木曽町福島のお話



<福島の起こり>
明治の残っている木曽路の中心木曽町福島へようこそ
江戸時代には中仙道の宿場町であった歴史の町をご案内します。
木曽町福島が木曽谷の中心地として歴史上に登場してくるのは室町時代。
木曽義仲の11代の孫に当たる親豊が応永年間(1394から1428)大桑村須原から本拠を移して小丸山に築城、木曽領主として君臨したのに始まります。
福島を根拠地に信濃4大将の一人木曽氏は天承12年(1584)小牧長久手の合戦では20代義昌が豊臣方について戦果をあげました。
その後天下を統一した秀吉から義昌は下総の国(千葉県)に一万石を与えられて福島を離れます。
しかし義昌の没後、子義利は暴挙が家康に知れて改易。
義仲から数えて20代、420年続いた木曽氏は滅亡しました。
時は変わり慶長5年(1600)関が原の合戦。
家康に味方して戦った木曽氏の遺臣山村良候・良勝父子は戦後その功により木曽代官、さらに福島関所の関守を拝命します。
以来山村氏は十三代274年にわたって、木曽を支配するとともに福島関所を守りました。
徳川幕府が関所を設けたことで福島宿は木曽谷の政治・経済・文化の中心地として急速に発展していきます。

<みこしまくりの由来>
水無神社の祭礼「みこしまくり」「まくる」とは木曽地方の方言で「転がす」の意です。
この全国的にも珍しいお祭りのいわれは、遠く戦国時代にさかのぼります。
あるとき、宗助、幸助という二人のそま人(きこり)が飛騨の国水無神社の分社を勧請しました。
二人は神輿をかついで出発しますが、国境の峠で阻止しようとする追手ともみ合いになり、
神輿が地面に落ちてしまいました。
そこで、二人は「それ宗助!」「やれ幸助!」と声をかけ合い、神輿を転がしながら逃げ出し、
神輿は無事に福島の地に奉られることができたのです。
「宗助!幸助!」のかけ声とともに毎年新調する白木の神輿を地面に投げ落とし横に縦にと転がしながら
最後にはめちゃくちゃに壊してしまうという荒っぽい祭りが水無神社の祭礼「みこしまくり」です。
神輿とともに祇園ばやしの屋台も繰り出すこの奇祭は、祭りの多い木曽地方でも屈指の伝統行事で
7月22・23日の祭礼日は多くの見物客でにぎわいます。
見どころはクライマックスを迎えた23日夜に行われる縦まくり。
地響きをとどろかせて神輿が倒される豪壮なさまが圧巻です。