望み見て、さらに嘆かずにはいられない。
かつてこの門に大勢押し寄せていたあの来客たちはいったいどこへ行ったのか。
彼らは、まだ右大臣の葬儀も済まぬうちに、争って別の権門のもとへ殺到して行ったのだ。  
 
霜菊詩 宇多天皇は「未だ旦(あ)けざるに衣を求む」の賦と「寒霜晩菊」の詩を詠むことを命じた。寛平2年閏9月12日
似星籠薄霧 星の薄霧に籠れるが似(ごと)し  
同粉映残粧 粉(はふに)の残粧に映(は)ゆるに同じ  
戴白知貞節 白きを戴きて貞節を知る  
深秋不畏凉 深秋に凉を畏れず   
     
 
仮中懐を書す 道真が蔵人の頭を兼帯した左中弁という繁忙をきわめた職務にあってたまさかに休暇を取った時の詩
乞来五日仮 乞い来る五日の仮仮(いとま)  
暫休認早衙 暫く休む早衙(そうが)を認(な)すことを  
仮中何処宿 仮中何れの処にか宿す  
宣風坊下家 宣風坊下の家   
門扃人不到 門扃(さ)して人到らず   
橋破馬無過 橋破(や)れて馬の過ぎること無し   
早起呼童子 早(つと)に起きて童子を呼び  
扶持残菊花 扶持す残菊の花  
日高催老僕 日高(た)けて老僕を催(うなが)し  
掃除庭上沙 掃除す庭上の沙(いさご)  
暮繞東籬下 暮(ゆう)べには東籬(とうり)の下を繞(めぐ)りて  
洗払竹傾斜 竹の傾斜(かたぶ)けるを洗払す  
入夜計書籍 夜に入りて書籍を計れば  
芸縑近五車 芸縑(うんけん)五車に近し  
要須随見取 要須は見るに随(したが)いて取り  
散出依次加 散出して次いでに依りて加(くわ)う  
寒声階落葉 寒声階の落葉  
曉気砌霜華 曉気砌(いしだたみ)の霜華  
鶏鳴肱枕臥 鶏鳴肱を枕に臥し  
閑思遠別嗟 閑(しず)かに遠別を思いて嗟(なげ)く   
女児遵内義 女児は内義に遵い  
外孫逐阿耶 外孫も阿耶に逐(したが)いぬ  
事之不獲已 事の已むことを獲ざるも  
離去路何賖 離れ去ること路何ぞ賖(はる)かなる   
一歎腸廻転 一たび歎けば腸廻転し  
再歎涙滂沱 再び歎けば涙滂沱(ぼうだ)たり  
東方明未眠 東方明らめども未だ眠らず  
悶飲一杯茶 いきづきて飲むひとつきの茶  
天不借閑意 天は閑意を借(ゆる)さず  
在家事猶多 家に在るも事猶多し  
悠悠皆果報 悠々皆果報  
出入苦生涯 出入生涯苦(くる)しぶならむ  
  五日間の休暇を申請し
早朝出勤からもしばらくは開放された。
休暇を過ごすのは、宣風坊下の我が家
門を閉ざして来客も無く
門前の橋が壊れているから馬もよぎらない。
早朝、召使の少年を呼んで
倒れかけた残菊をたすけ起し
日が高くなってから老僕を促して
庭の白砂を掃除する。
夕方には東のまがきのほとりをめぐり
傾いた竹の葉を梳いてみる。
夜蔵書を点検してみると
書籍はおよそ車5台分もある。
重要な文章が目にとまれば短札に抄出し
その短札を分類に従って加えていく。
庭に降りる石の階に落葉が寒々しい音を立て、
暁の冷気が、階下の石畳に霜の華を凝らす。
鶏の声を聞いてようやく肘を枕にして横になり、
遠くにいる肉親をしみじみと思う。
娘は(地方に赴任する)夫に従い
孫もその父親について行ってしまった。
しかたのないことだとはいえ
何と遠く離れているのだろう。
少し思うだけでも腸が廻るようで、
思い続けていると涙が溢れてくる。
東の空が明るくなってきても眠ることができず
悶々として一杯のお茶を飲む。
しずかな心境で生きることは天が許さないのだろうか。
家にいてもなおこんなに心を煩わすことが多いのは、
ああ、すべては杳として知りがたい我が前世の果報なのだ。
公私につけて一生何かと苦労の種は尽きないのだろう。
 
月に乗じて潺湲を弄ぶ 北堂(大学寮文章道の講堂)の文選竟宴(宮中や大学などで講書が終了すると、宴を開いてその講書に用いられたテキストの中から選ばれた句を題に、詩を詠むのが習いでそれを竟宴といったが各自の詠む句題は籖を引いて決めた。)に各々句を詠ずるに「月に乗じて潺湲を弄ぶ」という題を引き当てた。(寛平8年10月19日)
文選三十巻 文選三十巻  
古詩一五言 古詩一五言(いちごごん)  
五言何秀句 五言何れか秀句なる  
乗月弄潺湲 月に乗じて潺湲を弄ぶ  
半百行年老 半百行年老い  
尚書庶務繁 尚書庶務繁し  
雖思楽風月 風月を楽しまんと思えども  
不放到丘園 丘園に到ることをゆるされず  
非唯無所楽 唯に楽しむ所無きのみに非ず  
悠悠有所煩 悠悠煩う所有り  
水空触眼逝 水は空しく眼に触れて逝き  
月暗過頭奔 月も暗(むな)しく頭を過ぎて奔(さ)る  
惣為貪名利 惣(すべ)て名利を貪るが為なり  
亦依憂子孫 亦子孫を憂(うれ)うるに依る  
此時玩斯集 此の時斯(こ)の集を玩べば  
如避世喧喧 世の喧喧を避けたるが如し  
    「文選」三十巻に収められた
五言古詩のなかで、
最も秀れた句はどれかと言えば
この「月に乗じて潺湲を弄ぶ」の句である。
けれどもこの句を読むにつけ私は自身の今のありさまを顧みて、嘆かずにはいられない。年はもう五十を過ぎて(当年五十二歳)老境にあるのに
戸部尚書(民部卿の唐名)は庶務繁忙で、
風月を楽しみたいと思っても
丘園におもむくことなど許さるべくもない。
それにただ楽しみが無いというだけでなく、
またあれこれと思い煩うことも尽きないのだ。
水は空しく眼に触れるばかりで流れていき
月もまた暗しく頭上を通り過ぎてゆく。
水の流れも月影も、今の私には、立ち止まって心ゆくまでながめているいとまが無い。何でこんなにあくせくしているのかと言えば、すべて名誉と利得に執しているためであり
また子供らの将来を案ずるがためである。
しかしこんな日々にあっても、この「文選」を繙(ひもと)いていると、
まるで世の喧噪を逃れたかのように心が落ち着き、静かに澄んでくるのを覚える。
 
秋思 昌泰三年九月十日清涼殿で行われた重陽後朝の宴で詠む
丞相度年幾楽思 丞相年をわたりて幾たびか楽しみ思える 丞相:大臣の唐名
今宵触物自然悲 今宵物に触れて自然(おのずから)に悲し  
声寒絡緯風吹処 声の寒(さ)ゆる絡緯(らくい)は風の吹く処  
葉落梧桐雨打時 葉の落つる梧桐は雨の打つ時  
君富春秋臣漸老 君は春秋に富み臣は漸(いよ)いよ老いにたり  
恩無涯岸報猶遅 恩は涯岸も無く報いんことは猶し遅し  
不知此意何安慰 知らず此の意(こころ)何(いか)にしてか安慰せん  
飲酒聴琴又詠詩 酒を飲み琴を聴き又詩を詠ぜん  
   私は右大臣になって一年を越えましたが、この間いったい幾たび楽しい思いをしたことが在りましたでしょう。いえそんな時はほとんど無かったのです。
そして今宵はことに、晩秋の風物に触れておのずから悲しみが深まるのを覚えます。
風騒ぐ叢にはこおろぎの声が冴え、
梧桐(あおぎり)の大きな葉が雨に打たれて落ちてゆきます。
帝は春秋に富んでおられますのに、私はもう老いてゆくばかり。
君恩ははてしもなく、この私は一向に御恩に報いることができずにおります。
いったいこの思いを私はいかにして安んずることができましょう。
とまれしばし今宵は、お酒をいただき、琴に耳を傾け、そして詩を吟ずることにいたしましょう。
 
閑居秋水を楽しむ    
聞昔瀟湘逢故人 聞く昔瀟湘(しょうしょう)に故人に逢(あ)へりと  
在今楽水詎為新 在今(いま)水を楽しむ詎(たれ)か新と為さん  
夜魚宿處投心緒 夜魚宿る処心緒を投げ  
秋月浮時洗眼塵 秋月浮かぶ時眼塵を洗ふ  
潭菊落粧残色薄 潭菊(たんぎく)粧(よそほ)ひを落として残色薄く  
岸松告老暮声頻 岸松老いを告げて暮声頻りなり  
池頭計會仙遊伴 池頭に計会す仙遊の伴(とも)  
皆是乗査到漢濱 皆是査(いかだ)に乗じて漢浜に到らん   
  水辺の菊はさかりを過ぎて化粧を落とし、残りの色香も薄くなってきた。
岸辺の松も年老いて、夕方の風に吹かれてしきりに音をたてている。
 
道真が左遷される前の作  
惜秋秋不駐 秋を惜しみて秋駐(とど)まらず   
思菊菊纔残 菊を思ひて菊纔(わづ)かに残れり   
物與時相去 物と時と相去る 物:菊花に代表される万物
時:秋の季節
誰厭徹夜看 誰か夜を徹して看るを厭わん  
  秋の行くのを惜しむけれども秋はとどまりはしない。
菊がしぼまぬようにと思い望むと、菊はわずかに残っている。
 
