旧木曽郡山口村の昔話

 


 1 兼好屋敷   
   神坂の湯舟沢に、兼好法師が庵をむすんでいたという「兼好屋敷」跡がある。
 土地の人は猿猴屋敷とか猿屋敷といっていた。
 ここは、兼好法師が、戦乱の世をはかなみ隠棲した所といわれ、ここでまた『徒然草』の稿は書かれたとも伝えられている。
 屋敷跡には、兼好法師の碑が建てられ、昔は杉の古木が茂っていて、根元には諏訪様や風神、駒ケ岳様、兼好さまが祀られていた。
 また伝えるに、兼好さまは戦を嫌われ、この地へ来て庵をむすばれたということから、以前は徴兵よけの願掛けがされた所だともいわれている。
 
     
 2  乳神様  
   美濃(岐阜)境になる山口の原の東に小山があって、そこに「乳神様」といわれる祠があった。
 昔、たいへん酒の好きな人がいて、この辺で死んだそうだ。
 その時、
「おれの墓に、酒を供えてくれたら、乳が出るようにしてやる」
と、言い残した。
それから、乳の出ない女は、この祠に酒を供え願掛けをするようになった。
 
     
3   油石  
   青木の木曽川の渡場(昔の木曽川の筏場)より少し下流に油石という閃緑色の巨岩があった。
 昔、ここは急流で投身者はきっとここを選んだ。
 そこで、村人が相談して身投げする者がないようにと、この岩に地蔵の尊影を刻んだ。
 それからは、身投げしようとここにきても、地蔵さまのお姿で思い直し、以後投身者はいなくなったという。
 
     
   狐膏薬  
   岐阜の落合から、木曽路の中でも難所といわれた十曲峠(十石峠)を上ると、「十曲の峠茶屋」といわれる茶店があった。
 なにしろ、木曽路は名高い中山道。旅人はひきもきらず、茶店は大いに繁昌した。
 旅人はここで茶をすすり、名物の蕨餅に舌つづみをうち、いっとき旅の疲れを忘れるのだが、茶店はまた旅人の難儀をあつめる所でもあった。
 長の旅は、まず足を痛める、腰にくる。
 馬や籠もあるにはあったが、足がたよりの旅の空。殿さまでもない限り、これはだれしも同じだった。
 茶店の主人も、そうした旅人の苦労は、よく見聞きしわかっていたから、すり切れた草鞋をみては新しいのとかえてやり、重い足どりをみては杖を持たせてやったりもした。
 けれど、お茶や餅で足腰の痛さはなおらない。
「わしがこうして暮らしていけるのも、みんな茶店に立ち寄ってくれる旅人のおかげ、なんとか旅人の難儀を救えないものか」
 茶店の主人は、朝夕神仏に手を合わせ、願わない日とてなかった。
 そんなある夜、夢枕に狐があらわれて、足腰の痛み、肩のこりによく効くねり薬の作り方を教えてくれた。
 主人は早速山にわけ入り、薬草をさがすと狐が教えてくれた通りねり合わせ、それをはり薬にして試してみた。
 すると、たしかに凝った肩も楽になった。
 そこで、旅人にもすすめてみると、これがまた大いに効いて、茶屋のはり薬は蕨餅以上に評判となった。
 これも、主人が旅人を案じる気持ちが神様に通じ、神の使いとされていた狐が、そのことを教えにきてくれたのだろう。
 とにかく、茶屋の主人のはり薬は、狐に化かされたほどよく効いて、「狐膏薬」と名づけられ、松本のお殿様からもほうびをいただくほどだったという。
 
     


参考文献 
  信州の民話伝説集成 はまみつを 一草舎 
私たちが調べた木曽の伝説第一集 木曾西高等学校地歴部民俗班