1954.6.24四賀神戸地蔵院 庵主の帰りを待つ間に写す 晴れて白き 空、寺後の青 き山静寂に 人なき庭、 |
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京都広隆寺の ほとけさま |
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昭和29.5.7夕刻新薬師寺本堂を拝して 睨むが如く見張りたる巨眼、生気溢るる相貌拝するのはじめすこしく怪奇とも見え、見上げ、拝するに従って怪奇は畏怖にかわりすがるに耐ゆる強き力となる。弱き我が心を叱するに似たり。此の仏の作者いかに強き誓願して此の仏をえぐり出せるか。恐ろしきばかりなり。 お がめばおほきまなこをひらかせてわれのよわきを叱するが如し 新薬師寺薬師如来を拝して |
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昭和30年5月14日 新薬師寺本堂薬師如来 |
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新薬師寺 | |
関西旅行の思い出、昭和29年5月6日の夜行列車にのって諏訪美術会の会員二十名の中に交わり奈良京都の古美術行脚の途に上る。名古屋に近づく頃朝となる。窓外新緑の山、鮮緑の麦畑、雨に濡れて美しい。正午近い頃奈良に着き博物館に近い日吉館に入る。雨の中を戒壇院、大仏殿、三月堂、春日神社と廻る。特別の感激もなく、ぞろぞろと推しよせる見物客に興ざめするばかり、それに道を急いでの見物で以前にゆっくりと心のままに見たり描いたり憩うたりした旅と異なってどうも落着けなかった、最後に新薬師寺に詣でた、此処は始めてのところ。堂もよし、界隈もよし、本堂の薬師如来は実にはからずも私の心をとらへた。写真で見てむしろ や怪奇にさえ感じていたあの大きなぎろりとした目が正面に立って拝んだ時のあの生気に充ちた強さ、まことにすがるに耐ゆるとは、かかる仏をこそ。薬師如来の本誓をそのままに感動する事が出来た様に思われた。 |
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戒壇院廣目天 昭和29.5.7 |
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昭和29年5月7日 東大寺南大門仁王の内左側 密 此の日雨ふり。堂牢の柱の古き朱色と堂前の青松。甚だ美し |
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1954.5.8 東大寺南大門仁王の |
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1954.5.7.奈良東大寺大仏殿の前に佇み大屋根の軒の風鈴を見上げて | |
昨夜日吉館に泊る 翌朝二月堂に詣り 東大寺の方を望み写す晴れて新緑 の色快く大仏殿の大屋根に朝日さし始める 頂上の 黄色に輝き遠山は薄き藤色にかすむ |
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良弁杉也 1955.5.14 朝写二月堂に於いて |
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29.5.8.奈良博物館 武居吉太郎 仏像写生のところ 帽子を阿弥陀にかぶって居る |
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薬師寺東院堂聖観音「黒の仏合 力に 安 されたり前に 果物、華を献づ 昭和29.5.8 |
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1954.5.8. 薬師寺金堂の入口より正門に 向って眺める、黒き梢の松林、色あせて 古色を帯たる丹塗り柱の門、白砂の庭、塔にも金堂にもまして美しと思へり 東塔の跡 東院堂 三重塔 金堂 |
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昭和29.5.10 寺参詣 如意輪観音像 |
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宝蔵殿は を禁じられたれば此場にて 描くことを ず宿に帰りてのち記憶せるままを記したり漆黒の壇上に黄色の壁掛けをうしろに色美しき女性的な繊美な天蓋を頭上にして佇める長身の観音は此の上もなく美しい。美しいものだ。是は先ず美しさを感ずる。仏を感ずる前に 格天井 天蓋 色 繊美 白壁 |
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くだら観音 拝したるときは金堂の壇上に諸仏と共に く立ちたりしが此のたびは宝蔵殿に特別に一室を領して佇みたり。荘厳も立派にて御像も一段に引立ちたり、が、されど回顧すれば往年金堂の壇の一隅に荘厳もなく 背後に黄土色を織様の感じ 壁掛け さびしげに立ちたりー時も忘れられずよかりー 台黒色 |