冬日、前庭の紅葉に感在り。秀才敦茂(あつもち)に示す。 昌泰三年の冬に詠まれた。敦茂(あつもち)は道真の四男。秀才は文章得業生の唐名。道真在京最後の作。
山冪寒雲水結氷 山は寒雲におおわれ水は氷を結べり  
在家一樹感難勝 家に在る一樹感勝(た)え難し  
茅蒐霜染憐無限 茅蒐(ぼうしゅう)のごと霜染めて憐(あわ)れぶこと限り無し  
刀刃風裁惜不能 刀刃のごと風裁ちて惜しめども能(あた)わず  
独立如逢衣錦客 独り立ちて錦を衣(き)たる客(ひと)に逢えるが如し  
四分疑伴散花僧 四(よも)に分かれて散花(さんげ)の僧を伴うかと疑う  
菊枯蘭敗梅猶嬾 菊は枯れ蘭は敗れて梅猶し嬾(ものう)し  
詩興当追落葉凝 詩興は当に落葉を追って凝らすべし  
    山は寒雲におおわれ、水も凍りついている。
わが家の紅葉した一樹をながめていると、まことに感に堪えない。
霜に打たれた葉は、あたかも茅蒐(あかね)で染め上げたかのように紅く色づいて、このうえもない美しさなのに
刀刃のように鋭利な風が容赦なくその錦繍(きんしゅう)を裁断していて、惜しんでもどうにもならないのである。
その樹の庭上に孤立したさまは、まるで錦を着た人のようであり
紅葉が四方に飛散するさまはあたかもその人が散華の僧を連れているかのようである。
菊は枯れ、蘭も凋残(ちょうざん)し、梅はまだ蕾もふくらんでいない。
この日、詩興を凝らしうるものとてはただ、この落葉があるばかり。
 
楽天の北窓三友の詩を詠ず (菅家後集)  
自従勅使駈将去 勅使の駈(かけ)り将(ゐ)て去りしより  
父子一時五處離 父子一時に五処に離(はな)る  
口不能言眼中血 口に言ふこと能(あた)わず眼中の血 眼中血:眼中に血がにじみ涙もこぼれない。
俯仰天神與地祇 俯仰(ふぎょう)す天神と地祇とを  
東行西行雲眇眇 東行西行雲眇眇(びょうびょう)  
二月三月日遅遅 二月三月日遅遅たり  
重關警固知聞断 重関警固して知聞断(た)え 重關:幾つもの関所を越える
知聞:知人の消息を聞くこと
単寝辛酸夢見稀 単寝辛酸にして夢に見ること稀なり 単寝:家族を離れてかり寝すること
  
ある者は東へ、ある者は西へと行ってしまい、その間には雲が果てしなく横たわるのみである。
そして二月三月と月日はゆっくり過ぎ去って行くのである。
  
門を出でず 謫居の暮らしが始まって比較的間もない頃の作
一従謫落就柴荊 一たび謫落(たくらく)せられて柴荊(さいけい)につきしより 謫落:罪により官位をおとして流される
柴荊:あばら屋
万死兢兢跼蹐情 万死兢兢(きょうきょう)たり跼蹐(きょくせき)の情(じょう) 兢兢:恐れおののく
都府楼 看瓦色 都府楼はわずかに瓦の色を看  
観音寺只聴鐘声 観音寺は只鐘の声を聴くのみ  
中懐好逐孤雲去 中懐好し孤雲をおうて去るに 中懐:心の中
外物相逢満月迎 外物相い逢うて満月迎ふ  
此地雖身無撿繋 此の地身に撿繋(けんけい)無しと雖も 撿繋:束繋されること
何為寸歩出門行 何為(なんす)れぞ寸歩も門を出でて行かん   
   ひとたび貶謫(へんたく)されてこの柴荊(あばらや)に就いて以来
わが身に着せられた万死に当る罪に恐れ兢(おのの)き、身も縮(ちぢ)かまるような思いで、少しも外出する気になれず
都府(大宰府官庁)の楼閣はわずかに瓦の色を見ているだけで行ったこともなく
観音寺はただ鐘の音を聞くだけで訪れたこともない。
しかし、私の中懐はあのひとひらの雲とともに大空を去来し、
外界の物としてはただあの満月に出逢って迎え入れるばかり。
この謫居で私は別に外出を禁じられているわけではないけれど、
どうして一歩だって外出する気になぞなれようか
 
九月十日 延喜元年の作  
去年今夜侍清涼 去年の今夜清涼に侍し  
秋思詩篇独断腸 秋思の詩篇独り断腸  
恩賜御衣今在此 恩賜の御衣は今此に在り  
捧持毎日拝余香 捧持して毎日余香を拝す 余香:移り香
  思えば去年の今夜、重陽後朝の宴に召され、清涼殿で陛下のおそばにひかえていた。
其の時「秋思」という題で詩を作ったが、そのことを思い出すと、腸の断ち切れるように悲しいことである。
 
秋夜 延喜元年の作。九月十五日  
黄萎顔色白霜頭 黄に萎(な)えたる顔色白き霜の頭  
況復千余里外投 況や復千余里の外に投(いた)れるをや  
昔被栄花簪組縛 昔は栄花にして簪組(しんそ)に縛られ 簪組:冠を留めるかんざしと紐。転じて官吏生活の束縛をいう。
今為貶謫草萊囚 今は貶謫(へんたく)せられて草萊(そうらい)の囚(とらわれびと)と為(な)れり   
月光似鏡無明罪 月光は鏡に似て罪を明きらむることなく  
風気如刀不破愁 風の気は刀の如くして愁いを破(た)たず  
随見随聞皆惨慄 見るに随い聞くに随い皆惨慄(さんりつ)たり  
此秋独作我身秋 此の秋は独り我が身の秋と作(な)れり   
  たださえ顔色も黄色くしなびて髪も霜のように白くなった老病の身なのに
まして住み慣れた京都から千里以上も離れたこの地まで流されてこようとは!(一里は約五百メートル)
思えば昔、右大臣にまで栄達した日々も、がんじがらめに縛られたような窮屈な日々であったが
今はまた貶謫(へんたく)されて、草深い辺鄙な土地に囚われの身
澄んだ月の光は鏡のようだけれども、私の無実を映し出してはくれない。
風の冷たさは鋭利な刀のようだけれども、私の愁いを断ち切ってはくれない。
目に触れるもの、耳に聞こえるもの、すべてがひどく心を痛ませる。
秋は天下万人に公平に訪れるはずだが、今年の秋はまるでこの私だけに集まって来たかのようだ。
 
讀家書 家書を読む 家書:家族(妻)からの手紙
延喜元年冬の作。七言
消息寂寥三月餘 消息寂寥(せきりょう)たり三月餘(さんげつよ)  
便風吹著一封書 便風吹著(すいちゃく)す一封の書  
西門樹被人移去 西門の樹は人に移去せられ  
北地園教客寄居 北地の園は客をして寄居せしむ  
紙裏生薑称薬種 紙には生薑をつつみて薬種と称し  
竹籠昆布記斎儲 竹には昆布を籠めて斎の儲けと記す  
不言妻子飢寒苦 妻子が飢寒のくるしびを言わず  
為是還愁懊悩余 是が為に還りて愁え余(われ)をして懊悩せしむ  
   京の家族から音信が途絶えて三月余り寂しい思いをしていたが、
たまたま幸便の風が一封の書を吹き寄せてくれた。
それを読むと屋敷の西門の樹は人に運び去られ、
また北の園地には他人を寄寓させているという。
また手紙に添えたものについて、紙に生姜をつつんであるのは薬だと言い、
竹の籠に昆布をいっぱいつめたのは斎戒の時に食べてくださいと書いてある。
しかし自分らの生活の苦しいことについては何も書いてない。
それがかえって私を悲しませ、心配でたまらなくさせるのだ。
 
菊をうう    
青膚小葉白牙根 青膚の小葉白牙の根  
茅屋前頭近逼軒 茅屋(ぼうおく)の前頭(ほとり)軒に近く逼る   
将布貿来孀婦宅 布を将(も)ちて貿(か)え来り孀婦(そうふ)の宅   
与書要得老僧園 書を与えて要(もと)め得たり老僧の園  
未曽種処思元亮 未だ曽(かつ)て種(う)うるときに元亮を思わず  
為是花時供世尊 是花の時に世尊に供えんが為なり  
不計悲愁何日死 計らず悲愁何れの日にか死せん  
堆沙作堰荻編垣 沙(すな)を堆(つ)み堰を作り荻を垣に編む    
  菊の苗の青々した小さな葉と、白く細く伸びはじめた根。
わが粗末な寓居の庭に、菊の苗を植える。狭い庭の、軒下に迫るほどの所に。
この苗は、ある寡婦の家から、布で交易して手に入れたり、
またある老僧の庭のを、書物を与えて分けてもらったりしたもの。
これを植えながら私は、あの菊を愛した陶元亮と風流を競おうなどと考えているわけではない。
ただ、この花が咲いたらほとけに供えたいと思うばかり。
だが、いつ私が悲愁に耐えかねて死んでしまうか、それは分らないが、
ともかく今は、せっせと砂を積んで堰を作り、荻を垣根に編んでいる。
 
