滋賀県の昔話


 


 滋賀県 1  夢枕 (愛東町)  
      昔、大覚寺に、助と寅というふたごのように仲のいい男の子がおりました。 ふたりは何をするのも一緒で、それは十五歳の元服を迎えた後も変わらず、とにかくよく働きよく学びまわりの人の受けも良いという、本当に幸せな日々を送っていました。
 ところが、幸せは長く続かず、あんなに仲の良かった二人のうちの寅さんが、急な病で倒れてあっけなくこの世を去ってしまったのです。助さんは嘆き悲しんで暮らしました。でも幾ばくかの時が過ぎると、このまま負けてしまえば寅さんがつらいだろうと気をとりなおし、また前のように仕事に精を出し始めました。
 死んだ寅さんの五十日の忌明が住んだ晩、助さんはふしぎな夢を見ました。寅さんが夢枕に立って、「助さん、わしは今一度人間に生まれ変わってお前と一緒にいたかったのに、へびになってしまった。頼むからわしを殺してくれ。明日の朝お宮さんの鳥居の前にいるからな。きっとだぞ。」と言うと、すーっと消えてしまいました。助さんが翌朝半信半疑でお宮さんに行くと、確かに鳥居のそばにヘビがいます。助さんは寅さんの願い通り、勇気をふりしぼってそのヘビを蹴り殺しました。
 
      それから更に五十日が過ぎました。その晩、また寅さんが夢枕に立って、今度は犬になったと嘆きました。どうしても人間になりたいと訴えました。それで助さんにはすまないが、もう一度同じ所で待っているから殺してほしいと、それはもう真剣な口調で頼むと姿を消しました。助さんが翌朝お宮さんに行くと、見かけない犬が親しそうに寄ってきましたので、寅さんを人間にするためにこの犬も殺しました。  
    また時が流れ、ちょうど10カ月めの氏神様の春の大祭の宵宮の晩に、久しぶりに寅さんが夢枕に現れました。「助さん、もうすぐ人間に生まれ変わるよ。お多賀さんの大祭の日に、隣村の長兵衛さんの長男としてさ。お前、きっと来てくれよ。お前に出会うために生まれてくるんだからな。」寅さんはとてもおだやかな様子でした。
 助さんは、お多賀さんの大祭を指折り数えて待ちました。もう会えないと思っていた寅さんと再びこの世で会える幸せを、体中でかみしめていたのです。
 その大祭の日がやっと巡ってきました。助さんは、まだ夜が明けきらないうちから隣村へ出かけました。歩いていても気がせいてなりません。長兵衛さんの家のそばまでやってくると、何やら人の出入りが激しいようです。良くないことでもあったのかと助さんが血相を変えて家の中にかけこみますと、どうやら大変な難産で、なかなかお腹の赤ん坊が出てこないらしいとの話にほっと胸をなでおろしました。助さんは寅さんが自分を待っていてくれたのだと気が付いたのです。なんとかその家の人に頼んで産室に入りこむと、妊婦の大きなお腹にむかって、「おい兄弟、たった今ついたぞ。ここで待っているから早く元気な顔を見せてくれ。」と一声どなりました。すると、ふしぎなことに、今までの難産がうそのように、なんなく赤ん坊が生まれました。長兵衛さんの家の人たちは、大喜びするやら助さんに涙を流して礼を言うやらで大騒ぎでした。この赤ん坊と助さん、年の差こそたんとありますが、自分達にしかわからない縁でつながった二人は、いつまでも仲良く、世のため人のためにつくしたという事です。
 
