京都の昔話


京都    大仏さんとそば屋   
     むかしのことどす。
  ぬくぬくと暖かい日が続いていたある日、京の方広寺の大仏はんと、奈良の東大寺の大仏はんが、道でひょっこりと出会わはったんどす。
「やあ、奈良の大仏さんやおまへんか。えらいお久し振りどすなあ。」
「これは、これは、京の大仏さんお久しゅうございます。おたっしゃで何よりどすなあ。」
 そんなことから、すっかり話に花が咲いたんどす。
 そのうち、どちらからともなく、
「ええ日よりやさかい、どうどすか。これからお伊勢参りでも。」
「それは名案。すぐにお伊勢参りに行きましょか。」
と話がすぐに決まり、二人はてくてく、てくてくと歩き出したんどす。
 なんせ二人とも大きな大仏さんやさかい、その早いこと早いこと。
そのうち二人ともお腹がすいてしもうて、
「大仏さん、お腹がすいてきましたなあ。何か食べんことには、わしはもう歩けしまへん。」
「そうですなあ。あそこにそば屋がありますよって、寄ってみましょか。」
 二人とも、そば屋にでんと腰をおろして、
「店のそば、ありったけ出してんか。」
店のおやじさんは、もうえらいびっくりして、
「こりゃ、えらいこっちゃ。」
とゆうて、一生懸命そばをうたはったんどす。
 二人とも、次から次へと、そばのまつぶた(木箱)を空にしはってどんどん積み上げていったもんやさかい、たちまち店のそばはなくなってしもうたんどす。
「ああ、食った食った。もう、腹いっぱいや。」
「わしも、これ以上は食べられへん。そろそろ出かけましょか。」
ゆうて二人は店を出ようとしはったんどすけど、
「京の大仏さん、わしは今日、お金を一銭も持ってませんが、あんさんお持ちでっか」
「ええっ、わしもお金なんて持ったことあらしまへん。こりゃどないしょ。」
 それを聞いたそば屋の主人はかっと、頭にきはって、
「店のそばを全部平らげといて、あんさんら、大仏のくせに、ただ食いする気でっか。」
とゆうて、そば打ち棒で、奈良の大仏さんの頭を思いきり叩かはったんどす。
 そしたら、奈良の大仏はんは、金でできてるもんやさかい、
「くわーん、くわーん。」
と鳴ったんどす。
「あれだけ食っといて、今さら食わんとは何ごとや。もう勘弁でけへん。」
とゆうて、今度は京の大仏さんの頭を思いっきり叩かはったんどす。
 すると、木でできてはる京の大仏はんは、
「かった、かった。」
とゆう音がしたそうどす。
そしたら店の主人が、
「何!借りた。そんなら、許したろ。ちゃんと後で返しにきてや。」
ゆうて、ようやく許してもらわはったんどす。




 
    おかめ塚   
     鎌倉時代のお話どす。京の都に、長井飛騨守高次とゆわはる、それは腕のたつ大工はんが、いはったんどす。その妻の名が阿亀はんとゆわはって、それほど美人ではおへんけど、賢こうて優しい女ごはんどした。ある日のこと、義空上人とゆうお坊さんが、大報恩寺本堂(千本釈迦堂)を創建しはる事になって高次はんが、数百人の大工の棟梁に選ばれはったんどす。工事はうまいこと進んでたんどすけど、一つだけ大きな失敗してしまわはったんどす。四本の柱のうち、一本だけ短こう切ってしまわはったんで、高次はんは、真っ青になって悩まはったんどすけど、どうしたらええんやら、さっぱりわからへんのどす。その時、阿亀はんが、「一本だけが短こうなったんをそないに悩むんどす。四本全部短こうしはって、短こうなった分だけ柱の上に枡組をつけはったらどうどすか。」高次はんは、それを聞き、いっぺんに頭の中のもやもやが吹き飛んでしまわはったんどす。「そうや、そらええわい!」ゆうがはやいか、家を飛び出していかはったんどす。そして、すぐにほかの三本の柱も同じ長さに切り取らはって、枡組をつけ、それはそれは立派な本堂が建ったんどす。こうして高次はんの名はますます世間に広まり、それと反対に高次はんは、だんだん不安になっていかはったんどす。「もし、あれが女の知恵やとわかったら、わしの名声はいっぺんに落ちてしまうやろうな」ある日、そんな夫の心配を察して、阿亀はんは自殺してしもうたんどす。驚いた高次はんは、「わしがつまらん心配をしたばっかりに、許しておくれ、阿亀・・・・・」とうなだれるばかりどした。駆けつけはった弟子たちは、高次はんから、これまでのいきさつを聞かされ、おおいに感激しはったんどす。このお話は、全国の大工さんの間に広まり、江戸時代池永勘兵衛さんとゆう大工はんが、このお堂の前に立派な「おかめ供養塔」を建てはったんどす。今でも、「おかめ塚」ゆうて親しまれておるんどす。毎年二月には、千本釈迦堂では、「おかめ節分」が行われてますのえ。  