官舎の幽趣    
郭中不得避喧嘩 郭中喧嘩を避(さ)くることを得ず   
遇境幽閑自足誇 境に遇える幽閑自ずから誇るに足る  
秋雨湿庭潮落地 秋雨庭を湿(ぬ)らせば潮の落つる地(ところ)  
暮煙縈屋澗深家 暮煙屋を縈(めぐ)れば澗(たに)の深き家   
此時傲吏思荘叟 此の時傲吏(ごうり)荘叟(そうそう)を思う  
随処空王事釈迦 処に随いて空王釈迦に事(つか)う  
依病扶持藜旧杖 病に依りて扶持(ふじ)せらる藜の旧き杖  
忘愁吟詠菊残花 愁いを忘れて吟詠す菊の残れる花  
食支月俸恩無極 食は月俸に支えられて恩は極り無し  
衣苦風寒分有涯 衣は風の寒きに苦しめど分は涯(かぎり)有り  
忘却是身偏用意 是(こ)の身を忘却して偏に意(こころ)を用(もち)うれば  
優於誼舎在長沙 誼(ぎ)が舎(いえ)の長沙(ちょうさ)に在りしには優りたり  
  郭中(まちなか)(城郭の内側)で喧騒を避けられるなどありえないことだが、
私にめぐりあわせたこの謫居という境遇は、市中にありながらひっそりと静かで、その幽趣はおのずから誇るに足るものだ。
秋の雨が降り注げば、庭はまるで潮の引いた海辺のようだし、
夕靄が屋をめぐってたなびけば、まるで深い谷あいにある家のようだ。
この時私が思うのは、宰相に迎えたいという楚王の招聘を拒絶して漆園(うるしばたけ)の役人にとどまったあの荘子の傲放な精神であり、
つねに私が師事しているのは、一切皆空の教えを説いた釈迦である。
病身を藜の杖で支えつつ私は庭を歩み、
愁いを忘れて菊の残花を吟詠する。
食い扶持は官から毎月支給されており、その恩は限りない。
着物は薄くて風の寒さがこたえるけれど、ま、人それぞれの分際には限りがあるというものだ。
流謫の身という境遇を没却して、ひたすらこのように意を用いれば、
長沙(ちょうさ)に放逐された賈誼(かぎ)の謫居よりは、私の官舎のほうがだいぶましなように思われる。
 
風雨    
朝朝風気勁 朝朝風気勁(つよ)し  
夜夜雨声寒 夜夜雨声寒し  
老僕要綿切 老僕綿を要(もと)むること切なり  
荒村買炭難 荒村炭を買うこと難し  
不愁茅屋破 茅屋の破るることは愁えず  
偏惜菊花残 偏に菊花の残(そこな)われんことを惜しむ  
自有年豊稔 年の豊稔なること有りと自(いえど)も   
都無叶口飡 都(すべ)て口に叶う飡(くいもの)ぞ無き   
  毎朝冷たい風が強く吹き、
毎晩寒々とした雨が降り続く。
老僕はしきりに綿入れを欲しがっている。
近在の寒村では炭を買うのも容易でない。
このぼろ家が風雨でまた壊れていくのは少しも意に介さない。
ただ菊の花が損なわれてゆくことだけがひたすら惜しまれるのだ。
今年は農家は豊作だったというのに
私の口に合う食べ物はまったくない。
 
秋月に問う    
度春度夏只今秋 春をわたり夏をわたり只今し秋  
如鏡如環本是鉤 鏡の如く環(たま)の如きも本是鉤(つりばり)なりき   
為問未曽失終始 為に問う未だ曽(かつ)て終始を失わざりしに  
被浮雲掩向西流 浮雲に被(おお)われて西に向きて流るるはやと  
  春も過ぎ、夏も過ぎ、いましも季節は秋。
月よ。君はいま鏡のように環のようにまるくなってきたが、もとは釣針のように細かったね。
そこでお尋ねするんだが、これまでのところ、順調に終始をまっとうしかけていた君が、いま浮雲におおわれて西に向かって流れてゆくのは、いったいどうしたわけなのだ(ひょっとして君も左遷か?)
 
月に代わりて問う    
蓂発桂香半且円 蓂(こよみぐさ)は発(ひら)き桂は香り半(ほ)ぼ且(まさ)に円ならんとす  
三千世界一周天 三千世界天を一周す  
天廻玄鑑雲将霽 天の玄鑑(げんかん)を廻らすなり雲は将に霽(は)れなん  
唯是西行不左遷 唯是西に行くなり左遷にあらず  
   (月の中に生ずる)こよみぐさは生えそろい、(月の)桂もいよいよかぐわしく香り、私はほぼ満月になってきた。
私はこうして三千世界を照らしながら天を一周するのだ。
天が玄妙な鏡のごときこの私をめぐらしているのであって、この雲もやがて晴れるだろう。
私はただ西へゆくだけだ。左遷ではないよ。
 
謫居春雪    
盈城溢郭幾梅花 城にみち郭に溢れて幾ばくの梅花ぞ  
猶是風光早歳華 猶し是風光に歳華早し  
雁足黏将疑繫帛 雁の足に黏将(ねやか)りては帛(きぬ)を繫(か)けたるかと疑い  
鳥頭点著思帰家 鳥の頭に点著(さしつ)きては家に帰らんことを思う  
   春の雪が城郭に満ちあふれて無数の梅花がいちどに咲いたようだ。
それはしかし、早春の風と光のなかに咲き出た幻の花。
雪が雁の足にくっついているのを見ると、家人の手紙の帛(きぬ)をかけて来たのではないかとはかない期待を抱き
鳥の頭に雪がついているのを見ると、むかし人質として秦にとらわれていた燕の太子丹が秦王から「鳥の頭を白くし、馬に角を生やしたら、帰国を許そう」と言われて、天を仰いで嘆息したところ、ほんとうに鳥の頭が白くなり、馬に角が生えたので、帰国を許されたという話を思い出して、ふと自分も家に帰れるだろうかと思う。
 
折楊柳を賦し得たり 16歳の作。  
賦得折楊柳 賦して折楊柳を得たり  
佳人芳意苦 佳人芳意苦(ねんご)ろなり 芳意:恋人を思慕する気持ち
苦:慇懃(いんぎん)(ねんごろ)
楊柳先攀折 楊柳先ず攀折(はんせつ)す 攀折:別離などに際しておこなわれる動作のひとつ 
應手麴輕塵 手に応じては麴塵(きくじん)かろし 麴塵:楊柳の黄に青みを帯びた花の花粉
候顔青眼潔 顔(おもて)を候(うかが)うに青眼(せいがん)潔し 青眼:人をにらむ目付きの白眼に対する語
潔:清に同じ
涙迷枝上露 涙は迷ふ枝上(しじょう)の露 :何々ではないかと想う、想わせること
粧誤絮中雪 粧(よそほ)ひは誤る絮中(じょちゅう)の雪 誤:何々ではないかと想う、想わせること 
粧:おしろいで白く化粧すること
絮:柳絮、柳の花、白い綿の如き柳の花
纖指柔英断 纖(ほそ)き指柔英(じゅえい)を断つ  
低眉濃黛刷 低(た)れる眉濃黛(のうたい)を刷(は)く 刷:刷毛で引くこと 
葉遮鬟更亂 葉遮りて鬟(わげ)更に亂(みだ)る 遮:遮断する、邪魔をする。
糸剪腸倶絶 糸剪(き)れて腸倶(とも)に絶(た)ゆ 糸:柳の糸。長く垂れ下がった柳の新芽を言う。 
若有入羌音 若し羌(きょう)に入る音(たより)有らば 羌:中国の西方に住む蛮族。ひろくえびす胡地をさす。
音:音信、たより。
誰堪行子別 誰か堪(た)へん行子(たびびと)の別れに 誰堪:反語
行子:旅人。ここは夫をさす。 
   みめかたちの美しい女人は春のかもす情がせつなくて、
まず柳の枝を引きためて折る、父君のために
引き折る手につれて、麹のような青みをおびた黄色い柳の花粉が軽くたちあがり、
女人の顔の様子をうかがうと、その親しそうに愛情を含んだ眼つきは清らかに澄んでいる
彼女の別離の涙の粒は、柳の枝の露かと人を迷わせるほど。
その化粧の白さは、柳の白い綿の花の雪かとまちがえさせるほど
かぼそい指で柔らかな柳の花を切りとり、
悲しげにたれた眉には濃いまゆずみを引いてつくろう
柳の葉が二人の間をさえぎると、女人はそのすきまから夫を見ようとして、髪のわげはますます乱れるばかり。
細く垂れた柳の糸が切れると、はらわたもいっしょに断ち切られるような思い
もし、えびすとの国境地帯に入ったと、あなたからたよりがあったら、
私は旅人であるあなたとの別れに堪えきれないことでしょう
 
