143 | エドヒガンザクラ | 樹齢600年を経た古木 | |
216 | 須原の水舟 | 須原宿の随所にある水舟は大木(主にさわら)をくりぬいて作る。 | |
215 | 須原宿 | 木曽で一番古くから開けた宿場であったが約300年前に木曽川の大洪水により現国道19号沿いにあった宿場が全部流出し現在の場所に移った。 | |
219 | 須原城址 | 定勝寺の裏山にある「愛宕山」が城山で愛宕山と越坂の東の峰和村段丘上に城跡と思われる遺構があるとされる。木曽義在(1493~1537)が築いたとされているが確かなところは不明。妻籠城とともに中世室町時代の代表的な山城として注目される。 | |
181 | 岩出観音 | 江戸中期に建立された歴史ある観音堂。京都清水寺に似た崖屋造りに特徴がある。 | |
109 | 伊奈川橋跡 | 須原宿の街外れに英泉の浮世絵で知られる伊奈川橋跡がある。この川橋は当時尾張藩直轄の橋として西尾家が管理していた。水害のため何回も改修しており今も当時の設計図が残る。 | |
79 | 伊那川渓谷伊那川ダム | ||
50 | タンク山 | 円柱の形をした不思議な建造物が建っている山はタンク山と呼ばれている。直下にある関西電力木曽水力発電所の負荷変動やバルブの開閉時におこる水圧の急峻な変化を抑えるためのサージタンクである。 | |
183 | 池口寺 (ちこうじ){薬師堂} | 薬師堂は鎌倉時代の1300年代初期の建物で平成2年に長野県宝に指定された。鎌倉建築様式を備えた木造平屋造り。間口三間奥行四間で内部に薬師像、日光・月光像が安置されている。 老朽化が進み平成18年度から復元工事 | |
168 | 白山神社 | 鎌倉末期に創建され現存する社殿建築としては長野県最古のもの。白山神社を正面に左右に蔵王、伊豆、熊野の四社殿が並びいずれも一間社流造り桧皮葺、見世棚造など鎌倉建築の技法を知ることができる。 長い石段と狛犬が迎えてくれる。勾配の急な石段は昇りは息をこらして登っても帰りはとても怖くて降りることができず勾配のなだらかな併設された別の道を降りてきた。 国の重要文化財。 |
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268 | 平和公園 | ||
182 | 天長院 | 室町時代木曽家祈願所として建立された。当時は広徳寺として伊奈川大野地区にあった。1540年頃山賊の焼打ちにより廃絶したが、1594年天長院として開山した。山門の脇にはマリア観音と称される子育て地蔵がある。。 | |
32 | 長野原から観る木曽駒ケ岳 | ||
269 | 産業遺産大桑発電所 (大桑村野尻) |
レンガ造りのこの発電所は大正10年に大同電力(現在の関西電力の前身)の福沢桃介によって建造された。平成19年に近代化産業遺産に指定された。 | |
122 | ヒトツバタゴ (大桑村野尻) |
「ナンジャモンジャ」の呼び名で知られる。 長野・愛知・岐阜・三重の木曽川流域に見られる。 | |
123 | 『坂岩家』花の木 (大桑村野尻) |
環境省認定の絶滅危惧種。昭和6年坂岩弘助氏は犬養首相(木堂)の別荘、富士見町の白林荘へ幼樹を寄贈。平成20年岡山市の生家跡に設立された木堂記念館に寄贈。雌雄異株で受粉し実生する貴重な木。秋は雄株が紅葉春は雌株が赤く芽吹く。 | |
110 | 野尻鉄橋 (大桑村野尻) |
大正10年完成。長さ100mを超え木曾森林鉄道最大。橋梁研究の信大小西純一氏は「木曽・上松町の鬼淵鉄橋と産業遺産」の中で「中央部分約61mで日本最大」と述べている。 | |
51 | 飯盛山 (大桑村野尻) |
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248 | 須佐男神社例祭 (大桑村野尻) |
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220 | 野尻宿 (大桑村野尻) |
野尻の七曲りと言われたように宿場内を通過していた中山道は曲がりくねっている。 | |
249 | 野尻の祭り[らっぽ ] (大桑村野尻) |
江戸時代からの伝統行事。らっぽ山に松明で一・十・士・上を書く。四文字で人の一生を表す。(一)は幼年時代。(十)は少年時代。(士)は青壮年時代。(上)は老年から成仏。 | |
111 | 阿寺橋 (大桑村野尻) |
阿寺渓谷と木曽川の合流点ダム湖に架かる170mの橋。両側の2本のアーチ部材の間隔を上部で絞り込み多数のケーブルで橋桁を吊るしたバスケットハンドル型の「ニールセンローゼ橋」。 | |
33 | 阿寺橋付近から望む 中央アルプス (大桑村野尻) |
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78 | 阿寺渓谷 (大桑村野尻) |
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52 | 阿寺川源流 奥三界岳 (大桑村野尻) |
標高1810m。阿寺川源流の岐阜県境にあり木曽では奥地にあるためほとんど知られていない。しかし日本山岳会が選定した「日本300名山」に選ばれている。 | |
144 | スポーツ公園の八重桜 (大桑村殿) |
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141 | 紅白咲き分け梅の古木 (大桑村須原) |
戦国時代木曽家側近として武田氏との戦い等で活躍した武将西尾丹波を先祖とし旧脇本陣・問屋・庄屋の西尾家の中庭に咲く樹齢280年の梅の古木は紅白咲き分け改良種の先駆けで全国的にも最古。 | |
217 | 西尾家 | 江戸時代宿場の成立後から問屋・庄屋・脇本陣の重責を担う。木曽谷で唯一の戦国大名木曽家の家臣として武田氏との合戦に「西尾丹波」として登場。 | |
218 | 住吉屋 | 明治の旅館建築として木曽の粋を集めた木曽を代表する建物。有栖川の宮様が晩年お泊りになられた貴重な部屋がある。 | |
296 | 須原ばねそ (大桑村須原) |
須原宿に600年前から伝わる盆踊り唄。「ばねそ」とは[はね踊る衆]という意味でよいこれ・竹の切り株・甚句の3種がありいずれも楽器を用いない地唄でこれを称して「須原ばねそ」と呼んでいる。 | |
180 | 定勝寺の古位牌 (大桑村須原) |
須原宿の南端にあり木曽家の菩提寺である定勝寺は木曽三大寺の最古刹。鴬張りの本堂、庫裏、桧皮葺の山門は桃山時代の様式を今に伝える。だるま大座像がある。 木曽義仲と義昌の古位牌がありそれぞれ全国的に最も古いものと考えられている。義昌(1540~1595)は木曽谷を支配した戦国大名で福島の大通寺に屋敷を構えていたが豊臣秀吉によって千葉の網戸へ移封されてしまう。 |
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142 | 定勝寺枝垂れ桜 (大桑村須原) |
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145 | 春の須原発電所花並木 (大桑村殿) |
大桑村は三色桃発祥の地。須原発電所建設当時福沢桃介が商談で訪れたドイツから持ち帰り須原発電所に植栽した。 |
参考文献 |
木曾とっておきコレクション |