御嶽山古道遊歩
催行日 | 集合場所 | 集合時間 | 天気 |
9月6日(土) | 木曽福島駅 | 10時30分 | 晴れ |
銀河村キャンプ場 |
清滝・新滝・十二権現 |
大又・大又三社 |
くんざ・一心堂・二合目 |
一合目・御嶽神社里宮 |
木曽福島駅発 10:40 | 定期バスにて王滝村銀河村キャンプ場へ向けて出発 | ||
木曽ダム (木曽町福島) |
木曽川支流の王滝川に昭和42年に造られた重力式コンクリートダム | ||
① | 牧尾ダム (王滝村二子持) |
高さ104,5mの中央土質遮水壁型ロックフィルダム 。昭和36年完成以来中京圏の水瓶として上水道・工業用水・灌漑用水を供給している。 |
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② | 御嶽湖 |
ダム湖は御嶽湖と命名された。 | |
窓の外は霊神碑 | |||
左御嶽銀河村キャンプ場 | |||
③ | 銀河村キャンプ場入口着 | ||
マツムシソウ | |
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女郎花 | |||
ホタルブクロ | |||
シモツケソウ | |||
桂の木 | |||
白樺とマツムシソウ | |||
を | 銀河村キャンプ場 | ||
御嶽山 | |||
古道遊歩の看板 | |||
キャンプ場で昼食 | |||
霊神碑の群落 | |||
一心大教会霊場 | |||
④ | 十二大権現 | 木花開耶姫命が祀られている。昔から子授け子育ての神様として親しまれている。 猿ぼこという小さな人形を供える習わしがある。 |
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ぬ | 花戸観音堂 | 御嶽山王滝口を開き御嶽信仰を全国に広めた普寛行者の墓所の一つ。普寛行者を案内した吉神行者小谷吉右衛門の子孫が茶小屋を開き現在もこの堂を守っている。 普寛行者の遺言により四か所に分骨されたが辞世の句に 「なきがらはいくつの里に埋むとも 心御嶽に有明の月」 と詠まれた これが死後霊魂が御嶽山に還るという霊神信仰のもとになった。 |
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聖覚霊神 | |||
⑤ | 新滝正観世音 | ||
る | 新滝 | 新滝不動明王、八大龍王が祀られている。 滝浦に岩の祠があり滝を裏側から見ることができるので裏見滝とも呼ばれる。 滝のそばに岩窟があり行者がここにこもり修行する |
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⑥ | 清滝 | この日清滝への道は台風のために倒木があり行くことができなかった。 清滝不動明王、清滝弁財天が祀られている。 高さ約30メートル 古くは道者が75日間あるいは100日間籠って精進潔斎する行場であった。 |
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〇 | 桂の木に抱かれた石標 | ||
り | 新滝不動尊道の碑 | 明治四五年に建てられた | |
ち | 幕岩 | 御嶽山の溶岩の噴出により押し出されてきたもの。仏の穴から新滝まで続いている。 | |
御嶽三大神 | 御嶽三大神(御嶽山座王大権現、八海山大頭羅神王、三笠山刀利天宮)が祀られている。 | ||
と | 大又三社 | 下から一直線に長く続く三百八十三段の石階段の先に御嶽三大神が祀られている。 御嶽三大神(御嶽山座王大権現、八海山大頭羅神王、三笠山刀利天宮)が祀られている。 御嶽山の頂上をはじめ各霊場に参詣できない信者のために奉祀された。 |
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大又三社入口 | |||
大又川 | |||
へ | 御嶽山資料館 | 御嶽神社に奉納された絵馬が展示されている。 | |
ほ | 二合目 | 鳥居の向こうに御岳山が眺望できる。 御嶽山の遥拝所 鳥居に掲げる御嶽神社の神号額は東郷平八郎元帥の揮毫による 御嶽行者の聞いた御神勅によりロシア艦隊を全滅させることができたという。 |
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に | 一心堂 | 普寛の教えを継いだ一心行者が祀られている。 | |
旧街道 | 樹下に霊神碑が点在し当時の面影を残している。 | ||
