思い出

       
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1999年 平成11年  5月15日  青春18きっぷを利用して
  青春18きっぷがJRの割引きっぷとして発売されていることを知ったのは平成元年の春である。駅の壁にこのきっぷを買い求めてどこまでも旅をすればよいという主旨のポスターが貼られていた。当時5枚1セットとなっていて、1人1日1回分を切り離して使用するようになっていた。普通列車ならどこへ行ってもその1枚を使えばよく、またどこの駅で下車してもそれは自由というものであった。セットで11000円で1枚あたり2200円という記憶がある。格安であるかわりに、新幹線や在来線の特急・急行・グリーン車には、特急券やグリーン券を買い足しても乗ることが出来ず、これらを利用する際には普通乗車券もあらたに買わなければならなく、また、春・夏・冬の3回にわたって発売され一定の期間内に使用しないと無効になるというものである。
 昭和20年代から昭和30年代、画家であった父は東京へ展覧会のため絵を搬入するといっては現金収入が少なくその上出費が多い生活のなかで、当時の三等車で夜行に乗り、上諏訪から新宿へ行ったことを思い出す。最近多くの人は特急を使うことが常識のようになっているが、私自身父の姿を思い出すと普通列車に乗ることにさして抵抗感がない。また、かつては蒸気機関車であったので上諏訪―新宿間は6時間かかったが、現在は電化されスピードアップにより普通車でも4時間以内で行くことが可能となっている。
 いずれにせよ、当初大学生は生協で5枚をバラ売りにしていたので、子供たちに東京の大学から帰郷するときなど村井駅まで青春18きっぷを使用するようにすすめた。しかし平成8年2月20日の制度改正でそれまで回数券式に1枚づつきりはなして使えたものが、1枚のきっぷに統一されバラで使うことができなくなった。そのためか青春18きっぷを使う学生は急速に減少し、それとともに私どもの子供たちに青春18きっぷを使うようにすすめても、周囲の環境のせいか容易に同意してくれなくなった。今春、長男が通う東京区内の研究室が千葉県の柏市に移転することになった。それに伴ない現在の住所も転居しなければならなくなった。妻が移転先の判断に一緒に行って欲しいというので、それでは久し振りに青春18きっぷを利用しようと考え、現在では11500円で統一された一枚のきっぷを買い求め普通列車に乗り往復した。2人で2日分を使用したので4回分を使用したことになるので1回分残った。東京から帰郷していた次男にその1回分を使ってもらうことをすすめたが思うようにならず特急で帰ることを主張した。そこで1枚残ってしまうのももったいないと思い、名古屋の熱田神宮は有名であるが一度も行ったことがないのでこの神社をたずねた。1回分は2300円に相当するので、乗車料金がそれを超えるところに行かねばならないと考えるのは、何とも不思議な心理状態が働くものである。
 青春18きっぷは若者でなければ使用してはいけないということはなく、どの年齢層でも使用してもよいというものであるが、先程も述べたように使用している人が減少した。それに青春18きっぷを使うということは何かこそばゆい感じがすることは確かである。しかしこの割引切符がなければ多分行かなかったかも知れないところがある。それは軽井沢―横川間の碓氷峠の間を信越線で3回通ったことである。現在は新幹線となり従来の路線は廃止され通ることができない。また平成9年10月1日からは第3セクタとしてしなの鉄道となってからは青春18きっぷを使用にも、篠ノ井までしか利用できないという現実もある。かつて信越線が利用できた頃、このきっぷを使って村井―高崎間を往復したことがある。高崎を経由して高崎―八王子間の八高線に乗ったこともあり、また高崎より上越線を利用しその昔日本で一番長いといわれた清水トンネルを通ったこともある。
 青春18きっぷそのものの存在を知らない、または知ってはいても利用したことのない会員の先生方が多いと思う。正直いって普通列車に長時間乗っているのは疲れる。いつまでJRでこのきっぷを発売するか、また私自身このきっぷを利用するという気持ちが続くかは分からない。ともかく、青春18きっぷを利用しての思いではいくつか残っている。とくに碓氷峠のもとで短いトンネルを何度となくくぐり抜けての急勾配の坂を走るアブド式機関車の姿と風景はいつまでたっても忘れないであろう。
       
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