覚え描き

1954.2.21
庭の一隅
     
1954.2.17

     
1954.4.14
    

晴天五月水温み
土潤ひ土手の草追
々青み の耕作の人、牛、
舟、東野に充つ、のど
かなる景色
武井田川のほとり所見
      
りんごの芽の青む
毎年上諏訪への途上文出
の出外小の田圃の中にりんご畑
そばに麦の青々とした田がある
よくそばの田を牛耕してをる人
見かけ、一度かいて見た
ちょっとごたついた景色
だが土の黒、麦の青、りんご
なめぶきなど、
見た感じが
春らしいのだけれど
      
春光うららか
微風あり村落の
梅花ほころび初
の木の芽
青み土堤
の草萌え
出づ
午前十一時
白き
シャツ
黒ズボ
ン麦わら
帽四本
歯くわ
    
志ろかき
田植前
の志ろかき  なるを
空は明るく陽気
田圃の
土は十分に水を含んで
真黒くうるほい
一年中で一番
土の色の美しく見
える時節我の
最も好めるとき也
         
1956.5.21朝
北有賀下
             
5月25日武井田川辺にて
蛙の声かまびすし
田植えのまえ
どのたんぼも志ろ
つくりを終え水
を張って見る限
り美しい水田とな
って遠山のすがたをうつしている穏やかな夕暮れ川沿いの道を通り乍ら眺める
情景は何ともいわれ
   情 をただよわす

        
1956.5.25書斎の窓より
お向こうの家の苗採りを見る
       
鴨池川崎
出漁之図
長雨も去り七月に入れば日はいちどきに暑し
まこもは繁り  の中には
水とりの声が騒がしい投
網を小舟のへさきにして静
に棹をやる漁翁の姿がかとぎの間に隠見する。
姿はなく生 茂るまこもの中に子供等のばんころの巣をさがし求むるこえがする。
太古を憶ふのんびりした水郷風景
      
昭和25年ここを描いて県展に出品した、「雨そぼる」
豊田、字湖畔の自家の田圃の付近である。

六月下旬の雨つづきになると湖水ばたの中筋田圃は至るところこんな情景になる、溝には水が増しかとぎが茂る、水面には静に雨 滴の波紋が輪を描きどての影が美しくうつる、
 の草は淡 に小さい白や黄の花が交る、あぜ豆の葉は未だ黄色く稲田は真青に色づき ふ、雨にぼかされた青田の色が描けたら嬉しいのだが、私は此の頃の情熱を限りなく愛す、群をなした雀が四面をひくく飛び明るい空から雨がさんさんと降り注ぐ
         
1953年8月宮川崎所見
湖面を照らす
はくじつとかとぎの を
爽風、絶え間
なき小禽の声
満目の詩趣  
満身の野情
         
六月下旬の雨天・湖畔のたんぼ
       
六月下旬より7月のはじめに   
雨降り つづきあかるい空より
降りそそぐ雨に稲田は青々と
ひ水水しく新鮮なる色
眼に むるばかり日 は
せまい此の盆地も雨にボカされ
て  と
なりボンヤリと湖水に け込む美しさ、私の尤もすきな景色の一つ
       
除草
六月下旬
二番草
      
雨の降る日
六斗川の橋上に立ちて
1953.7.30
                 
盛夏、まぶしい
様な日光はサンサンと
照りつける。よく殖えて伸びたる青田は湖畔の爽風に波のごとくゆれ騒ぐ小さき者を先頭に小魚とりの一隊嬉嬉としてゆく。楽しき田園歌い一 なり
1953.夏
     
1956.11.湖畔の田圃にて
    
   1956.12.
有賀と小坂の間にて写す
黒い湖、黄色く光る中筋の
    
武井田川崎「かっすくい」
    
炬燵の上
1954.2.26
実君小学五、
    
鴨池川の先にて
1954.2.22
     
1954.3.24
藁出し
   
赤屋根の家1954.2.22
六斗橋の西側にて
    
     1954.2.22
   
冬の朝
1954.3.12
西山、雪、朝空
   
春暁、しっとりした大気に江音寺の鐘がなり渡るのはうれしい、お寺の堂塔もいいし、寺後の山もいい、有賀峠に添って流れ下る澤の音がまたなつかしい。
   
有賀の江音寺に羅漢踊りがある八月十八日の夜寺の庭で盛んに踊り歌う。西方方面の名物である、エーヨー節といふ中筋情調ゆたかな歌だ。
エースワのたいらによしならにほんヨイソレおもいきるよしエーヨーきらぬよしヨイソレ
五月六月頃此辺の田圃や湖辺や山間の悠長なむしろ間のびした様な風光に接するとエーヨー節ほど此の辺の情調を象徴するものはない様に思ふ
それとおん柱のきやり歌、
春霞の頃有賀の丘に立って湖水から諏訪平、山裏にかけてのおだやかな景色を見ているとこれはきっと太古ながらの悠久さに引き入れられる。
思わずいいなあとうっとりとしてしまう。
神経過敏に立ち回る面もある、がまたこんな悠長なすがたもそのまま残って居る。エーヨー節の悠揚 らない調子そのままの、
のんびりと、見とれて立つ、いつまでも目を細めて遠く霞の奥に見入り、あたりの声に聞き入る。こんな者は世の中では呑気な奴といわれるかも知れないが、それはともあれ諏訪地方のほんとうのすがたはこんな気持ちの中にあるのではなかろうか、案外そうかも知れない。
    
    
     
一度屏風にでもかいて見たいと思って作って見た。諏訪の景色である。もっともこれは鉄斎の桃源郷や芋 の桃花源の杉戸の構図から興味をひき出されたのだが、かいて見ると諏訪盆地も中々面白いと思ふ。
前面は有賀峠、それから江音寺、中筋、上諏訪の方の山、湖水と。
此の外に別に山裏の方へ向って構図して見るもおもしろいだろう。
只、併し、単に美しい景色やそして装飾的な絵ならほかにあるだろう。
諏訪の臭いと田舎のすがたを自分の百姓の心でかいて見たい。
田んぼや沼や野菜畑のさみしく、美しい、そしてそれは限りなくゆたかさでもある情感がどうかして書き出せないものかなあ
1954の春
     
      
 鷲湖畔豊田春ノ色
白心禅室宗蘊

    
1955.5.26
上川土堤の上より(六と橋の上流東側)
土の黒、川の白、草の青、ウス紫の山
     
1955・5.26
赤沼橋付近
  
北有賀山にて晴天
1954.4.1正午頃写
     
1954.4.1午後1時頃
有賀公園の辺より小坂観音を眺める
   
1954.4.1
小坂観音にて
     
1954.4.1花岡公園にて
   
山ふところ昭和24.5.24
有外老と信濃境に写生行をしたときの所見。瀬沢との間の釜無川の見下せる松林から見た景色中筋の平べったい風景のみ見馴れた目にはこんな場所は珍しいものだった。この松林で弁当をつかって亦信濃境に引きかえし山道を  に廻り八ヶ岳を眺め乍らフジミに出て汽車で帰った。晴天で暑い日だった。
上スワから帰りのバスの窓から夕日にひかる田植前の広々とした中筋田圃を眺めて、これはまた黒々と水水しい限りもない美しさを感じた。終日珍しい高原を見て来た眼には余計広々と湿った土の色を美しいと見たのかも知れない。
     
しなのさかいより  への途上にて
昭和24年5月24日
    
宗蘊