       
  2  巣争い (愛東町)  
     むかし、与助さんと甚平衛さんと喜助さんが連れだって、平尾の代参としてお伊勢参りをした帰り道、土山の宿場にあるお寺の縁側をかりて昼飯をとっておりますと、境内の松の木の枝に野鳥の巣のあるのが見えました。 そこで、与助さんが、「あれはカラスの巣に違いない。」と言いますと、負けず嫌いの甚平衛さんは、そくざに、「いや、あれはニワトリの巣にきまっとる。」と言い返します。それを聞いたとんち好きの喜助さん、「二人ともよく見てみろ。ほれ、あれがウマの巣でなくて何だい。」と言いはりましたのでさあ大変、日頃仲のいい三人も、意地のはりあいこになると負けていません。
 それでとうとうお寺の和尚をひっぱりこみ、何とかこの争いに決着をつけてもらうことにしました。まず最初に和尚の所に出向いたのは、言い出しっぺの与助さんでした。そして、こっそり伊勢土産をさしだすと、カラスの巣に軍配をあげてくれるよう頼みました。次にやってきたのは甚平衛さん、またまたこっそりお布施を包んで、自分に利があるように願い出ました。さてどんじりは喜助さん、前の二人と同じようにいくらかの祠堂金を供えると、和尚の温和な表情に安心して出ていきました。三人はそれぞれ心の中で、他の二人の泣きっ面を想像しながら、和尚の返答を待っていますと、和尚がじきに現れ、「あの巣はな、雌雄二羽の鳥が仲よく作ったニワトリの巣で、しかもまだ卵を生んでいないからカラスの巣、つまり生まん巣、ウマの巣であるからして、三人の答えはどれも正解じゃ。」大岡越前ばりの名裁きと相成りました。
 
       
  悪い狐   
     ある山里に、人をだますことの大好きな狐がいました。 この狐にだまされた人の話を始めると、とても一日では終わらないほど沢山の話があります。
 たとえば吉平さん。お隣へ風呂をもらいに行って、気が付くと、村はずれにある野つぼの中で、鼻歌まじりに居眠りをしていたという話です。
 五助さんなどは、町からの帰り道、夕暮れにはまだ少し早いというのにあたりが真っ暗になって道に迷ってしまったので、ひとまず重い荷物を下ろして一休みしていました。すると、近くの松の木の枝にすすけた提灯がポワンと火をともし、ゆらりゆらり揺れ始めました。これは狐のしわざに違いない、眉毛の数を数えられると化かされてしまうと、必死で眉毛に唾をつけて化かされないおまじないをしていますと、あたりは次第に明るくなってきました。今のうちにとあわてて家に帰った五助さんが荷物をほどきますと、中身の食糧がすっかりなくなっていたという話です。
 狐にだまされたという話が続いたある日、伍作じいさんも、五助さんと同じように、山からの帰り道、急に暗闇がおそってきて、道に迷ってしまいました。と、目の前に突然広い海が広がりました。また狐の奴だなと気づいた伍作爺さんは日ごろの信心深さから、「般若心経」を唱え始めました。ところが、最後の、「ぎゃていぎゃてい、はらぎゃてい・・・」のところで、奇妙な狐の声がしてきました。「ぎゃっくりぎゃっくり、はらぎゃっくり・・・」何度繰り返してもうまく言えない狐は、とうとうぎゃっくりぎゃっくり泣きながら逃げていったということです。
 
       
    和尚さんと小僧   
      正直な人というものはそれだけでいいものですが、その上に「バカ」という二文字がつくと、ずいぶんと意味合いが違ってくるものですね。この話もまるで笑い話のようですが、和尚さんの身になると、そう大きな声で笑ってもいられないような気になってしまいます。
 その和尚さんと、馬鹿正直な小僧さんは、人里離れた山寺に住んでいました。
 お坊さんというものは昔から生臭い食べものは口に入れないという厳しいしきたりがありましたが、そういうものにこそうまいものが多くて、それらを食べないでいるということには、それはすごい忍耐がいったのではないかと思われます。
 ところが、この山寺の和尚さんはその我慢ができなくて、こっそりと魚を食べていたのです。アユやら小ざこやら、大好物の魚をうまげに炊いたのを戸棚の奥に隠しておいて、小僧さんの目を盗んでは、ちょぴちょぴ出して食べるのが、これまたよけいにうまいときてるもので、とてもやめることなんかできません。そんな風でしたから、いくらのんきな小僧さんでも、和尚さんが魚らしきものを食べているということには気が付いていました。
 ある時、急用があって、小僧さんが台所に行くと、和尚さんが例のものを出して食べておりましたので、「和尚さん、その魚、とてもうまそうですが何という魚なんですか。」と聞きますと、和尚さんはばつが悪くなって、「これっ、ああ、これはな、魚ではなくて、剃刀というものだ」とぶっきらぼうに答えました。この日はそれで無事にすんだのですが、これからが正直な小僧さんにバカがつく話になるのです。 
 
