上松宿は中山道69次のうち38番目にあたる宿場であった。江戸時代末期に天皇家から将軍家に嫁いだ皇女和宮が東海道ではなく中山道を選んだ理由の一つに福島・馬籠(孫の目)などと並び上松も「縁起の良い地名の一つ」として挙がったとの説がある。 上松町は1889年に上松村、小川村、荻原村が合併して駒ヶ根村を形成。1922年に上松町に改称して誕生した。この頃は国鉄中央線や木曾森林鉄道小川線が開通し木材集結の拠点として盛況を誇っていた。しかし1950年5月に600棟以上をなめ尽くす大火が発生し中山道当時の街並みはほとんど焼失したと記録されている。 |
69 | 木曽の桟付近ポットホール | 木曽の桟付近の木曽川敷には岸壁に深く刻まれた数多くのポットホールがある。 | |
103 | 木曽の桟 | 中山道木曽路随一の難所。中山道の全線では碓氷峠と太田の渡しと木曽の桟が中山道の三大難所であった。桟とは崖からせり出した舞台のような形状の道路のこと。かつては松明による焼失や落石などで旅人の命を奪ったと伝えられている。1600年代の半ば尾張藩によって改修された。この地を旅した松尾芭蕉により改修以前の危険な様子が「かけはしや命をからむつたかづら」と詠まれている。現在では江戸時代、明治時代の石積みが国道下に保存され対岸から見ることができる。 | |
104 | 日本初 木曽の桟 | 間伐対策として造られた木材集成材の橋。王滝森林鉄道の廃線跡が木曽川右岸道路として整備されそこに架けられている。カラマツの集成材で作られた日本で最初の「自動車が通る木道車道橋」である。 | |
48 | 愛宕山 | 木曽氏の城山があったと考えられている。また上松町の鬼門の方向にあたるこの山に鬼門よけの神として神社が祀られている。 | |
108 | 小田野鉄橋 | 森林鉄道小川線の鉄橋。大正4年頃完成。大阪の横河橋梁製作所が建設した。当初鬼淵鉄橋と同一の八幡製作所の鉄と思われたが研究の結果「イギリス製の鉄」と判明した。 平成21年に国の産業遺産に認定された。 | |
29 | 木曽駒ケ岳と導水管 | 木曽ダムから大桑発電所まで山を貫通している導水管 | |
94 | 小野の滝 | 木曽八景「小野の瀑布」と言われ中山道の名所である。広重・英泉合作の木曽街道六十九次の浮世絵の絵にも描かれている。 高さ15m |
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95 | 隠れ滝 | 木曽川右岸の岩肌に隠れるように存在している。葛飾北斎の代表作 諸国瀧廻り」の中に「木曽街道小野の瀑布」と「木曽路の奥阿弥陀ヶ瀧」の二図がある。荻原東野に阿弥陀堂があることからこの滝を描いたものかもしれない。 |
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140 | 下河原の桜 | 国道19号沿いに植えられた桜並木 | |
49 | 右岸道路 | 木曽川を挟んで国道19号の対岸に右岸道路が開通した。 | |
179 | 立町延命殿 | 小仏が百余体安置されている。 | |
265 | 桃山発電所 | 上松町倉本にあるこの発電所は福沢桃介の名前をとって「桃山発電所」と命名された。桃山発電所の下流約200mの地に福沢桃介が木曽の観光名所として作った「桃の滝」がある。 | |
96 | 桃の滝 | 桃山発電所の余水ばきで余水の放流時にのみ現れる。 | |
121 | とちの木 (上松町東奥) |
樹齢500年以上とも言われている上松町内で最大の栃の木。町の天然記念物に指定されている。この集落の地名は大木(おおき)と言われこの栃の大木からその名がついたといわれている。 | |
247 | 天狗舞う太々神楽 | 「 駒ケ岳神社の例祭」で奉納される国選択無形民俗文化財「太々神楽」。 三剣の舞・四神五返拝など13座の舞台で構成される奉納の舞。およそ400年前から一子相伝で伝う門外不出の神前の舞。 |
