阿寺渓谷へ行く
平成27年6月12日(金) | 小雨 | ||
大桑村役場 | 大桑村役場観光課で阿寺渓谷の資料をいただく | ||
阿寺橋 | |||
① | 阿寺渓谷入口 | 水源かん養保安林 保安林内において無断で立木を伐採したり土地の形質を変更したりすることは法律で禁じられています。 平成21年設置林野庁中部森林管理局 阿寺風致探勝林 この森林は皆さんの憩いの場として利用していただく国有林です。貴重な資源を大切にしましょう。 木曾森林管理署南木曽支署 |
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林鉄記念碑 | 阿寺国有林 一森林を愛しましょう。樹木はみんなの資源です。 一山でのたき火はやめましょう。 一たばこは歩きながらすわないようにしましょう。 一山のエチケットを守りましょう 木曾森林管理署南木曽支署 入山者の皆さんへ 林道の通行に際しては車両等の通行に注意し落石や落枝にも十分注意してください。またクマやハチ、マムシなどにもご注意ください。 なお悪天候等の入山はお控えください。 |
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阿寺渓谷入口から渓谷を見下ろす。 | |||
阿寺渓谷入口の門 | |||
大きな岩 | 大きな岩がごろごろしている。 | ||
② | 千畳岩 | 千畳岩 この岩の下に立って耳を澄ますと谷川の瀬音が反響しあたかも頭上に渓流がほとばしっているような錯覚を受ける。一名「瀬音岩」ともいう。 |
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森林鉄道の思い出 | 今はなき森林鉄道の思い出 「木曽のナー中乗りさん」で知られた木曽川を筏で下る「木曾式伐木運材法」は1923年(大正12年)に完成した森林鉄道による運材に変わった。往時はアメリカ生まれのボールドウィン製のミニSLが玉葱型の煙突からモクモクと煙をはいてこの客車に山で作業する人を乗せ台車で材木を運搬したものである。この「林鉄」も自動車道の開設に伴い1966年(昭和41年)に廃止され40有余年の歴史に幕を下ろした。 平成26年4月「林業遺産」に選定 |
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③ | 朽ち果てた森林鉄道 | |
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④ | 雨現の滝 | 阿寺川右岸の岩肌にあり雨が降ると現れる滝 | |
⑤ | 人工林ヒノキ優良林分展示林 | ヒノキ美林 日清戦争があった明治27年ごろに植えられたひのきが今も展示林として保護されています。平成23年時点で樹齢118年、厳しい歴史の中を生き抜いてきた美林です。 |
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⑥ | 狐ヶ淵 狸ヶ淵 | その昔この渓谷にはいろいろな動物がたくさん棲んでいたといわれる。そのため動物の名がついた淵が多くある。狐や狸は化け物といってよく人を化かしたと伝えられている。この渕はその狐や狸がこの「化身」の出来栄えを鏡のかわりに映し見たと言われ名付けられた。 | |
狸ヶ淵 | |||
⑦ | 亀石 | 亀の頭によく似た形の岩が阿寺川の清流から頭を突き出しているように見える。 | |
⑧ | 犬帰りの淵 | 里に住む猟師たちはしばしば犬を連れてこの谷にわけ入り狩をした。しかしこの淵までくると険しい断崖絶壁のため犬は恐れて渡ることができず仕方なく引き返したと伝えられるところからこの名が生まれたといわれる。 | |
⑨ | 島木赤彦歌碑 | 明治40年6月21日歌人島木赤彦と伊藤左千夫がこの谷奥にあった北沢の湯を訪れ一泊した際詠み残した7首の歌の中の一首(山深く分け入るままに谷川の水きはまりて家一つあり)が碑に刻まれ昭和58年11月にこの地に建立された。 山深くわけ入るままに谷川の 水きはまりて家一つあり |
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中央線開通前の明治40年(1907)6月北から来た島木赤彦と南から来た伊藤左千夫がここで一緒になり阿寺鉱泉に遊んで多くの名歌を残したという話は有名である。 明治四十年六月島木赤彦、伊藤左千夫ともに木曽路を訪れ一夜を阿寺温泉に過ごす。その時島木赤彦の詠みし歌5首 涼の山長良夏川すずしけど 木曽の林に思入りたり 山深くわけ入るままに谷川の 水きはまりて家一つあり ゆのやどを夕おとなへば裏山 人下り来る湯守なるらし 夕川の水のたぎちの石に立つ 真裡人に月出でにけり 大きなる囲炉裏かこみて山人と ものがたり居れば窓に月出づ |
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透き通る渓谷の水 | |||
吊り橋 | |||
吊り橋を渡る | 両側の張りめぐらされた金網が怖さを軽減してくれた。 | ||
案内板 | 六段の滝へ280m 中八丁吊橋へ820m うなり島へ980m |