翫秋華 秋華(しゅうか)を翫(もてあそ)ぶ 翫:賞美する意
秋華:秋花に同じく秋の花
東宮侍中局小宴之作 東宮侍中の局にて小宴の作 東宮侍中局:皇太子に仕える東宮坊(とうぐうぼう)の蔵人所(くろうどどころ)
道真二十六歳、文章得業生(もんじょうとくごうしょう)及第の頃の作と推定される。
秋華得地在春宮 秋華地を得て春宮(東宮)に在り 得地:よい土地を占めること
春宮:「東宮」に同じく皇太子のこと
萬歳将看一箇叢 万歳将に看(み)む一箇の叢(くさむら) 萬歳:万年の意。寿命や栄華の持続を祈る慶賀の言葉として用いられることが多く、ここもそれを兼ねる。
素片還慙芳意素 素片還りて慙(は)ず芳意の素(しろ)きに 素:白い意だが心の潔白を言うのにも用いる。
芳意:芳心に同じく、かんばしい心。ここは皇太子に仕える蔵人たちの心の誠実さをほめて言う
江房温對酔顔紅 江房温かに対す酔顔の紅 酔顔:酒に酔った顔
馨香畏減凄涼雨 馨香(けいこう)減ずるを畏(おそ)る凄涼(せいりょう)の雨 畏:恐れる、心配する。
氣色嫌傷晩暮風 気色(きしょく)傷むを嫌う晩暮の風 気色:ありさま、すがた。
欲惣繁華供殿下 繁華を惣(す)べて、殿下に供せんと欲すれど 惣:「揔」「総」に同じ。集めたばねる意
殿下:中国で皇太子などの尊称に用いられ、日本でも皇后・皇太子などの敬称とされたが後世にはより広い範囲に用いられた。ここは皇太子をさす。
不知何處路相通 知らず何処に路の相通ずるかを  
  秋の花々がよい土地を得て、春という名のついたここ東宮に咲いている。
東宮殿下のとこしえの栄華をことほぐように、これから万年もの長い間、花の咲くこの一むらの草を私たちは見ることになるだろう。
白い花びらは、ここにいるみなさんが東宮殿下を思う心の潔白さの前で、かえって恥ずかしそうに見える。
赤い花房は、酔ったわれわれの赤い顔に、やさしく向き合っている。
よい香りが、うらさびしい秋の雨に打たれて弱くなるのをわたしは恐れる。
美しい姿が、ひややかな夕暮れの風に吹かれていたむのは残念なこと
この咲き誇る花を集めて東宮殿下に献上したいと思うのだが、
どの道が殿下のお住まいに通じているのか、わたしにはわからないことだ
八月十五夜、月前話舊、各分一字 八月十五夜、月の前に旧(むかし)を話(かた)る、各一字を分かつ 話旧:昔の思い出を語り合う意
各分一字:詩宴の参加者がくじなどで一人一字ずつを決め、その字を韻字に用いる探韻がおこなわれたことを言う。
中秋の名月の夜に旧友と会して思い出を語り合った席で詠んだ詩。「菅家文草」の配列によれば貞観十三年(871)の作。時に道真は二十七歳。
秋月不知有古今 秋月、古今有ることを知らず 古今:昔といま。
一条光色五更深 一条の光色、五更深し 一条:一本、ひとすじ。
光色:光、かがやき。
五更:夜の時間を五つに区分したうちの最後の時間。おおむね午前四時ごろにあたる。
欲談二十餘年事 談(かた)らんと欲す二十余年の事  
珍重當初傾蓋心 珍重す当初(そのかみ)蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)けし心 当初:はじめ、最初の意
傾蓋:互いに車蓋、すなわち車の屋根を接近させて車を駐める意から、初対面なのに互いに親しむことを言う。
  秋の月には昔も今もなく、いつも同じかがやき。
ただひとすじの月の光がさえわたって、夜もすっかりふけた。
さあ今夜は、二十年以上も昔の思い出を語ろう。
最初のあの時、出会ったばかりなのにすぐ親しくなった、その当時の気持ちを、わたしは今も大切に思うのだ
海上月夜 海上の月夜 海上:海のほとりの意
干時祈神到越州 時に神に祈らんとして、越州に到る  
  貞観十八年(876)の秋、神社に祈願するため、越前の国(福井県)に行ったときの作。
秋風海上宿蘆華 秋風海上蘆華(ろか)に宿る 蘆華(ろか):秋のものさびしさを代表する花のひとつ
況復蕭蕭客望賖 況や復蕭蕭(しょうしょう)として客望(かくぼう)賖(はる)かなるをや 況復:第一句のものさびしい気持ちを更に強調する句法
復:況を強める助字
語笑心期聲閙浪 語笑すれば心期す声の浪を閙(さわ)がさんことを 心期:心に期す、心に当て測って思うこと
詩篇口號指書沙 詩篇は口号し指もちて沙(すな)に書く  
行遅淺草潮痕没 行くこと遅くして浅草は潮の痕(あと)に没(い)り  
坐久深更月影斜 坐(い)ること久しくして深更の月の影斜めなり  
若放往来憐勝境 若し往来して勝境を憐(め)でしめなば 放:「遣」などに同じく使役、~させるの意
越州買得一儒家 越州買うこと得ん一儒家  
  秋風のなか、浜べの蘆(ろ)の花が白く咲き散る浜べの宿に泊まる
まして、ものさびしい旅げしきが遙かにひろがるのは、何ともいえずしみじみとした風情
談笑すると、その声が浪を刺激し、騒がせ、かき立ててしまうように思われる
詩を作るときは、口ずさんで唱えながら、指を使って砂の上に書き付ける
海べをゆっくりと歩いていると、まばらに生えた丈の低い草が、満ちてきた海水(しお)の中に没し、
長くすわっているうちに、夜ふけの月の光は西に傾いた
若し何度も行き来して、すぐれた景勝の場所を賞美することができたなら、
ひとりの儒者であるわたしは、どこもかしこも風景のよいこの越州一国を、すっかり買い取ってしまうことになるだろう
暮春見南亜相山莊尚齒會 暮春、南亜相の山荘の尚歯会を見る 亜相:大納言を中国的に言った呼称
南亜相:大納言南淵年名(みなみぶちのとしな)のこと
尚齒:齢を尊ぶ、すなわち敬老の意
尚齒會:七十四歳の白居易が会昌二年(842)三月二十一日に七十歳以上の友人六名を自邸に招き、自分をあわせて七名で行った「尚歯之会」を模倣したもの
  貞観十九年(877)の暮春すなわち三月、道真三十三歳の作
逮従幽荘尚歯筵 幽荘の尚歯の筵に逮従すれば 逮:追いつく、追いかけてつかまえるの意
逮従:父の供として同道したことを言う
幽荘:幽玄な別荘。南淵年名の山荘をいう
筵:宴席。
宛如洞裏遇群仙 宛も洞裏に群仙に遇えるが如し 洞裏:洞窟の中。仙人は深山の洞窟に住むと考えられていた。
風光惜得靑陽月 風光は惜しみ得たり青陽の月 靑陽:春
遊宴追尋白樂天 遊宴は追い尋(もと)む白楽天 追尋:追懐する、思いたずねるの意。
占静不依無影樹 静かなるを占(し)むれども依らず影無き樹 無影樹:葉のない木
避喧猶愛有聲泉 喧(かまびす)しきを避(さ)くれども猶し愛す声ある泉  
三分淺酌花香酒 三分浅く酌む花香の酒 三分:十分の三。ここは、少なめの酒の量の意。
淺酌:深酔いしない程度に酒を軽く飲むこと
一曲偸聞葛調絃 一曲偸(ひそ)かに聞く葛調の絃 葛:太古の帝王と伝えられる葛天子のこと。
調:音の調子
絃:琴などの弦楽器
偸聞:なにげなくかりそめに聞く
撫杖將供扶酔出 杖を撫(と)りて供せんとす酔(えい)を扶(たす)けて出(い)づるに 扶:ささえる、たすける。ここは、尚歯会の参加者たちが、酔った体を自分でささえながら山荘から出てくることを言う。
留車且待下山旋 車を留めて且(しばら)く待つ山を下りて旋(めぐ)るを  
毎看吾老誰勝涙 吾が老を看る毎に誰か涙に勝(た)えむ  
此會當為悩少年 此の会当為に少年を悩ますべし 當為:当然の意を示す語
少年:年少の意。作者自身をさす
  奥深く静かな別荘でおこなわれる敬老の宴席に、供として来てみると、
その情景はまるで、仙界の洞窟でたくさんの仙人たちに出会ったかのよう
惜しむべき風光の季節はもう終わりかけているが、三月の今日はまだ美しい春景色。
その中でのこの宴は、ひたすらあの白楽天の尚歯会のあとを追いたずねる催し
この山荘は、俗世間を離れた静かなところに場所を占めているが、だからといって、風にも音を立てない、葉のない木に寄り添って立っているわけではなく、木々の緑が心地よい。
人々は俗世間の喧噪を避けてここに来ているが、泉水がたてる心地よい響きは嫌わずにいつくしむ
人々は、花の香りのする酒を、ほどよい程度に軽く飲み、
いにしえの葛天子の歌の調子の、喜びをうたう琴のひびきを、なにげなく聞いている。
わたしは杖を手に持って、酔いをおして山荘から出てくる老人の供をしようとする。
車をとめて、老人がうねった山道を下りてくるのをしばらく待っている
自分の親の老いた姿を見るたびに、いったい誰が涙をこらえきれようか。
めでたく祝われるはずのこの尚歯会は、こうして、わたしのような年少の者にとっては、心を悩ませるもととなるのだ
博士難 博士難(はかせなん)  
  文章博士の職をつとめるむつかしさ。菅家文草の配列等によれば元慶六年(882)道真三十八歳ごろの作。
吾家非老将 吾が家は老将に非ず  
儒學代歸耕 儒学帰耕に代(か)う 歸耕:引退し故郷に帰って農事にはげむこと 
皇考位三品 皇考位は三品(さんぼん) 皇考:ここでは祖父の意 
慈父職公卿 慈父職は公卿 公卿:摂政・関白以下、参議以上の官職の総称 
已知稽古力 已(すで)に知る稽古の力 稽古:古道を考える意から学問を言う
稽古力:学問の努力、およびその成果  
當施子孫榮 当(まさ)に施すべし子孫の栄え  
我擧秀才日 我秀才に挙げられし日 秀才:大学の紀伝道の学生である文章生(もんじょうしょう)の中から二名のみ選ばれる文章得業生(もんじょうとくごうしょう)の別名 
箕裘欲勤成 箕裘(ききゅう)勤めて成(な)さんと欲す 箕裘:箕(み)と裘(かわごろも)。よい弓作りとよい鍛冶屋の子は父の仕事を模倣して箕(み)と裘(かわごろも)を作るという意の古いことわざがあり、そこから、父祖の業を受け継ぐことを言うのにも用いる。
我為博士歳 我博士と為(な)りし歳  
堂構幸經営 堂構幸いに経営す 堂構:「尚書」の言葉にもとづく語で、父の設計を子が受け継いで堂屋を構築するという意味から「箕裘(ききゅう)」と同じく父祖の業を継承する意にも用いる。
経営:家屋の建築の際に土地を計測して土台を据える意から転じて、ものごとの基礎をさだめること。ここは、作者が文章博士になって家業継承の基礎が固まったことを言う。
萬人皆競賀 万人皆競い賀せしに   
慈父獨相驚 慈父独り相驚く 相:動作が相手に向かうことを示す助字 
相驚何を以故 相驚く何を以(もっ)ての故ぞ   
曰悲汝孤惸 曰く汝が孤惸(こけい)なるを悲しむ 孤惸:惸孤(けいこ)に同じ。頼るもののない独り者の意
博士官非賤 博士官は賤しきに非ず  
博士禄非軽 博士禄は軽(かろ)きに非ず  
吾先經此職 吾先に此の職を経(へ)しに  
愼之畏人情 愼(つつし)みて人の情(こころ)を畏れたりと  
始自聞慈誨 始めて慈しみの誨(おし)えを聞きしより 慈誨:情け深い教訓
履氷不安行 氷を履(ふ)みて安らかに行かず 履氷:薄い氷を踏み、割れることを恐れながら歩くことから、びくびくしてすごす意に用いる。
安行:のんびりとおこなうこと。
四年有朝議 四年朝議有り  
令我授諸生 我をして諸生に授けしむ  
南面纔三日 南面して纔(わずか)に三日 南面:北側から南向きに座を占めること。本来は天子の位置であるが、ここは大学寮で学生に授業をする時の教師の位置として言う。
耳聞誹謗聲 耳に誹謗の声を聞く  
今年修擧牒 今年挙牒(きょちょう)を修せしに 挙牒(きょちょう):人を推挙する公文書。ここは、文章博士として、文章生の中から特定の人物を文章得業生に推挙する文書を言う。
取捨甚分明 取捨甚だ分明なり 分明:はっきりと明白なさま。
無才先捨者 才無く先に捨てられし者  
讒口訴虚名 讒口(ざんこう)虚名を訴(うった)う 讒口(ざんこう):讒言に同じ。
虚名:名前だけで内容が伴わないこと。
教授我無失 教授我失無し
選擧我有平 選挙我平有り 選挙:良いものを選び挙げる意。
誠哉慈父令 誠なる哉慈父の令(おし)え
誡我於未萌 我を未だ萌(きざ)さざるに誡(いまし)む 未萌:まだそのことがおこらない前。
   わたしの家は軍事経験豊富な老将の家ではない
老将が引退し故郷で農作をする代わりに、わたしの家では儒学を学ぶ。
祖父は三位(さんみ)の位に至り
父は公卿の職にある
学問の努力の結果がどんなものかわたしはすでに知っている。
努力すれば子孫にも繁栄をもたらすはずなのだ
取り立てられて秀才となったとき
父祖以来の家業である学問を、わたしは努力して成し遂げようと思った。
文章博士となった時
父祖以来の家業の基礎を、わたしは幸いにも築くことができた。
文章博士になったことを、多くの人が競うように祝福してくれたが、
父だけはあわておそれている様子だった
父があわておそれているのはいったいなぜなのか
父が言うことには、「わたしはお前が頼る相手もいない孤独な存在になることを悲しんでいるのだ
文章博士はけっして卑賤な官職ではなく
報酬も少なくない(だからこそ人はおまえをねたみそねむであろう)
わたしは以前この職を経験したが、
そのときは身をつつしんで、人のおもわくをおそれはばかっていたのだ」と
父の慈愛に満ちた教えをはじめて聞いて以来、
わたしはいつも戦々兢々、のんびりと事をおこなうことがなかった。
元慶四年の朝廷の会議で、
わたしが大学寮の学生に授業をすることが決まったが、
教師として授業をするようになってわずかに三日目、
はたしてわたしを非難する噂が聞こえてきた
わたしは今年、文章得業生推挙のための公文書を作成したが、