講祖本社(普寛堂) | 普寛行者によって王滝口登山道が開けた。 覚明・普寛・一心・一山行者の銅像と普寛行者の生前に作られたという木造座像が安置されている。 |
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⑧ | 御嶽神社里宮 |
高い岸壁を背に社殿が建つ。古くは岩戸権現と称され室町時代の後期ごろから御嶽三十八社の一社として信仰を集めた。 江戸時代には御嶽山頂に祀られた御岳山蔵王権現の里社として全国に信仰が広まった。 御嶽三十八社の一社 |
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天狗の面 |
社殿の中には島崎藤村の夜明け前に取り上げられた天狗の面の額や江戸時代初期からの多くの絵馬が奉納されている。 ちょうど半蔵が座ったところからよく見える壁の上には、二つの大きな天狗の面が額にして掛けてある。その周囲には、嘉永年代から、あるひはもっとずっと古くからの講社や信徒の名を連ねた様々な額が奉納してあって、中にはこの社殿を今見る形に改めた造営者であり木曽福島の名君としても知られた山村蘇門の寄進にかかる記念の額なぞの宗教的な気分を濃厚ならしめるものもあるが、殊にその二つの天狗の面が半蔵の注意をひいた。耳のあたりまで裂けて牙歯のある口は獣のものに近くたかい鼻は鳥のものに近く黄金の色に光った眼は神のものに近い。高山の間に住む剛健な獣の野性と、翼を持つ鳥の自由と、神秘を體得した神人の霊性とを兼ね具えたようなのがその天狗だ。 |
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里宮を降る道 |
ひのきとさわらがうっそうと茂る樹林の中を長い石段三七一段と六七段の合計四三八段の参道が続く。 | |
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間もなく半蔵等は十六階もしくは二十階づつからなる二町ほどの長い石段にかかった。見上げるように高い岸壁をうしろにして里宮の社殿がその上に建てられてある。黒々とした残雪の見られる谷間の傾斜と、小暗い杉や檜の木立とにとりまかれたその一区域こそ半蔵が父の病を祈るためにやって来たところだ。先師の遺著の題目そのままともいふべきところだ。文字通りの「静の岩屋」だ。 (島崎藤村「夜明け前」) |
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里宮入口 | 『神前へのお初穂、供米、その他、着更への清潔な行衣なぞを持って、半蔵は勝重と一緒に里宮の方へ歩いた。 梅の咲く禰宜の家から社殿までの間は坂になった細道で、王滝口よりする御嶽参道に続いてゐる。その細道を踏んで行くだけでも、ひとりでに参詣者の心の澄むようなところだ。山中の朝は空に浮かぶ雲の色までだんだん白く光って来てすがすがしい。坂道を登るにつれて霞渡った大きな谷間が二人の眼の下にあるようになった。 「お師匠さま、雉子が鳴いてゐますよ。」 「あの覚明行者や普寛行者なぞが登った頃には、どんなだったろうね。私はあの行者達が最初の登山をした人たちかとばかり思ってゐた。ここの禰宜さまの話で見るとそうじゃないんだね。講中といふものを組織して、この山へ導いて来たのがあの人達なんだね。] (夜明け前) 覚明行者:天明五年(1785)黒沢口開山(尾張国春日井郡牛山村出身) 普寛行者:寛政四年(1792)王滝口開山(武蔵国秩父郡大滝村出身) |
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ろ | 勝海舟書の碑 | 里宮の旧参道脇に倉石明神の碑がある。 勝海舟の書である。 |
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は | 御嶽神社別殿 | 室町時代からの社家 御嶽山の祭祀を司る滝神主家の一角に御嶽大神を祀る社殿が設けられている。 島崎藤村の「夜明け前」の舞台となった旅館 「御嶽山の麓にあたる傾斜の地勢に倚り、王滝川に臨み、里宮の神職と行者の宿とを兼ねたような禰宜の古い家がこの半蔵等を待ってゐた。」 |
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い | 一合目の碑 | 御嶽山頂へ一四〇八六m麓基点 |
参考文献 |
御嶽古道遊歩 王滝観光総合事務所 |
王滝村の森と自然 王滝村 |
2014~2015木曽路つながる、雪と温もりの旅 |