     小僧さんが和尚さんの盗み食いを見つけた日から数日して、和尚さんは小僧さんを呼ぶと、急な用足しで小田原へ行くその供を申しつけました。
 さあ、出発です。和尚さんは楽々馬で、小僧さんはその後をちょこまかとついて行きます。その様子も、用心のためか、かさを小脇に抱え、着物の裾を腰までまくり上げて、何とも愛嬌のある小僧さんでした。
 しばらく行くと、川に出ました。和尚さんは馬でやすやすと川を渡り、小僧さんは相変わらずじゃぶじゃぶ川の中を歩いて行きます。と、川の真ん中あたりで、いつも和尚さんが食べているようなアユが、スイスイ気持ちよさそうに泳いでいるのが見えましたので、小僧さんは和尚さんに、「和尚さんの大好物の剃刀が泳いでいますよ」と知らせました。和尚さんは小僧さんを一喝し、「黙ってついて来い。何がおこっても見て見ぬふりをしてな。」と言い聞かせました。
 一つ川を越えたと思ったら、また川です。二人は、先ほどと同じように、和尚さんは馬ですいすい小僧さんは二本の足でじゃぶじゃぶ。すると今度は、前を行く和尚さんの腰から大事な煙草入れが落ちて、小僧さんの目の前を流れて行きました。あっと思ったけれど、先に見て見ぬふりで黙ってついてこいとしかられたばかりだった小僧さんは、煙草入れを拾わずに川を渡っていきました。陸に上がって少し行ったところで和尚さんが一服しようとすると煙草入れがありません。小僧さんに尋ねると、小僧さんはさっきのことを正直に話しました。和尚さんはまた怒って、「今度は馬から落ちたものは何でも拾え。」と怒鳴りました。それで小僧さんが言われたとおりに拾ったものは馬の糞でした。それも小脇に抱え持っていた傘で拾ったので、またもや和尚さんに、「川できれいに洗い流せ。」としかり飛ばされた小僧さん、馬鹿正直にも、ふんだけでなく、かさまでもきれいに洗い流してしまったというお話です。
 
       
   元三大師の豆ばさみ  
      元三大師がまだ慈恵僧正と申されていた頃の話です。叡山の戒壇院がかなりいたんできたのに心を痛められた僧正は、何とか改築したいものだと思われましたが、それにかかる費用の工面がつかず、困り果てておられました。
 そんなある日、僧正は、檀家の一人で、日頃から親交のある郡司の家の法事に招かれました。郡司は、僧正をもてなそうと、その目の前で、大豆をいり、それに酢をかけてさし出しました。僧正が郡司になぜいった大豆に酢をかけるのか、ふしぎに思いそのわけを尋ねますと、郡司は、「豆は箸ではさむのに苦労します。こうして温かい豆に酢をかけると、豆の表皮にしわができて軟らかくなって、箸でらくにはさめるのですよ。」と答えました。僧正は、「私なら、そんな手間をかけなくても、豆を箸ではさむことができますよ。どうです、一度遠くから投げてごらんになりますか。?」と言いだされ、「そんなことはできません。」と受け付けぬ郡司に、「ものはためし、さあ、投げてみなさい。見事うけてみせましょう。ただし、条件つきということでね。」
「条件?」「そうです。もしも私がはさみ取ることができたら、戒壇院を直していただきたいのです。」「わかりました。お約束いたしましょう。」
 一間ほどの距離をあけた郡司が、さっそくいり豆を投げると、僧正は、一粒も落とさずはさみとられました。それではと、ゆずの種を投げると、一度ははさむことのできなかった僧正も、素早く下に箸をもっていかれ、畳に落ちる前にしっかりとはさまれました。郡司も他の人も皆心から敬服し、すぐに戒壇院を改築したということです。
 
       
       
       
       
       


参考文献 
滋賀昔ばなし