合否の基準はとても明白で、あやふやなところはなかった。
それなのに、才能がないのでまず不合格になった者が、
あの文章博士は名前だけで見識がないと、悪口を言って訴えたのである。
わたしの教え方にあやまりはなく
わたしの推挙は公平だった。
それでもこんな非難がおこるとは、父の教えはまことに正しく、
ことがまだおこらない未然のうちにわたしを誡めてくれたのだ。
春日過丞相家門 春日、丞相が家門に過(よ)きる 丞相:左右大臣の唐名
過:立ち寄る、訪れること
  ある春の日に、大臣の邸宅の門のあたりに立ち寄って。「菅家文草」の配列によると元慶七年(883)頃の作と思われる。
除目明朝丞相家 除目(じもく)の明(あくる)朝丞相が家 除:官職などの段階
目:任命書
除目(じもく):官職に当たる者を決定する人事。春には地方官を任命する県召(あがためし)、秋には左京の諸官を任命する司召(つかさめし)がおこなわれた。
無人無馬復無車 人無く馬無く復車無し  
況乎一旦薨亡後 況や一旦薨亡(みまかり)し後をや  
門下應看枳棘花 門の下(もと)看るべし枳棘(からたち)の花 枳棘:からたちといばら。ともにとげの多い落葉灌木
  地方官の人事が決定してしまった翌日の朝、深閑とした大臣の邸宅
人も馬上の姿も見えず、また牛車の訪れもない静けさ
こんなことでは、ましてひとたび逝(ゆ)きたもうた後は、
もはや訪れる人もおらず、ただ門のあたりに枳棘の花が白く咲くのが見えるばかりだろう
夏夜於鴻臚館、餞北客帰郷 夏の夜に、鴻臚館(こうろかん)にして、北客(ほくかく)の帰郷するに餞す 鴻臚館:外国の使節を接待する館で、平安京・大宰府・難波に設けられていた。
北客(ほくかく):日本海の北方から来た客
ここは元慶六年(882)加賀国(石川県)に着岸した渤海国大使裴頲(はいてい)の一行百五人をさす。
  夏の夜、平安京の迎賓館で、北方から来朝した渤海国使一行の帰国を送別する宴を開いて
帰歟浪白也山青 帰らん歟(か)浪白く也(また)山青し 歟:別れて帰ろうとする際に起こる詠嘆的な気持ちを示す助字
也(また):亦と同じ意味
恨不追尋界上亭 恨むらくは界上の亭を追尋せざることを 界上:国境の近辺。ここは、山城(京都)と近江(滋賀)の国境にある逢坂関のあたりをいう。
亭:宿駅にある離れの小建築物。
腸斷前程相送日 腸は断(た)ゆ前程に相送る日 相:助字
相送:相手を送る意。
眼穿後紀轉來星 眼は穿(うが)たる後紀に転(まろ)び来る星 眼穿:強く見つめること。
後紀:次の十二年をいう
轉來星:十二支の如く十二年に一度天を一周しもとにかえって来る歳星(五星の一つ、木星)
征帆欲繫孤雲影 征帆繫がんとす孤雲の影 繫:帆に雲の影がまつわるさまを、帆の縁語で「繫ぐ」といったもの
客館爭容數日扃 客館争(いか)でか容(い)れん数日の扃(けい) 争:反語の助字
扃:かんぬき、門の戸。
惜別何為遙入夜 惜別何為(なんす)れぞ遙かに夜に入る
縁嫌落涙被人聽 落涙人に聴(き)かるることを嫌うに縁る 縁:因に同じく原因や理由などを示す助字。
   帰歟(きよ)の歌をうたいつつ帰国しようとなさる皆様たちよ、日本海の波は白波、また北陸の山は青山、
こんな風景をあとにして国ざかいの宿駅(うまや)の亭(ちん)のあたりまで追っていってお送りできないのは残念千万なことです
帰りゆきたもう遠い道程を見送る今日、腸のちぎれんばかりの悲しい思いがします。
12年後、めぐって来る歳星(もくせい)のようにまたお逢いできるとは思うものの、いざ別れるとなっては、穴のあくほど皆様を見つめずにはおれません
帰りゆく船の帆には、つなぎとめようとするかのようにひとひらの雲の影がまつわりつくことでしょう。
皆様をねぎらうこの館はあと数日間の門の出入りを許すこともなく、遺憾ながら皆様の出発をせきたてています
別れを惜しむこの宴は、どうして深く夜更けにまでも及ぶのでしょうか。
それは私が落とす涙を、皆様にさとられたくないと思うからなのです
水中月 水中の月 水中:水に映った月影を水面でなく水底にあるものと見て言う。
満足寒蟾落水心 満ち足りたる寒蟾(かんせん)水心に落(お)つ 蟾:蟾蜍すなわちひきがえるのこと。「月中に蟾蜍有り」とあるように、月中に棲むとされ、転じて月の異名に用いる。
寒蟾(かんせん):冬の月
水心:水の中央
非空非有兩難尋 空に非ず有に非ず両(ふた)つながら尋ね難し 非空非有:「空」でもなく「有」でもないこと
潜行且破雲千里 潜行して且つ破る雲千里  
徹底終無影陸沈 徹底して終に無し影の陸沈すること 徹底:いちばん底まで達すること
陸沈:水中でもないのに沈むという意で、賢人がおちぶれて埋もれていることを言う語
圓似江波初鑄鏡 円(まろ)きことは江波に初めて鏡を鋳るに似たり   
映如沙岸半披金 映りては沙(いさご)の岸に金(こがね)を半ば披くが如し 披金:披(沙金)さきんに同じく、砂金の袋を開くこと
沙岸半披金:岸辺に映っている月影がなかば砂の岸辺にかかって半分だけが水の上で耀いているさま
人皆俯察雖清淨 人皆俯(ふ)して察(み)て清淨なりと雖も  
唯恨低頭夜漏深 唯恨むらくは頭をたれて夜漏の深きことを 唯恨~:ただ~だけが残念だという意。
低頭:うつむいて頭をさげること
  欠けたところのない冬の満月が水に映ってまるで水の中央に落ちたかのよう
そのありさまは、存在していないわけでもなく、また存在しているのでもなくて、どちらと考えても実体は追求しがたい。
月の影は、水中を潜って進んでゆくが、それでいて同時に、千里も離れた雲をつき破って姿を見せる。
月の光は、水中の一番深いところまで達しているが、だからといってその姿は俗界に埋もれたりはしない
そのまんまるな姿は、揚子江の中央の波の上でいま鋳たばかりの鏡のよう。
照り輝く様子は、砂の浅瀬に袋を開いて半分だけこぼし広げた砂金のよう
人が見な、うつむいて観察すると、水中の月は清らかで美しいが、
ただ、頭を垂れているうちに夜がふけて、月が沈んでしまうのが残念なことだ
中途送春 中途にして春を送る 送春:三月尽、すなわち春が終わる三月末に、去りゆく春を送る、の意。
  道真は、仁和二年(886)一月、讃岐守に任ぜられた。この詩は、京より讃岐(香川県)への赴任途上の作。
春送客行客送春 春は客行(かくこう)を送り客(かく)は春を送る 客行:讃岐へ下る旅。
傷懐四十二年人 傷懐(しょうかい)す四十二年(よそじあまりふたとせ)の人 四十二年人:四十二歳の人、菅原道真自身をさす。
思家涙落書齋舊 家を思いては涙は落(お)つ書斎旧(ものふ)りて 書斎:道真の家の名高い書斎。多くの秀才進士(しんじ)が出入りしたことが、道真の「書斎記」に記されている。
在路愁生野草新 路に在りては愁えは生(あ)る野草新たにして  
花爲随時餘色盡 花は時に随わんが為に余色尽き 余:単に残る意だけではなく、損なわれたの意をも含もう。
鳥如知意晩啼頻 鳥は意(こころ)を知るが如く晩啼(ばんてい)頻(しき)る 意:都を離れて讃岐へ赴任する道真の心中。
晩啼:鳥が晩に鳴くこと。
風光今日東歸去 風光今日東(ひんがし)に帰り去(い)ぬ 東:春の来りまた去る東方。ここは特に東方に当たる京都を想起させる。
一兩心情且附陳 一両の心情且つ附陳せん 且:ともかくも、いささかの意。
附陳:ものに寄せて述べる意か。都の人々にこの詩を呈したいの意をも含もう。
  春はわたしの旅を見送り、旅人の私は逝く春を見送る。
あれこれと心はいたむよ、四十二歳のわたしは
都のわが家のことを思うと涙がこぼれる。ことにあの書斎もふるびてしまって。
旅の途中では旅愁(たびのうれい)が起こってくる、野べの春草は新しく萌えていて
春の花は時節の移行に従おうとするために、残りの褪せた色も今や尽き
春の鳥は旅人の私の心を知っているかのように、夕方しきりに鳴く
風も光も、春の尽きる今日、東のほうへ去ってしまう。
愁いに満ちたわたしの思いの若干を、東へと去りゆく春に託して、いささか都の人に伝えたい
早秋夜詠 早秋の夜詠  
  初秋の秋の夜の詠作。仁和二年(886)初秋七月、道真四十二歳、讃岐に着任して約4箇月後の作。
初涼計會客愁添 初涼計会して客愁添う 計会:はかってあわせる、計算するの意。
客愁:旅の愁い。
客:旅人の意で、ここは都を離れて讃岐にいる作者自身を言う。
添:添い加わる意。
不覺衣襟毎夜霑 覚えず衣襟の毎夜に霑(うる)うことを  
五十年前心未嬾 五十年前心嬾(ものう)からず 嬾:ものうくて何もやる気にならない状態。
二千石外口猶拑 二千石外口猶し拑(かん)す 二千石:漢代の刺史の俸給が二千石だったことから、地方官の異名に用いる。ここは讃岐の国守のこと
拑:口をつぐむ意。
家書久絶吟詩咽 家書久しく絶えて詩を吟じて咽(むせ)ぶ  
世路多疑託夢占 世路多く疑いて夢に託して占う 世路:世をわたる道、処世の方法。
多疑:疑わしいことが多いこと。
莫道此間無得意 道(い)うこと莫(なか)れ此間(ここ)に意を得ること無しと 得意:心にかなうこと、思いどおりになること
清風朗月入蘆簾 清風朗月蘆簾(ろれん)に入る 蘆簾:葦で編んだすだれ、よしず。都では一般に竹で編んだすだれが用いられ、宮中では大嘗会(だいじょうえ)と諒暗(りょうあん)の際にのみ、葦で編んだ質素なすだれが用いられた。
  秋の初めの涼しさがおとずれると、まるではかったように旅の愁いが増す。
気づかないうちに、夜ごとに衣の襟が露と涙で濡れるのだ
五十歳になっていないわたしは、まだまだものうくてやる気のない気持ちにはなっておらず、さまざまなことに意欲がある。
けれども、国司のわたしは、その職務以外のことについては口をつぐんでいるばかり
家からの便りはながらく途絶え、わたしは詩を口ずさんではただむせび泣く。
世間をわたってゆく方途には疑わしいことが多く、いっそ夢に任せて占おうと思う
ただし、ここで、わたしの心にかなうものが何もないなどと言ってはいけない。
清らかな風とほがらかな月が、葦で編んだひなびたすだれをすかして入って来るのだから
春盡 春尽く  
  春の尽きる三月三十日に自分の思いを述べた詩。「菅家文草」の配列によれば讃岐赴任の翌年仁和三年(887)の作。
風月能傷旅客心 風月能(よ)く傷(いた)ましむ旅客の心を 旅客:都を離れて讃岐にいる道真自身をさす。
就中春盡涙難禁 就中(なかんずく)に春尽くるに涙禁(とど)め難し 就中(なかんずく):とりわけ。
去年馬上行相送 去年(いにしとし)馬の上にして行きゆきて相送り 去年:仁和二年の三月をさす
相:助字
今日雨降臥獨吟 今日雨降りて臥して独り吟(うた)う  
花鳥從迎朱景老 花鳥朱景を迎(むか)うるに従いて老い 朱景:朱明(夏)の光
鬢毛何被白霜侵 鬢毛何ぞ白霜に侵(おか)さるる 白霜:白髪を霜にたとえたもの
無人得意倶言咲 人の意(こころ)を得て倶(とも)に言咲(げんしょう)することも無く 言咲(げんしょう):言笑に同じく談笑すること
恨殺茫茫一水深 恨殺す茫茫として一水(いっすい)深きことを 殺:恨むことを強調する助字
一水(いっすい):一すじの水流。人と人を隔てるものとして用いられることが多い。ここは讃岐の国府から見える瀬戸内海を、都の人々と自分を隔てるものとして言う。
  吹く風、照る月などの自然の織りなすあやは、とかく旅人であるわたしの心を感傷にひたらせがち。
特に春の終わる弥生三十日の名残惜しさは、涙を抑えることができないほどだ
昨年は赴任の途中旅を続けながら馬の上で春を見送ったが、
今年の春の尽きる今日の日は雨の降る官舎に臥したまま一人さびしく詩を口ずさんでいる
春の花や鳥などは夏の光を迎えるままに老いてゆき
私の鬢の毛も、冬でもないのに、なぜか霜に侵されたように白くなってゆく
満たされた心で共に楽しく談笑する相手もなく
ひとすじの広い内海に隔てられているこの身のわびしさを、ただ恨むばかり
  詩を吟ずることを勧めて、紀秀才に寄す  
風情断織壁池波 風情断織す壁池の波 風情:心に抱懐する意志
断織:織りかけている布を断ち切ること、中途で学を廃することの喩え
壁池:周代天子が設けた学校である辟雍(へきよう)のまわりをめぐる池
更怪通儒四面多 更に怪(あや)しぶ通儒の四面に多きことを 通儒:博学で万事に通達する学者
問事人嫌心轉石 事を問(と)ひては人は心に石を轉(まろば)すがごとけむかと嫌(うたが)はる  
論經世貴口懸河 經(けい)を論(あげつら)ひては世は口に河(かは)を懸(か)くるがごときことを貴(たふと)ぶ  
應醒月下徒沈醉 月の下にして徒に沈醉(ちむすい)することより醒(さ)むべし  
擬噤花前獨放歌 花の前にして獨り放歌することを噤(つぐ)まむと擬(す)  
他日不愁詩興少 他日愁(うれ)へず詩興の少(すくな)からむことを  
甚深王澤復如何 甚深(じわしむ)の王澤(わうたく)復(また)如何(いかん)とかせむとする   
  学の世界に波は絶えぬ堅かるべき意思もずたずた
しかも何ぞやあたり一面大学者さまのお通りだ
一旦事が生ずればご連中心の中にはごろごろ転がる石しかないかと疑うばかり
経典を論じるとなれば世間というやつべらべらまくしたてる人間ばかり有難がる
月をいただき空しく酔いに沈むことから目を醒ませ
花を前に勝手に放歌高吟する口をとざせよ
心配いらぬさ後日君に詩興が衰えることはあるまい
天子の恵みは甚だ深く広いのだから
夏日偶興    
     
