中世歴史ロマン
「信濃木曽谷・木曽氏」ゆかりの史跡をめぐる旅

     1   日  目  
番号   場  所  見  ど  こ  ろ  
 1 興禅寺(木曽町福島)  1434年に木曽氏第12代信道が再建。木曽家累代の菩提寺。 東洋一の広さを誇る枯山水の庭「看雲庭」が有名。大人500円。子供300円  
   ↓  徒歩3分  
 2  長福寺(木曽町福島)  1555年の武田信玄による木曽侵攻の際に、木曽氏第18代義康は、信玄の三女「真理姫」を息子の第19代義昌に嫁がせて親子の縁を結んだ。信玄病没に際し、義昌は、義父の信玄を弔うため墓所に遺品を埋め五輪の塔を建てて廟所としたとされる。  
    ↓  徒歩10分  
 3  大通寺鐘楼門・真理姫供養塔(木曽町福島)  武田信玄の三女「真理姫」(木曽氏第19代義昌の妻)の供養塔がある。  
    車約25分  
 4 若宮神社(御嶽神社若宮) (木曽町三岳)  1385年に木曽伊予守藤原家信(木曽氏第10代か11代とされる)により再建されたとする棟札が残る。木曽氏の「守護神」として最も崇拝を受けた社。  
    ↓  徒歩20分  
 5 真理姫の墓(木曽町)  武田信玄の三女「真理姫」(木曽氏第19代義昌の妻)は1596年に夫の義昌が下総国(千葉県)阿知戸で死去し、第20代木曽義利が1600年に改易された後、木曽の三岳(現・木曽町三岳)に隠棲し、1647年に98歳で没したとされる。   
    ↓  車約35分  
 6  木曽町 木曽町の宿泊施設
民宿松尾(0264−22−2826) 
 
       
     2   日   目  
 6  木曽町    
    ↓    
 7  西尾家(須原宿)(大桑村)  16世紀前半、須原で地域開拓に力を尽くした。特に西尾丹波の守は木曽氏第19代義昌の信任が厚く、鳥居峠や妻籠城の合戦での武功著しかったとされる。義昌移封の後も、木曽代官山村家に仕えて尾張藩山林の取り締まりなどの重責を担った。  
    ↓  徒歩5分  
 8 定勝寺(大桑村)   1430年(室町後期)に木曽氏第11代親豊が建立。木曽氏最古の書簡とされる1455年の第14代家賢による、寺の住職の補任状には「木曽庄」があり、この時期に木曽氏が木曽谷全域をほぼ支配下においていたとする説もある。全国で最も古いとされる木曽義仲と木曽義昌の古位牌がある。  
    ↓  徒歩15分  
 9  須原城址(大桑村)  築城年代は不明。木曽氏第17代義在(1493〜1537)が築いたとされる。義在は1509年に今の木曽町福島に「上之段城」を築城し、須原と福島を交互に根拠としていたとされる。第18代義康(義在の子)の代になって福島城を築き、以後は福島を本拠と定めた。  
    ↓  徒歩25〜30分  
 10  天長院(大桑村)  室町期に木曽氏の「祈願所」として真言宗に属し、木曽東古道沿いの伊奈川大野に「広徳寺」としてあったが、1540年頃、武田軍の攻撃(山賊の焼き打ちとも)により廃絶。1594年頃定勝寺の第7代天心和尚を開山とし、「地久山天長院」として開かれ1662年頃現在地に移転。  
    ↓  車20分+徒歩10分  
 11 古典庵(南木曽町)   木曽氏の一族である「三留野左京亮」の孫が、住職として庵を結んだとされる。古来から「月の名所」として名高く「与川の仲秋の名月」は木曽八景の一つでもある。  
    ↓  車20分+徒歩10分  
 12  妻籠城址(南木曽町)  室町中期の築城とされる。1584年の「小牧長久手の戦い」で秀吉方についた木曽氏第19代義昌は、この城に山村良勝を入れて信州の徳川方七千余騎と戦い、籠城の中、兜観音に戦勝を祈願したところ白鳩がとまり勝利を収めたといわれている。  
    ↓ 車20分+徒歩15分  
 13  馬籠丸山城址
(中津川市)
 室町中期の築城とされる。「小牧長久手の戦い」で木曽氏第19代義昌はこの馬籠城を島崎重通に守らせたが、徳川連合軍に馬籠の北側に陣を敷かれ、重通が夜陰にまぎれて妻籠城に逃げたため、集落は戦火を逃れたとされる。