福島関所 | |
江戸から六十九里、京から六十八里、中仙道のほぼ真ん中に置かれた 福島関所。天下の四大関所の一つ。 徳川家康は五街道の整備を進め慶長7年(1602)に東海道と中山道を 京都・江戸間の幹線道路に定めます。 幕府は江戸防衛のため五街道五十ヵ所に設けた関所のうち 東海道の箱根と新居、中仙道の碓氷そして福島関所を特に重要視した。 福島の地が木曽谷のほぼ中央に当たるとともに 江戸と京都の中間に位置する交通の要衝にあったからである。 そこは木曽川の断崖と山にはさまれた幅40メートルほどの平地で まさに天然の要害。 一朝有事の際には街道を遮断し敵をけん制するのに最適の地です。 「入り鉄砲と出女」の取締りが厳しかった。 明治2年廃関により荒廃していたが東西の門と番所を再建。 昭和54年3月13日に国の史跡に指定された。 現在は史跡公園として復元・整備されている。 園内には関所建物(上番所・下番所・勝手)を模した福島関所資料館を 併設して通行手形や鉄砲証文など貴重な資料を展示。 |
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山村代官屋敷跡 | |
木曽代官としてこの地を治めた山村家の下屋敷の一部を公開。 尾張藩領の木曽を支配した山村氏は木曽の殿様とも呼ばれた。 山村家に関する資料を展示。駒ケ岳を借景した美しい庭があります。 |
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興禅寺看雲庭 | |
木曽三大名刹の一つに数えられる興禅寺は木曽氏山村家の 菩提寺でもあります。 木曽氏12代信道が木曽義仲の追善のため永享6年(1434)に 再興したものといわれています。 義仲をはじめ木曽氏歴代の墓碑が静かに建ち 義仲の墓には巴御前に託した遺髪が埋葬されています。 木曽義仲に傾倒し、滋賀県大津市の義仲寺に埋葬を遺言している松尾芭蕉は、 ここにも立ち寄ったのではないかといわれている。 現代作庭家重森三玲による枯山水の庭園「看雲庭」を公開。 木や草を用いない枯山水の庭としては東洋一の広さを誇る。 木曽踊り発祥の地でもあります。 興禅時には木曽路七福神の一つ吉祥天が祀られている。 |
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高瀬家 | |
関所に隣接する高瀬家は山村氏の家臣で関所番を務めた。 また島崎藤村の姉、園が嫁いだところでもあり、「家」のモデル。 昭和2年の福島町の大火で類焼しその後再建されたが 幸い土蔵と庭園の一部が残り今でも旧家の風情をとどめている。 長屋門の両袖の土蔵を改造した「藤村資料館」があり 高瀬家に伝わる写真・手紙ほか 島崎藤村の遺品に関する資料を展示。 |
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崖家づくり | |
山蒼く暮れて夜霧に灯をともす木曽福島は谷底の町 太田水穂 陣屋町として発展し、木曽川の川端極限まで屋敷割され誕生。 これは床を川の上に張り出す形で、谷あいの狭く限られた土地を生かした 先人の知恵。崖家づくりの家が木曽川に沿って建ち並ぶ。 |
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木曽郷土館 | |
木曽教育会館の一角にある資料館。 藤村の著書初版本のコレクションや書画、また石井鶴三氏の彫刻による 藤村像、地元の考古資料などが展示されている。 前庭にある小説「夜明け前」の原稿レリーフは文学碑としては異色。 |
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木曽町福島郷土館 | |
木々に囲まれた郷土館には木曽の文化、歴史を物語る貴重な資料が 展示されている。 200年前の農家も移設されている。 |