臥見新圖臨水障 臥しては新圖(しんと)の臨水(りむすい)の障を見る  
行吟古集納凉詩 行きては古集の納凉の詩を吟ず  
區區心地無煩熱 區區(まちまち)なる心地煩しき熱なし  
唯有夢中阿滿悲 ただ夢の中に阿滿(あまろ)の悲しむこと有(あ)らくのみ  
  寝そべっては絵師に新たに描かせた水べりの図の屏風をながめ
散策しては古人の詩集の納涼の詩句をくちずさむ
早春の内縁に仁寿殿に侍りて同じく「春娃(しゅんわ)気力なし」といふことを賦す製に応へまつる一首    
紈質何爲不勝衣 紈(しらぎぬ)なす質(かたち)の何爲(なにせ)むとてぞ衣に勝(た)へざる  
謾言春色滿腰圍 謾(いつは)りて言(い)へらく春の色の腰の圍(めぐ)りに滿(み)てりと  
残粧自嬾開珠匣 残粧自ずからに珠匣(しゅかふ)を開くにすら嬾(ものう)し  
寸歩還愁出粉闈 寸歩還(かへ)りて粉闈(ふんゐ)を出(い)でむことをだに愁(うれ)ふ  
嬌眼曾波風欲亂 嬌(こ)びたる眼は波を曾(かさ)ねて風亂(みだ)れむとす  
舞身廻雪霽猶飛 舞へる身は雪を廻らして霽(は)れてもなほし飛べり  
花間日暮笙歌斷 花の間(ひま)に日暮れて笙の歌斷えぬ  
遙望微雲洞裏歸 遙かに微かなる雲を望みて洞の裏に歸る  
  舞姫の白絹の肌はどうして衣の重さにさえ堪えがたいように見えるのだろう
春の色が私の腰のまわりに満ちているのですものと、舞姫は見えすいたうそを言う
化粧もくずれかけ小物を蔵う珠の手筥を手で開けるすら物憂い
わずかな距離の宿舎でも門を出て帰ってゆくのは悲しい気分
媚を含んだまなこは風に乱れて次々に立つ波のよう
軽やかな身のこなしはさながら舞う雪晴れてなおひらひらと飛ぶ
花の間に日は落ち笙の音も絶え
舞姫たちは遙かな山にかかる薄雲を望み見つつ彼女らの奥深いすみかに帰る
春日獨遊 (春日独り遊ぶ)と題する三首の連作の一番  
放衙一日惜殘春 衙(が)を放たれて一日殘(のこ)んの春を惜しむ 衙:役所
水畔花前獨立身 水の畔花の前にして獨り立てる身  
唯有時時東北望 ただ時時東北のかたを望むことあらくのみ  
同僚指目白癡人 同僚指さし目つく白癡の人なりと  
    