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45 | 風越のシンボル | 風越山は標高1698m 風越山は木曽八景の一つに「風越の青嵐」として数えられかつては牛馬の放牧地であった。青々と広がる草原を夏の風が吹き渡る風景が風物詩であったが酪農家が減った現在ではその名残は山頂付近のカヤの原のみに見られる。 裾野には中山道が開かれる前から木曽谷を通っていた「木曽古道」がある。 |
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46 | ケルンバット (上松町吉野~大桑村須原) |
中央西線約100m程上。 円形の小山が連続している。大正時代日本の地質研究の先覚者「辻村太郎」が発見報告した。約二千年程前の断層により創られた。軟らかい部分は流失し硬い部分は小山となった。 | |
47 | ケルンコル (上松町吉野~大桑村須原) |
ケルンバット東側の低地をケルンコルという。 | |
178 | 阿弥陀堂 | 上松町東野の木曽古道の遺構に沿った場所にある。格天井には福島の山村代官お抱えの絵師池井裕川の描いた花鳥の絵がある。 | |
22 | 滑川砂防ダムからの御嶽山 (上松町東里) |
中央アルプス木曽駒ケ岳の二合目にある滑川砂防ダム。荒れ川で知られる滑川で平成元年発生した土石流をせき止め災害を防いだ。 | |
76 | 蛇姫様の池・古池 (上松町東里) |
中央アルプス木曽駒ケ岳の2合目付近に位置し、昔より蛇の嫁入り伝説が残っている。 | |
77 | 滑川砂防第1堰堤 | 完成から6か月平成元年7月前岳崩壊で2時間20万㎥という史上空前の大土石流が発生したがダムによりJR線・国道19号の破壊や木曽川堰止め・寝覚の床水没も防がれた。 | |
26 | 絶景「駒ケ岳の夕照」 (上松町西中) |
木曽八景のひとつ。絶景ポイントは上松町西小川高倉。 標高2956m。日本100名山のひとつ。御嶽山・乗鞍岳・木曽駒ケ岳は木曽三名峰を形成する。東部にあるにもかかわらず夕刻の姿を愛でられるのは積雪が進んだ白い姿に夕陽の紅色が美しく映えるためである。 上松町には木曽駒ケ岳への三つの登山コースがあり上松Aコースは英国人ウォルター・ウェストンが登頂したことで知られている。 |
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295 | 高倉の灯 | 明治の中頃まで夜になると山中に一点の灯火があった。しかし実態は知れずあるとき知恵のある村人が特定し、行ってみるとそこには方形の塚があった。その塚が盗掘にあって以来その灯火は見られなくなったといわれている。 | |
30 | 台(だな)からの 中央アルプス遠望 (上松町台(だな)) |
上松町台(だな)地区は標高1000m以上の高地であり非常に景色のいいところ。 | |
71 | 五枚修羅 (上松町小川入国有林) |
川を利用し材木を運んでいたころ修羅と呼ばれる施設が5つ設けられていたことからこの名がつく。 | |
72 | 小川入の姫宮神社 (上松町小川入国有林) |
昔々追手から逃れてきた姫宮様が自らの最期を知り身を投げた伝説の舞台。 | |
129 | 赤沢自然休養林 (上松町西小川) |
日本三大美林の一つ。森林浴発祥の地。森林セラピー基地 昔の木材運搬用に使われていた森林鉄道がそのまま運行され休養林の中を走る。 |
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138 | オオヤマレンゲ (上松町西小川) |
