木曽の歴史

史料による木曽の歴史

和暦  西暦    事         項 
 大宝2年   戊戌12月11日  始めて岐蘇の山道を開けること (人皇四十二代文武帝)(続日本紀)
和銅6年     庚寅7月  美濃信濃二国の境径道険阻に往還艱難なるに困りて岐蘇路を開く(四十三代元明帝)(元明帝の紀)
       奈良時代後期には東山道岐蘇路が開かれ奈良井川右岸を洗馬から平出方面へと通過していた。
       洗馬の古道は本山を過ぎた牧野地区で奈良井川を渡り本洗馬に出て吾妻橋(太田橋)で奈良井川を再び渡り塩尻に向かっていた。
元慶3年     9月4日辛卯  美濃信濃の国県坂上の峰を以て国の境とせしむ(三代実録)
       見せばやないかか信濃の木曽路川君に思ひの深きわたりを     従二位 行家卿
 治承4年 1180    以仁王の令旨により木曽義仲が宮ノ越(木曽町日義)で挙兵 
       信州筑摩郡洗馬の光輪寺の薬師を今井四郎兼平深く信仰して毎日参詣せられしが風雨を凌がんとて居住より道一里の間廊下を造りつづけられしとかや礎(いしづえ)の跡今にありとなり、これ旧洗馬なり(新著聞集)
 応永7年 1397     11代木曽親豊が小丸山城(現木曽青峰高校地点)を築城する。
 天文2年 1533     17代木曽義在が馬籠から洗馬までの街道を整備した。
       木曽の良材を多量に伐採し財政を整えた。
       泉州堺(大阪府)に木曽ひのきの市場ができた。
天文23年   寅8月26日   信玄公木曾口へ御馬を出され候ら得ば瀬馬某という侍降参いたし
    9月末   甲府へ召し連れられ
 天文24年      典厩甘利左衛門尉両侍大将に仰せ付けられ甲府一蓮寺と申す時宗寺にて瀬馬を御成敗なり。
 天正18年 1590     木曽氏は下総網戸(千葉県旭市)に移された。
       木曽は豊臣秀吉の直轄領となり石川光吉が代官となった。
 慶長5年 1600     関ヶ原の戦いの際木曽氏の旧臣が奪還し徳川家康が蔵入地(直轄地)とし山村良候が木曽代官となる。
       江戸幕府成立後、整備された当初の中山道は、木曽路を通過し、桜沢より牛首峠を越え小野宿に至り小野(三沢)峠を経て岡谷より下諏訪に通じていた。これを通称「初期中山道」と呼んでいる。
慶長19年  1614    種々の理由から初期中山道は廃止され、新しく本山・洗馬・塩尻の三宿を設け初期中山道を迂回する形で塩尻峠を越えるルートに変更された。
       このため洗馬宿は近隣の大怒田・小怒田・本洗馬等の集落から住民を集め、計画的な土地割をして宿場が作られた。
 元和元年 1615     木曽山は尾張藩領。
       この頃から木曽山から大量の良材が伐り出される。(築城・造船・土木用材)
       城山は山村氏、長福寺領となる。
正保元年  1644     備蓄的ねらいで14カ所の伐採制限(留山の前身)
 明暦3 1657     江戸大火。復興材を伐出。
寛文5年  1665     尾張藩、原畑(上松町)に材木役所を設け留山、須山、明山制度等山林保護に乗り出す。(寛文の改革)
       赤沢ひのき林留山となる。(当時は小川村小川入南山を称す)
元禄年間  1688~
1703 
   小川入り赤沢留山ひのき林の強度伐採
 元禄2年 1689     木曽山から伊勢神宮御用材を伐採
 宝永5年 1708     尾張藩、ヒノキ・サワラ・コウヤマキ・アスナロの四木を停止木とする。
       後にネズコも停止木となる(木曽五木)
       
ひのき   さわら  こうやまき
     
 あすなろ ねずこ  
     
 元文3 1738     カツラ・ケヤキが留木となる。
 明和4年 1767     城山から伊勢神宮御用材等を伐採
 文政13 1830     木曽山立木調査を行う。王滝村調査2000人
明治2  1869     版籍奉還により尾張藩有林等の全域官林に編入
明治12  1879     山林局設置(官林)
明治13  1880     内務省山林局設置、木曽出張所を上松に置く
明治22  1889     皇室財産の分離で、木曽の山は帝室林野局御料林となる。
明治36  1903     御料林木曽支庁設置(木曽福島町)、管区は長野県木曽・南信一円
明治39  1906     神宮備林設置
 明治44 1911     国鉄中央線全線開通
 大正5 1916     上松小川森林鉄道完成。以降伊奈川森林鉄道(1939)まで各路線開設。
       流送による木材搬出が終わる。
       神宮備林施選開始
昭和22  1947     林政統一。宮内省から農林省に移管。御料林は国有林になり、木曽福島町に長野営林局設置。(後、長野市に移転)
 昭和34 1959     伊勢湾台風により木曽全域に甚大な被害。風倒木約230万㎥
 昭和44 1969     赤沢美林が全国初の自然休養林に指定される。
昭和50  1975     王滝森林鉄道を廃止
       全て(57路線)の森林鉄道輸送はトラック輸送に切り替わる。
昭和57  1982     赤沢美林で第1回森林浴大会が開催される。
昭和58  1983     赤沢美林が「21世紀に残したい自然100選」に選定される。
 昭和59 1984     長野県西部地震で王滝村中心に大被害
昭和61  1986     赤沢美林が全国森林浴の森に選定される。
昭和62  1987     赤沢美林に森林鉄道復活
 平成11 1999     3月1日行政改革による組織再編。長野営林局は中部森林管理局になり木曽の国有林を管理する木曾森林管理署が発足
平成16  2004     中部森林管理局木曾森林環境保全ふれあいセンター設置
       


参考文献 
城山史跡の森