木曽馬の里 開田高原

 
 




番号   名称  説明  写真
 ①  双体道祖神(栃本)    
 ②  金比羅様(栃本)    
 ③  三十三観音(東山)    
 ④  蚕影山(中谷)    
 ⑤  双体道祖神(猪子島)    
 ⑥  聖徳太子坐像(一の萱)    
 ⑦  ふるさと体験館(吉田)    
 ⑧  白山御嶽神社の説明  白山神社は旧黒川村の鎮守で白山神社御嶽神社二社を一殿に祀り白山神社と称している。
祭神は菊理姫命(白山社)大己貴命、少彦名命(御嶽社)を祀っている。
中世鎌倉末期の創建と伝えられ文亀三年(1503年)郷司であった馬場氏古畑氏の力によって再建された。
境内は約3000㎡でひのき、あすなろ、こうやまき、すぎ、ねずこなどの針葉樹が主となっている。
現在の本殿は明治17年(1885年)立川流宮大工斉藤常吉の造営によるもので建物の細部まで丁寧に仕上げられた彫刻が施されている。
拝殿軒下にある木製の筒は花火筒で大正6年に作られた。現在も行われる秋祭りの花火は各部落の花火講で作った花火を競い打ち上げたことに由来し文化年間(1804年~)より大正中期まで盛大に行われていた。
 
   白山神社
御嶽神社
   
   白山神社御神楽(橋詰)    
       
       
       
       
       
       
       
       
       
   本殿の彫刻の説明  この本殿は社寺建築として名高い諏訪の立川流の棟梁2代目立川和四郎(富昌)に弟子入りして建築や彫刻を修業した木曽町新開杭の原の斉藤常吉棟梁によって明治17年に建てられた。(常吉74歳の時)特に彫刻が見事で
向拝正面の虹梁の上に道玄仙人が瓢箪から駒を出している彫刻があるがこれは意外なことが実現してしまうことを表しておりここで願い事をすれば願いが叶えられるという。
万寿頭では力神が踏ん張って梁を支えており柱や虹梁には錫杖彫りが施されている。
本殿と向拝を繋ぐ海老虹梁は竜の透かし彫りで右側は昇り龍左側は降り龍になっている。
向拝柱上部の軒を支える手鋏は大きな牡丹の透かし彫りで扉には鶴亀や七宝扉上部には粟穂に鶉が彫られている。
側面の脇の障子には右側に鳳凰左側に麒麟で床下の右側には牡丹と雄獅子降り鯉左側は牡丹と雌獅子鯉の滝昇り
左右の大虹梁には若葉が彫られ
棟を支える大瓶束の左右に彫刻を施した笈形がついており
蛙殿は右側が梅に鶯左側は竹に雀で
屋根正面の兎毛通は松と鶴になっており側面にも彫刻がある。
斉藤常吉は木曽では水無神社社殿・御嶽神社若宮本殿・末川熊野神社本殿・藪原神社本殿等も手掛けた。
唐獅子牡丹の彫刻は平成20年に盗難にあったが平成24年に蓑輪町の中澤竜彦氏によって復元された。

 


 ⑨  安倍晴明墓 平安時代関白藤原道長に仕えた実在の陰陽師・安倍の晴明の85歳の終焉の地として伝えられている。   
 ⑩  金比羅大権現(村木)    
   黒川の石仏    
       

       
 ⑪  双体道祖神((芝原)    
 ⑫  唐沢の滝    



 ⑬  地蔵峠    
 ⑭  木曽福島スキー場(折橋)    
   新地蔵トンネル    
   白樺  地蔵トンネルを抜けると白樺林に出る。  

   稗田の碑  標高が高く米作には不向きな冷涼な地にあっても諦めず苦労して田を開いた末川村庄屋中村彦三郎の供養塔や道祖神、馬頭観音の石碑群がある。  
  縁結びの木  小作の男と地主の娘の悲恋伝説。二人が抱き合ったまま離れずそのまま木になった由来がある。   
   馬頭観音碑の説明  昭和25年(1950年)6月に建立された。
木曽福島町興禅寺住職松山芳山禅師を導師に迎えて開眼法要を行った。
昔開田村には1800頭もの木曽馬が飼育され木曽馬のふる里として有名だった。
しかし戦時中の小各馬淘汰の政策により絶滅に瀕したので馬を愛する村人が供養の祈願をこめて建立した
 

   馬頭観世音菩薩    
   開眼香語の碑  木曽山の銘木と並ぶ大事な馬よ
物言わぬ友故にお前の苦労に謝することを忘れていた。
思えばお前は昔から戦争や農耕でよく尽くしてくれた。
墨痕鮮やかな達筆と名石工のノミで畏れを知らない大きな岩に心を込めた供養の願いが実った。
聖なる姿は雲にそびえ生きとし生けるものの心をしずめ慈悲の馬頭の眉間より仏の毫光が光り輝いている。
 
   九蔵峠    

  九蔵峠のチャートの褶曲  全国的にも珍しい古生層の岸壁   
   右高山    
   西野の里の碑    
  平次郎地蔵  疑いをかけられた村人の代わりに打ち首にされた平次郎を偲んで建てられたお地蔵さま。   
   駒背原と石仏群  この運動場を含む北東の山裾一帯を駒背原と称し東側のまるい小丘を丸山と呼ぶ。  


   経王塔 旧開田村最大のもので左側面には古海道原より下南原を経て土橋上に至る用水路開発の歴史が刻まれている。   
   普賢行者の碑  普賢行者の碑は開田村にはここの一つしかない  
   子安観音  石工宮下鉄也の手による  


   馬頭観音    
   丸山馬頭観音 馬の守護仏であり木曽の三大馬頭観音の一つ。昔は馬が生まれると必ずお参りし毎日のようにお宮の鐘が鳴り響いていたとされる。約1900体ある開田高原の石造物のうち約1500体が馬頭観音である。   
  県宝山下家住宅と
開田考古博物館 
 江戸時代より大正時代にかけて木曽馬盛衰の歴史を刻んだ大馬主。贅を尽くした本棟造りの家には書画などが展示されている。また考古博物館には開田高原で出土した土器や石器を展示している。  
  木曽馬   第三春山号の血を引く馬が保護・育成されている。  
  開田郷土館   純血種木曽馬の最後の一頭となった「第三春山号」の剥製が展示されている。  
   尾の島の滝  御嶽山・開山中興の祖と崇められる覚明行者の修業の滝。昭和初期には二本あった滝であったが水力発電所建設計画により現在は右側一本を残すのみになっている。  

   冷川    
  開田嫁入唄の碑   嫁ぐ娘を送り出す嬉しくも寂しい親の心情を歌った歌。  
  森林鉄道跡(明神橋)   木曽木材の運送と開田の人々の生活を支えた森林鉄道の軌道が残っている。  

参考文献 
  広報木曽町 2013  6月号 ふるさとを訪ねて 千村稔   
信州木曽町  木曽町観光協会