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六段の滝へ90m 矢印の通り山道を下った。 |
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⑩ | 六段の滝 | 六段の滝の右側に小さいひとすじの水の流れがあった。 | |
阿寺国有林の立札 | 阿寺国有林 この森林は国民の大切な財産である国有林です。 森林は地球温暖化防止や私達の健康を守り豊かな暮らしを育むために役立っています 山火事予防・ゴミ持ち帰りへのご協力をお願いします 中部森林管理局・大桑村 |
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六段の滝 | 対岸から眺める六段の滝 | ||
中八丁吊橋へつづく道 | |||
中八丁吊橋 | |||
⑪ | ウナリ島 | ウナリ島 阿寺川の渓流に沿って登ると阿寺川の間中に縦巾30m、巾10mほどの軍艦を浮かべたような島がみられ、上部はこうやまきが主として天然更新しておりめずらしい。 ウナリ島近くには杣日雇(ヒヨー)小屋の痕跡があり明治以前にそこに宿泊していた従業員の作業員の人たちが「毒きのこ」にあたり一晩中うなり苦しんで6名が死亡したと言われその墓は現在の阿寺山の神の近くにあったと伝えられる。 このように苦しんだのでウナリ島と呼ばれるようになったとかで食べたキノコは「クマビラ」と言われる月夜茸らしく炊事手1名(昔はカシキと言う)が生き残っただけであったそうである。 |
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唸り島の高野槇 | 唸り島の高野槇 木曽五木(木曽ヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキ)の一つに数えられ真っ直ぐに伸びた樹形は美しく、高さ30メートル以上の大木となります。 平成十八年九月六日にご誕生になられた秋篠宮家ご長男悠仁親王殿下の「お印」に選ばれています。 コウヤマキ 学名 コウヤマキ科・高野槇 常緑高木 雌雄同株 樹高30~40m 花期3~4月 特徴 一科一属一種の日本国有の常緑針葉樹で樹高30~40メートル直径一メートル程度になる。 日本では福島県以南、四国、九州のみに分布しており長野県内では木曽谷に生育しています。 材の耐水性が強いことから風呂材船材桶類等に使われています。 大桑村 木曾森林管理局南木曽支署 |
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⑫ | 熊ヶ淵 | 熊ヶ淵 このあたりには熊の出没が多く時には子連れでこの渕に入り水浴びを楽しんでいたのをよく見かけたと言われる。そんなところから誰言うとなく熊ヶ淵と呼ばれている。 |
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熊ヶ淵へ降りる道 | 熊が淵へ降りる道が淵まで続いていたけれど暗い道を下りて行く勇気はなかった。熊野親子連れにでもあったら大変だと考え上から木々の間にみえる綺麗に澄んだ水をながめおろした。 | ||
⑬ | 牛ヶ淵 | 牛の姿に似ている所から名付けたと言われる。この渓谷の一番の深淵である。 | |
⑭ | 吉報の滝 | |
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吊り橋の下の渓谷の水 | |||
⑮ | 阿寺キャンプ場 | ||
⑯ | 美顔水 | 砂小屋の冷水(美顔水) 阿寺キャンプ場 森林の奥の岩間から湧き出てくるこの清水は谷の中でも一番きれいで冷たい。 山に働く人々の喉を潤し最近では訪れる女性たちが競って洗顔をする。それは昔この山を管理するために遠く尾張藩より派遣された山役人たちの奥方は見違えるほど色白の美人となって帰ってくるのでその訳を聞いたところこの清水を朝夕使っていたとのこと。 そんなことからこの冷水を美顔水と呼ぶ。 |
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信州の名水 秘水 | 信州の名水・秘水にも選ばれている。 | ||
やまがき 山柿 かきのき科 |
やまがきと書かれた柿の木があった。 | |
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⑰ | 阿寺国有林のハナノキ | 自生のものは長野、愛知、岐阜県で見られる。 | |
⑱ | フォレスパ木曽あでら荘 | ||
五平餅と生そばでお昼にする。 | |||
白山神社 | 白山神社 国指定重要文化財 急な勾配の100余段もある石段の上に白山神社はあった。帰りは怖くて石段を降りることはできず回り道をして戻った。 |
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地口寺薬師堂 | 長野県宝である地口寺薬師堂をみて今日の寄り道の旅は終わった。 |
参考文献 |
阿寺渓谷フィールドガイド |
長野地区殿地区広域マップ |
夏季刊誌木曽路 |