春日獨遊その二    
花凋鳥散冷春情 花凋み鳥散じて春の情(こころ)ぞ冷(すさま)しき  
詩興催來試出行 詩興催され來りて試みに出でて行(あり)く  
昏夜不歸高嘯立 昏(くら)き夜も歸(かへ)らずして高く嘯(うそぶ)きて立てれば  
州民謂我一狂生 州(くに)の民は我を一(ひとり)の狂生(たぶれを)なりとこそ謂(い)はめ  
   
春日獨遊その三    
日長不得久眠居 日長けて久しく眠(ねぶ)り居(を)ること得ず  
出引諸児且讀書 出でて諸児を引き且がつ書(ふみ)を讀む  
適遇多情垂釣叟 たまたま多情の釣を垂(た)る叟(おきな)に遇(あ)ふ 多情の叟:情藻豊な老人
各言其志不言魚 各其の志を言ひて魚(いを)のことを言(い)はず  
   
獨吟     
牀寒く枕冷到明遅 牀寒く枕冷ややかにして明(よあけ)に到ること遅し  
更起橙前獨詠詩 更(あらた)めて起きて橙前に獨り詩を詠む  
詩興変來爲感興 詩興変じ來りて感興をなす  
關身万事自然悲 身に關(かかは)る万事自然に悲し  
  冬の寄る寝についたもののあまりの寒さに眠ることができない。夜は長い。
やおらまた起き出して、燈火をともして独り詩を詠もうとするうち、
一種の自転エネルギーのごときものの働きが詩興そのものの内側で活発になり湧然たる感興が形づくられる。
その感興の中心にあるのは、しかしながら悲哀の感情だ。
思えば身に関わる万事、自然に悲しいのだ
残橙    
耿耿寒燈夜讀書 耿耿(かうかう)たる寒き燈(とぼしび)夜(よは)に書(ふみ)を讀む  
煙嵐度牖欲如何 煙嵐の牖を度(わた)りて如何にかせむ  
微心半死頻挑進 微心半ば死にて頻りに挑(かか)げ進めば 微心:自らの心と燈火の芯とのダブル・イメージ
折盡枯蒿一尺餘 折(くじ)き盡(つく)す枯蒿(かれよもぎ)一尺餘(あま)り  
  耿耿たる寒橙のもと夜ふけて書を読む
煙霧のごとき風が窓をうってどうしたらいいのか
わが心も灯芯もなかば死なんとしてなおも芯をかきたて読み進めば
枯よもぎの灯芯はついに燃え尽きてしまった一尺余り
開元の詔書を読む    
  醍醐天皇昌泰4年7月15日を持って元号が延喜と改まった。そのとき出された証書を同年正月25日突如として右大臣から太宰員外の帥に左遷され道真が配流の地で読んだときの感慨をのべた詩。
哀哉放逐者 哀しきかな放逐せらるる者(ひと)  
蹉跎喪精靈を 蹉跎(さた)として精靈を喪(うしな)へり  
   
叙意一百韻    
與誰開口説 誰と與(とも)にか口を開きて説(と)かむ  
唯獨曲肱眠 ただ獨り肱(ひぢ)を曲げて眠(ねぶ)る  
鬱蒸陰霖雨 鬱蒸たり陰霖(いむりむ)の雨  
晨炊斷絶煙 晨炊(しんすい)煙(けぶり)を斷ち絶つ  
魚觀生竈釜 魚觀(ぎょくわん)竈釜(さうふ)に生(な)る  
蛙咒聒階甎 蛙咒(あじゅ)階甎(かいせん)に聒(かまびす)し  
野豎供蔬菜 野豎(やじゅ)蔬菜を供す  
廝兒作薄饘 廝兒(しじ)薄饘(はくせん)を作る  
  いったい誰とともに口を開いて語り合おうか
肱を枕に独り眠るのみ
鬱々と蒸すこの陰霖(さみだれ)の長雨
朝ごとの炊事をするのもとだえがちに
かまどや釜には水がたまって小魚が泳ぐ
蛙どもは階段の敷瓦でやかましく咒文を唱える
台所を手伝う子は薄がゆを作る
哭奥州藤使君 奥州なる藤使君(藤原滋実)を哭す  
延喜元年(901年)九月二十二日の日付のある四十韻つまり八十行の詩
曾經共侍中 曾經(むかし)共に侍中たりき 侍中:蔵人の唐名
了知心表裏 心の表と裏とを了(さと)り知れり  
雖有過直失 直きに過ぎたる失有りとも  
矯曲孰相比 曲がれるを矯(た)むること孰(たれ)か相(あひ)比(なら)べむ  
東涯第一州 東涯に第一(ていいつ)の州 東涯に第一の州:東国最北端の国すなわち陸奥
分憂爲刺史 憂へを分かちて刺史(しし)たり 分憂:受領、国守となること
刺史:国守の唐名
盈口含氷雪 口に盈(み)てて氷雪を含む  
繞身帯弦矢 身を繞(めぐ)りて弦矢を帯びたり  
僚屬銅臭多 僚屬銅臭多し 銅臭:金銭によって官を買った者のこと
鑠人煎骨髄 人を鑠(ねや)して骨髄を煎りぬ  
     
歸来連座席 歸り来りて座席に連なる  
公堂偸眼視 公堂眼を偸(ぬす)みて視る  
欲酬他日費 他日の費えを酬いむことを欲(ほ)りするに  
求利失綱紀 利を求めて綱紀を失(うしな)へるなり  
官長有剛腸 官長剛腸有らば  
不能不切齒 齒を切(しば)らざること能(あた)はざらむ  
定應明糺察 定めて明らかに糺察(さうさつ)して  
屈彼無廉耻 彼の廉耻(れんち)無きひとを屈(くゐつ)すべし  
盗人憎主人 盗人は主人を憎む  
致死識所以 死を致して所以(ゆえ)を識(さと)る  
  任満ちて帰京し賄賂を贈った上司と座席を連ねる
宮中の役所では贈賄者収賄者眼顔でうなずき合っている
東国からの贈りものに何らかの酬いをせんとて
利欲に目もくらみ国政の大綱をも細則をも忘れはてる
上役に剛毅で腹のすわった人がいたなら
かかる腐敗に切歯扼腕せずにいられようか
定めし不正を糺弾し観察して
かかる不届きな破廉恥漢を屈服させるにちがいない
さすれば盗人は主人を逆恨みして憎悪し
主人はわが命を失ってはじめて事の成行きを悟るのだ
     
精靈入冥漠 精靈冥漠に入りて  
不由見容止 容止を見るに由あらず 容止:振舞い
骸骨作灰塵 骸骨灰塵と作(な)りて  
無處傅音旨 音旨(いむじ)を傅(つた)ふるに處(ところ)なし  
葬來十五旬 葬りてよりこのかた十五旬 十五旬:百五十日
程去三千里 程は去ること三千里 三千里:東国と大宰府との間の距離
廻環多日月 廻り環(めぐ)る多くの日月  
重複幾山水 重なり複(かさな)る幾ばくの山水ぞ  
憶昔相別離 憶昔(むかし)相別離しつ  
寧知獨傷毀 寧(なん)ぞ獨り傷毀(しやうくゐ)することを知らむや  
君閒泉壌入 君は閒(しづか)にして泉壌(せんじょう)に入りたまひしに 泉壌:黄泉
我劇泥沙委 我は劇(いそがは)しくして泥沙に委(ゆだ)ねられつ  
天西與地下 天の西と地の下と  
隨聞爲哭始 聞く隨(まにま)に哭(かな)しびの始めをなす  
     
哭罷想平生 哭すること罷(や)みて平生を想ふ  
一言遺在耳 一言遺(のこ)りて耳に在り  
曰吾被陰徳 曰く吾陰徳(いむとく)を被(かかふ)れり  
死生将報尓 死すとも生(い)くとも将に尓(なむぢ)に報いなむとおもふといへり  
惟魂而有靈 惟魂(たましひ)にして靈有るものならば  
莫忘舊知己 舊(むかし)の知己をわするること莫(なし)  
唯要持本性 唯要(かなら)ず本性を持して  
終無所傾倚 終に傾倚(けいい)するところなからしめむことを  
君瞰我区慝 君我が区慝(くゐようとく)を瞰(み)ませば  
撃我如神鬼 我を撃つこと神鬼(しんくゐ)の如くあらまし  
君察我無辜 君我が辜(つみ)無きを察(み)ませば  
爲我請冥理 我がために冥理(めいり)を請(こ)ひてまし  
冥理遂無決 冥理遂(つひ)に決すること無くは  
自玆長已矣 玆(こ)れより長く已むなむ  
言之涙千行 言(ものい)へば涙し千行(ちつら)ながる  
生路今如此 生路今し此(かく)の如し  
聞之腸九轉 聞けば腸九(ここの)たび轉(めぐ)る  
幽途復何似 幽途(いうと)復何似(いかん)ぞ  
拙詞四百言 拙詞(ぜっし)四百言  
以代使君誄 以(これをもち)て使君が誄に代(か)へむ  
  哭すること罷(や)みて道真はもう一度滋実との半生を想い起こします
かつて相手から言われた一言が耳に残っています。
滋実は道真にこう言ったことがあるというのです。
私はあなたの人知れぬおかげを蒙っています。
死んでしまっても、生きていても、生死を超えてあなたに受けたご恩を報じたいと思っています。
道真は滋実の霊に対して訴えます。
君の幽魂にしてもし霊が宿るものならば、
ねがわくは昔の友を忘れることなかれ。
私はわが本性をしっかと保ち、
ぐらつかずに生きてゆけるようこいねがっている。
君の精霊よ、そういう私を支えてくれ。
もし私に凶慝、すなわち道理にはずれた姦悪の行いがあると見るなら、
神鬼となって私を撃ちくだくがいい。
もし私が無辜の冤罪で苦難をなめていると見るなら、
天道に照らして冥冥の理を明らかにすべく、天に請うてくれ。
その天道の冥理をもってしてもついに事に決着をつけることができないというのなら何をかいわん。
以後とこしえに沈黙するのみ。
もの言えば、涙はとどまるところを知らない。
私の人生は、今やかくのごとくだ。
君の訃を聞けばわがはらわたは九回もねじれにねじれる。
ああ君のゆく冥途の旅はどういう様子だ。
拙い五言古詩四百字これをもって君を悼む誄に代える。
叙意一百韻    
  延喜元年(901年)十月の作。二百句(二百行)から成る長編で、道真の全作品中最大の詩篇。
   
