東筑摩郡筑北村の昔話

 


本城   関昌寺の石地蔵  
     筑北村(本城・坂北・坂井)は、民間信仰の石像が多く残されていることで知られる信仰の里、曼陀羅の里である。坂北の「切り通し」、坂井の「修那羅石造群」と、旧三村に点在する石造文化財は、三千九百七十六点に上るといわれている。
 そんな石造仏の一つに、「関昌寺の石地蔵」がある。
 本城の田屋にある福寿山関昌寺は、信濃三十三番観音札所、十七番札所である。
 この寺の墓地に村指定有形文化財の石地蔵がある。頭部はすげかえたようにも見え、全体に傷みが激しく、特に両肩部分にはえぐられたような跡がある。
 それというのもこの仏は、婚礼のたび運び出され、めでたい家に投げ込まれたからだという。痛みの激しさも、村に吉縁、多かったためか。
 どれほど人との喜びを共にしたであろうこの仏は、今も墓地にひっそりとたたずんでいる。
 
       
   2  馬の寺(東筑摩郡筑北村本城)  
      西条の善光寺街道近くにある観音寺は、また「馬の寺」ともいわれていた。
 本尊は馬頭観音で、毎年四月に行われた「畜魂祭」には、近村の坂北、麻績はいうにおよばず、遠く県外からも馬を飼っている人、馬を商う人たちが講を作って来たという。
 境内には、たくさんの絵馬や馬像が奉納されていて、「馬の寺」として広く信仰されていたことがうかがえる。
 村内では草競馬もひらかれ、ことさら馬とのかかわりを深くしていたが、農業の機械化とともに農耕馬も姿を消し、「畜魂祭」も休止されている。
 が、山門の仁王像は、かつて馬の行きかった街道を見おろし、今も往時を伝えている。
 
       


 参考文献
信州の民話伝説集