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ウッソウたる老杉の林、素朴重 厚なる小規模の桧皮ぶき金堂 美しき丹塗り、心と眼に み入る ばかり、写生、室生寺石段下 |
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室生寺五重塔 | |
昭和29.11.27 午前十時オバステ駅を過ぎる 黄葉の山冬枯れの 平野次第にうすか すむ善光寺平 の遠山など |
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皆空一面に 雲ただよい 青き空所々にあらわる。 薄ら寒き日 保積清水寺の帰途電車を待つ間に 1954.11.27信濃 駅前にて 写 |
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保積 寺 千手観音坐像面部側面 1954.11・27写 此の寺別に金 両部 を 剥 甚だしく 像 定かならず |
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1954.11.27 保積 清水寺 千手仏 藤原 おだやかなる感じ 顔面康 和 持物殆ど逸す この外堂内に聖観音、阿弥陀、地蔵、毘沙門天等国宝仏あり 別 金、胎、両部 曼荼羅 |
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西條村清水寺宝蔵の諸佛 国宝観音 国宝千手観音 地蔵 四天王也 四天王 |
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1954.11.27 松代町郊外西条清 水寺小仏堂 |
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懐古園 雨降りて浅間山 も見えず されど雨に濡れたる 落葉の色湿 ひ 美しきこと限りなし 茶屋の二階より 29.11.28 正午頃 |
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雨の日 の崖の上より 懐古園 1954.11.28 |
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1956.12.8 油壺より三崎への路上にて 此辺大根畑、ホウレン草畑、ネギ畑 |
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1956.12.9 早朝 三崎岬陽 の階上より |
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1954.4.20 阿弥陀寺入口 |
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唐沢山 阿弥陀寺 1954.4.20 |
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昭和30.11.5.唐沢山にて |
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上伊那辰野町北大出善王寺 薬師如来像 1953 |
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長雨のあとで晴れた暑い日だった。久し振りに見る伊那平は真ッ青に輝いて居た。諏訪美術会の二十名位と行を伴にした。長雨でハゼに掛けた麦から芽が生えていたいたことなどを覚えて居る。 此の像はスッキリとスマートな感じがした。線が明 で美しい。繊細な感情の仏師の手に成ったのだろう。どっしりといふ反対である。スケッチも細い白描が適して居ると思ったがいぢくっている内に歯切れの悪いものになってしまった。 |
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甲州御嶽峡 昭和28.12 遊杖 |
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1953年初冬諏訪美術会の甲府善光寺の仏像見学行に加わり、途上昇仙峡の景色を探る。紅葉は既に過ぎ雪はまだ不来。空林寂 たるものであったが、初めて見る渓谷は中々めづらしかった。急いでいたために覚え書きさえ出来なかったけれど延々一里に る奇岩渓流は絵巻にでもしたら面白かろうと思った。先ず入り口の茶店がある。そこで眺め下ろす渓谷が美しい。そこから流れについたり離れたり松林や雑木林の中をいく。半里位のところに宿屋や茶店がある。渓流は深くなり岩山は屹立し山気は身に る。谷はせまり路は渓流に添って岩壁の上を行く。足下には岩に する水、見上げれば数十丈の岩山に寒雲が去来する。遂に滝のある渓谷の終点に達する。雄大な景色ともいい得ないがなかなかの景勝である。景色の展開するに従って絵中横巻にすれば面白いものも出来るかもしれない。山かごや馬で曳く人車等も今は珍しい。終点近い岩の上に短冊などをひろげて 居る 人もあり、時季によっては又別 の景観も添えることが出来るだろう。支那にも日本にも南画家がよく秋山 旅などを図したものがあり非常に興味があり実景よりもかえって かりそうなのがあるが描いてみれば画くこと自体が非常に興味のあることであろう。 | |