       
   3  みょうがの宿  
     昔々のことどす。都から少し離れた街道に、一軒の宿屋があったんどす。
 そこの主人夫婦はそろって、えろう欲深い人どした。
 ある日のこと、この宿に一人の商人らしい旅人が泊まらはったんどす。
 その旅人はズシリとふくらんだ胴巻きを持っていはって、宿の夫婦は、顔を見合わせて驚かはったんどす。
「えろう金持ちのお客はんやなあ。」
「なんとか、あの胴巻きが手に入らへんやろうか。」
「そうや!みょうがを食べさしたら、頭がぼけて物を忘れるとゆうやさかい、今夜のおかずは全部、みょうがを使うたらええ。」
そうゆうて、客がお風呂に入っている間に、一生懸命みょうがのおかずや漬物などたくさん作らはった。おまけにみょうが入りの炊き込みご飯まで用意しはったんどす。
 風呂からあがらはったお客が部屋で待ってはると、宿の主人は、そのみょうが料理を持ってきはったんどす。
 それをみて、お客は、
「これは、おいしそうなみょうがや、いただきまっせ。」
とゆうて、喜んで食べはったんどす。
 その夜夫婦は、胸がわくわくして眠れへん。
「早く朝にならんもんか。部屋の中に胴巻きを忘れていかはらんか・・・・・・・・」
とそればかり考えてはったんどす。
 そして、次の日の朝、客は、
「お世話になりました。ほな、さいなら。」
とゆうてでかけはったんどす。
宿の夫婦は声をそろえて、
「お気をつけやす。」
と、見送ると、急いで客の部屋にいかはったんどす。
「胴巻きはどこや!」
「どこにもあらへん。」
そのうち主人は、はっとして、
「あっ、しもた。宿代もらうの忘れた!」
 その客は胴巻きは忘れんと持ち帰り、宿代を払うのを忘れて、帰ったとゆうお話どす。




 
       
   4  湯たく山茶くれん寺  
     桃山時代、天正15年、秋のお話どす。
 その日、北野の森で大茶会が催されたんどす。大名はんから町人、百姓など、ぎょうさんの人が集まらはってあっちの木陰、こっちの野原と、あちこちでお茶席が設けられ、朝はよからにぎやかな声が聞こえてたんどす。
 その朝、時の関白、豊臣秀吉はんは、この茶会に出るため、道を急いではったところ、途中で喉が渇いたんで、おいしい水が湧くと言われている、浄土院とゆうお寺に立ち寄らはったんどす。
 そして、寺の宗印和尚はんに、
「お茶を所望したい。」
とゆわはったんどす。
 和尚はんは、関白はんの突然のお立ち寄りにびっくり。
 しかも大のお茶好きの関白はんのお望みやよって、へたに茶は出せしまへん。そんで悩んだすえ白湯をそっと出さはったんどす。
 関白はんは、
「はて?」
と思い、しばらく茶碗を手に取ってみてはったんどすけど、おいしそうにいっぱいめの白湯を飲みほし、またお茶を所望しはったんどす。
 そこで和尚はんは、もう一度そっと白湯を出さはったんどすが、
 それもまたきれえに飲んでしまわはって、
 関白はんは、
「なるほど、とてもあじわいがある。」
と思わはったんどすけど、出発しはる時に、
「今日から、この寺を、”湯たく山茶くれん寺”とよぼう。」
とにこにこ顔で、いわはったと言うことどす。
 それから、この寺は、”湯たく山茶くれん寺”と呼ばれるようになったんどす。
 
