筑摩縣博覧会

 
筑摩縣博覧會 
信濃国筑摩郡深志の城ハ永正年間小笠原氏の建築(春)する処(尓)にて爾後守主屡((志)しバしば)代り今三百七十年の星霜を経廃城となり筑摩縣と唱へ換為(かへる)して
 
 
より御徳澤日(たくにち)々市街に潤ひ(うる本ひ) 人民月々に開化に進む然れども山国の一僻縣見るところ少なく知らんと(為)するに物乏し故に土人をして(天)知見多からしめんと竟に(ついに)有志会社して(天)博覧場を(越)開く事と成りぬ□□の会の趣旨たるや古今の沿革各国の風俗を一目の下に集め彼の俊是の鈍を(双)ならべ相教え相学び工夫智力を交易するがごとき□にて我安政元年英吉利の首都倫敦に始めて是を做し次いで二年の仏蘭西の首都巴黎斯に開きしより世に行ハ□しを盛んに至り既に本朝にも東京に早く此會を開けり因りて是に倣ひ本年
 
 
医学部病院   大手門ノ跡 
 
 
十一月十日□□□天守宝閣中に開筵し 猶来場ハ再□□大いにし続いて常備の博覧場と□□永く諸人の文明を導き開化の楷階梯となすものなりかし但今年ハ東京府博物館を始め諸君より出品を願ひ来陽ハ西京の出品を乞ひ月を追ひ年を重ね諸国の名産竒品を集め往々ハ世界万国に及ぶ盛大の博覧常備場となさんと□大方の諸君子□に補を垂れ給ん事を希ふ
 
応需広重画   中町  新聞局知新社  御布告新聞物縦覧所   掲示場
 
 
屋敷町  縣学開智学校  宮村町  師範講習所  中教院 



参考文献 
長野県歴史館資料