昭和28.11.3 立石山 秋雨微々 遠方は煙て見えず 湖面、周辺の山模糊として墨絵の如し 皆家族つれだち温泉寺よりのすぐじをよじて観光道路にのぼる。雨のためにすべりて道危し 路路温泉寺の裏の柿の木に赤々と柿の実が小雨の中に美しかったのが忘れられない。 |
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有賀の町屋から 志野部落に行く旧街道の俗にひれいべえし(平林)と称する一帯(旧大安寺跡といふ)の畑中に立って前にひろがる中筋田圃から諏訪湖を眺める景観は私はこの湖水を見るに最もすきな場所だ。殊に六月のなかばから下旬にかけてよく晴れた(初夏の日光が白く桑畑の若葉を照らして かい微風が新緑の上をそっと撫でて通る様な日)日にここに立てば田圃は一番草頃のマッ青な色に輝き湖水は此の頃の雨水が増してひろがり湖辺のまこもは水水しくおい茂り漁舟は群をなして湖面にゆうえいする。悠っくりと舞い下るトンビも見える。やわ風に揺れるまこもの葉さえ数えられる程に感ぜられる。鴨北川崎から安川崎の水郷風景がそれこそ自家の庭さき程の近さに眺められ情趣の深さは他にあろうとは思われない。 旧道には通行する人は殆んどない。お百姓さんが畑に折々見える位なもので、路傍の草に座って倦かず眺め写生帳に覚え書きをする。余り広々として絵にはまとめにくい。此の新鮮な田圃の青、湖水の白、空の明るさ、それから四方の山の新緑、すべてを包む初夏の爽やかさ、私の ではとてもとどかない。寺山の小鳥が絶えず鳴き騒ぐ。かっこう鳥が 時々高く鳴く。 こんな美しい色は絵の具にはない。こんな爽快な音は音楽器にはない。こんな輝かしさ、水水しさ、裕さそして悠久な寂しさを感ずることは文学にはない。諏訪湖を眺めるにこれほどいい場所はないと思ふ。 1953 |
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大安寺跡眺望 宗蘊 |
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村鶴峯 つつじ山 所見 1953.5.24 バレット祭の日 満山燃ゆるが如し 晴天の下、天竜の 流れ下るを 眺め花の間に むしろをのべて酒を酌む 甚だ快適 |
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これはフジミ原の茶屋の小林寿 さんの家へ行ったときフジミ駅からの街道ばたから見た景色である。前方の丘の松林が別荘の多い地でそこから眺めると八ヶ岳から富士の方へかけて眺望がひらけている。暑い日だった。土用に近い頃で高遠草を採って帰ったことを記憶している.有外老と同行した。そのときの写生帳から再写して見た 1954.2 |
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1953.夏 富士見駅より原の茶屋 の家の景色 |
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昭和29年2月14日終日 雪降り西の風はげ志 書斎の 窓より |
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此の帳は諏訪の中筋たんぼの中にすまい画をかき田を耕して其の日々を送る私が佛画の余暇日頃目撃する景観をつれづれに描きためたものである。もとより風景を写することに馴れないため見たもの感じたものを充分に紙面に表現することは出来ないそれはまことに残念なことだが併し写しとろうとする楽しみは格別のものがある。黒を重ねる間に真っ黒になってしまって何が何だか分からない様なものもあるけれど後日になってひもといて見れば幾分かは追憶のよすがともなり得るであろう。この辺りの景色はまことに平凡である。小河や田圃や湖辺や雑草やそんなもののみで変った奇観は一つもない。が私は日々のこの川のどてや田圃のあぜ道を往き返して見て小川の水にうつる雲のいろや水に湿る土の色を何にもまして美しいものに感ずる。こんなに素朴で真実な美しさがどこにあるだろうかと、思わず描き写して見たくなる。だが、これは私の内しょのものだ、他見を憚る、余りにも拙なく又よそゆきの体裁がない。ただ後日老もうしてから炬燵の上にでもひろげて追憶のよすがとしたいのだ。 1954年四月 鵞湖畔、小川の白心草 宗蘊 |