  左遷という青天の霹靂に見舞われ、「貶(おと)し降(くだ)されて芥よりも軽く駈り放たれて急(すみやか)なること弦(ゆむづる)の如く西海へ追放された衝撃。
   
  西下途上の悲惨な旅。その一節。
傅送蹄傷馬 傅(むまや)は蹄の傷(やぶ)れにたる馬(むま)を送る  
江迎尾損船 江(かう)は尾(とも)の損(そこなは)れにたる船を迎(むか)ふ  
郵亭餘五十 郵亭餘(あま)ること五十  
程里半三千 程里三千に半ばせり  
     
   
  大宰府に到着して南楼(南館)の前に車をとどめる。南北の道路には遙かなむこうまで好奇の見物人がつめかけている。連中を前に
嘔吐胸猶逆 嘔吐して胸もなほし逆(さか)ひぬ  
虡勞脚且癴 虡勞して脚も且(また)癴(な)えにたり  
     
   
  そういうみじめさの中で、わが身に加えられた不条理きわまる「妖害」「悪名」をはねのけ、取り除かずにはおかぬと誓う。未だ曽て邪は正に勝たずと。
     
   
移徒空官舎 空しき官舎に移徒り  
修營朽松椽 朽(く)ちたる松椽(しょうてん)を修め營む 松椽(しょうてん):松材のたる木
荒凉多失道 荒凉として多く道を失ふ  
廣袤少盈廛 廣袤(こうぼう)少しきも廛(いちくら)に盈(み)つ 廣袤(こうぼう):地面の広さ
廛(いちくら):宅地
井壅堆沙甃 井壅(ふた)ぎて沙(いさご)を堆(うづたか)くして甃(いしたた)む  
籬疎割竹編 籬(まがき)疎かにして竹を割きて編む  
陳根葵一畝 陳(ふる)き根の葵一畝  
斑薜石孤拳 斑なる薜(こけ)の石孤拳(ひとにぎり)  
     
   
  こんな場所に棲むことになって、思いは自然に流謫の憂き目にあった古人たちのことに及び、彼らとおのれを引き較べます。陰の賢人傅説、越の忠臣范蠡(はんれい)
     
   
  自分が左遷のわずか三週間たらず前、事もあろうにわざわざ従二位に昇進させられたのち、一気にひきずりおろされたあの事件を苦々しく回想し、それにひきかえ古い友人や家族らが親身に自分をいたわってくれたことを懐かしむ。そういう苦しみをなめながら人々に支えられて生きてきたのだから、今さら早く死にたいなどとどうして思えようか、私は生きるのだ、と彼は考えます。
既慰生之苦 既に生(いのち)の苦しきことを慰む  
何嫌死不遄 何ぞ嫌(きら)はむ死の遄(すみやか)ならざることを  
     
   
  こうして日が移り春も尽きます。初夏の太陽が明るく輝き、自分も土地の風習に徐々になじんでいかねばならないと彼は考えます。
     
   
  その土地の風習とは一体どんなものか。道真はかつて四国の讃岐で「寒早十首」を書いたことのある詩人として、十句にわたって九州北部のこの土地の人間たちの生態を書いていますが存疑の詩句もあって意味のよくつかめない所もあります。幽居の身ですからまたぎきや噂話に類する取材も多かったことでしょう。人をだまして銭をまきあげる布商人、何の苦もなく簡単に人殺しをやってのける悪党、のどかな顔をして肩を並べている群盗・・・
     
   
  季節は五月雨のじめじめした時期に入ります。すでに引用した「誰と与(とも)にか口を開きて説かむ」以下の詩句に描かれているわびしい日常。おのずと詩句は自嘲の調子を帯びます。
痩同失雌鶴 痩せては雌(めどり)を失(うしな)へる鶴に同(ひと)し  
飢類嚇雛鳶 飢ゑては雛を嚇(かかやか)す鳶に類(たぐ)へり  
壁堕防奔溜 壁堕(やぶ)れて奔溜(ほむりう)を防ぐ  
庭埿導濁涓 庭埿(まみ)れて濁涓(だくけん)を導く  
     
十一    
  それでも雨があがれば太陽はさんさんと照り、時には心を虚しくしてやや明るい心境になることもある。人ととりとめなく話しているうちに話は玄境に入ることもある。老荘をはじめとする中国諸家の思想を念頭に思いうかべ夢よりも幽かな境地に遊ぶこともあります。
     
十二    
  風月の情趣に遊ぶ癖は一向にあらたまらないけれどさりとて自分の書く文の華は、一体どこへ散ってゆくというのだろうか。ものを書いてもつい口をつぐんでしまうのはその筋の忌諱にふれるのを恐れるからだし筆がちびてのびのびしたことが書けないのは自分の心に狂想が巣食っているからだ。道真はこう言って詩友もなければ詩想も弾まない自分の孤独な状態をひとつひとつ確認しこれが宿命なのだとあきらめるよう自らに命じます。
     
十三    
  さらに進んで仏に合掌して帰依し、座禅を組んでいるとも書きます。
厭離今罪網 厭離(をんり)す今の罪網  
恭敬古眞筌 恭敬す古(むかし)の眞筌(しんせん)  
皎潔空觀月 皎潔たり空觀の月  
開敷す妙法の蓮 開敷(かいふ)す妙法の蓮(はちす)  
     
十四    
  季節は夏も盛りを過ぎ、秋の涼気がまぢかに迫っていますが、外部世界と自分との間の隔絶はますます大きく「、家書絶えて伝(つたは)らず。」痩せこけて帯はゆるくなり、衣服の紫色もあせてきます。白髪は鏡を見るたびにふえている。
     
十五    
  九ヶ月が経っています。私は跛(あしなえ)の羊でおまけにつながれている。病んでかさのできた雀でおまけに羽根も動かない。南館の周辺の山水を見れば京都のことが狂おしいほどに恋しい。道真はとめどなく溢れる思郷の涙とともにあらためて官途についてからのわが半生を回顧します。都における相次ぐ栄達、讃岐におけるすぐれた治政の実績。
     
十六     
  彼は自分の閲歴を誇りつつも、同時に天子に対し兢兢としてつつしみ深く振舞ってきたことを強調します。そして言います。
器拙承豊澤 器拙きに豊なる澤(うるはし)を承(う)く  
舟頑濟巨川 舟頑ななれども巨(おほ)きなる川を濟(わた)れり  
国家恩未報 国家の恩(めぐ)み未だ報いざるに  
溝壑恐先塡 溝壑(こうがく)恐(おそ)るらくは先(ま)づ塡(うづま)れなむことを 溝と谷間にはまり込んでうずもれる、すなわち行き倒れの野垂れ死にをする
     
十七    
  詩は結末に近づき、道真は政敵に対する憤り、そして忠誠を尽くしたことへの悔いまで書きつける
苟可營々止 苟(いや)しくも營營(えいえい)として止まるべし 營營:ぐるぐる歩き廻るさま
胡爲脛々全 胡爲(なんす)れぞ脛脛(けいけい)として全(また)からむ 脛脛:正直なさま、直ぐなるさま
覆巣憎彀卵 巣を覆して彀卵(かくらん)を憎む  
捜穴叱蚳蝝 穴を捜(もと)めて蚳蝝(ちえん)を叱る  
法酷金科結 法は金科の結(むす)ばむよりも酷(から)し  
功休石柱鐫 功は石柱に鐫(ゑ)らむことを休(や)めにき  
悔忠成甲胄 忠の甲胄と成らむことを悔(く)ゆ   
悲罰痛戈鋌 罰の戈鋌(くわせん)よりも痛(たへがた)きことを悲(かな)しぶ  
  私を陥れた小人どもは相変わらずうごめき廻っているだろう。
どうして正直な人間が命を無事に全うできようか
(時平一派が)巣をひっくり返して中の卵まで踏みにじる。
穴をしらみつぶし探して、中の蟻の子をとりつぶす
私に対する罪科は法に照らしてはるかに苛酷だ
わが功績が石の柱に彫って後世に伝えられることももうないのだ。
忠誠一途、君のために甲冑とならんことを期したが、今やそれも悔いの種だ。
わが罰は戈(ほこ)で突き刺されるよりもさらに激しい痛み
     
十八    
  道真はわびしいかや葺き屋根の荒涼たる配所が結局はわが終焉の地になるだろう、骨は遙かに都を望み見ながら、この辺土に埋められるだろうと言い、人間の身分は禍福あざなえる縄さながら、今さら先を占ってみる気もない、わが心のありたけをこの「千言」(五言百韻だから千文字になる。)のうちに籠めて詠じてみても、どこの誰が一度でも読んで憐れんでくれることだろうとのべる
     

参考文献
菅原道真     藤原克己    株式会社ウエッジ     2002年9月28日
漢詩の事典    松浦友久編  植木久行  宇野直人  松原朗 著   大修館書店
菅原道真     小島憲之    山本登朗    研文出版   1998年11月30日
詩人・菅原道真     大岡信      岩波書店   1989年9月30日第二刷