       
  5   ことしゃみせん  
      昔から、誰でも一度は京の都へ出てみたいと願わはるんどす。
 そのむかし、丹波のずうーっと山奥の村から、一人の男はんがてくてく、てくてくと、何日も歩き続けて、京の都へ見物に出てきはったんどす。
 初めてみる都は、そらもうにぎやかで、何から何まで珍しいもんや、美しい立派なお寺やら、びっくりすることばかりやったんどす。
 そして、男はんは町をおどおど歩き回っていはったんどす。
 すると、ある店に、
「かがみしょう(鏡商)」
と看板が出てたんで、
「こりゃ、おもしろそうや。さすがに都はちがうわな。かか[嫁]みしょうゆう商売があるんやなあ。ちょっとみてこうかいなあ。」
ゆうて、店ののれんをあげて、ちょっとのぞかはったんどす。
 そしたら、ちょうど店のきれえな嫁さんが座ってはったんで、
「はあ、えらいべっぴんさんやなあ。」
ゆうて、しばらくぼうとみとれてはったんどす。
 それで、その男はんは、村へ帰り着くと、さっそくその土産話を皆に聞かせてやったんどす。
「ほな、都にはそんなべっぴんさんを見せてくれるところがあるんかい。」
「ほな、わしらも一度連れて行ってくれんか。のお。」
とゆわれるんで、男はんは、
「来年、わしと行こう。」
とゆうことになったんどす。
 次の年になって、今度は皆で、ぞろぞろと都へ出てきたんどす。
 そして、その男はんの案内で、去年来た店の前へやって来たんどす。
 ところが店の看板が、
「ことしゃみせん(琴・三味線)」
と変わってたんどす。
 皆は、
「ありゃ、せっかく都まで出てきたのにことしは見せんのかいなあ。残念やなあー。」
ゆうて、ほんにがっかりして村へ帰って行ったんどす。
 



       
  6   九年母(くねんぼ)  
      あるところに、南の国へ旅をした男の人がいはったんどす。
 その男の人は帰りに、ぎょうさんの九年母(ミカンの一種・香橘]を土産に持って帰らはったんどす。
 あんまりぎょうさんやさかい、
「お隣の家にも、少し分けたげよ。」
とおもて、息子を呼ばはって、
 九年母をカゴに入れ、
「このカゴを、お隣の家へ持って行って、九年母どすどうぞとゆうて置いてくるんやで。」
と息子に持たしたんどす。
 息子は、カゴを受けとって家を出たんどすけど、カゴの中が気になって仕方がなかったんで、
「はて、九年母てなんやろ。ちょっと見てえやろか。」
とおもて、そっとカゴを開けて見たら、九年母がちょうど九つ入っておるんどす。
「なんや、おいしそうなミカンやがな。九つあるから九年母ゆうんやろうな。一つもろてやれ。」
とゆうて、一つ懐に入れて、お隣の家へ持って行ったんどす。
 大きな声で、
「八年母、持ってきましてん。どうぞ食べてくれやす。」
家の人が、不思議に思いながらカゴをのぞくと、ちゃんと九年母が入っているんどす。
「八年母ゆうからなんやと思うたら、九年母やおまへんか。おいしそうやなあ。おおきにごっつおはん。」
息子は、びっくりして、
「へえ、なんで九つあったこと、知ってはりますのや。もう一年母はここにおますねん。」
さっき懐に入れた九年母を一つ出さはったんどす。