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293 | 御神木祭 | 20年に一度行われる伊勢神宮の「式年遷宮」。 古くより神宮備林として管理された木曾山で選び抜かれた御神木を伐倒する、「御杣始祭」では斧を使い「三つ紐伐り」といわれる技法で伐採される。 | |
294 | 森林鉄道 | 大正時代より木曽の木材運搬の大動脈として活躍した森林鉄道。今は赤沢自然休養林内で運行されている。 | |
105 | 鬼淵橋 (上松町旭町) |
昭和天皇が「二重橋とともに皇室所有の橋では名橋」とお話しされたと聞く御料林搬出の鉄橋。 夏目漱石の教え子の三根奇能夫が設計。八幡製鉄所の鉄による横河橋梁製作所の発建設。 | |
106 | 旭町橋梁 (上松町旭町) |
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70 | 蛙岩(かわずいわ) (上松町正島) |
蛙の形をした巨石。大蛇が龍に出世するため御嶽山で千年修業し海で千年修業しようと木曽川を下ると蛙岩が通さず仕方なく龍神にお願いして大雨を降らし蛙岩の目に触れないよう潜って海に出たという伝説が残る。 | |
246 | 若宮神社の獅子狂言 (上松町島) |
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175 | 北野薬師堂 | その昔この付近にはお湯が湧いており湯治場があったと言われるl | |
107 | 小川橋 (上松町正島) |
上松町島地区と正島地区を結ぶ。平成25年に伊勢神宮の遷宮行事が行われたがその御神木は平成17年に伐採され御神木が初めて木曽川を渡った。 その最初の橋がこの小川橋。 | |
165 | 八幡様 (上松町瀬木) |
本殿は江戸中期の代表的な社殿建築で上松町では一番古い神社。三河より伝えられたという獅子狂言が残されており「上若連」により毎年「芸ざらい」といわれる芝居が奉納される。 | |
245 | 神秘の神楽納め (上松町上町) |
9月上旬の上松町は獅子狂言による芸ざらい、各戸の悪魔払、神楽お練りが行われ祭りの最終に町を賑わした神楽や獅子を納める儀式がある。深夜1時過ぎかぼちゃ粥で力をつけた若衆約60名が諏訪神社と八幡宮の間で繰り広げる。 | |
213 | 上松町上町 宿場跡 | 上松町は明治から昭和25年までに度重なる大火に見舞われ全町が焼失したが上松宿の福島よりの上町が奇跡的に焼失を免れた。 | |
寝覚 宿場跡 | かつて旅籠があった箇所。大名が泊まり高札を掲げたという「立場跡」とも呼ばれ臨川寺に至る山門の基礎石が残っている。 | ||
176 | 玉林院 (上松町上町) |
安土桃山時代創建と伝えられるお寺。 | |
139 | 天神様の桜 (上松町上町) |
上松町の天然記念物 | |
238 | モルタル造りの家々 (上松町仲町) |
昭和25年の大火の経験から細かい河原砂(こうずな)とコンクリートを混ぜたモルタルを家々の壁に施すモルタル造りが広がる。 指導したのは旧木曽福島町出身の建築家加藤岩男氏。福島小、日義公民館、木曽福島駅舎など多数に携わる。 | |
291 | 木馬引き(きんまひき) | ||
166 | 諏訪神社 (上松町宮前) |
創建は永禄2年(1559年)と言われる。現在の場所は江戸時代材木奉行所があった所とされ境内には五社神社も祀られている。 | |
167 | 五社神社(絵馬) (上松町宮前) |
五社様とも呼ばれる。天明年間(1781~1788)に木材奉行の日比野源八が中山道沿いの材木役所内に建立したものを明治4年に諏訪神社境内に移転。 | |
75 | 原畑用水 (上松町見帰) |
寛永年間上松村の名主塚本惣べえは大戸市之丞と共に新田開発に向けて滑川から疎水を計画した。水路延長3㎞の大工事は困難を極めたが用水は各地区の飲料水、防火用水として利用され現在も使われている。 | |
214 | たせや (上松町寝覚) |
江戸時代の立場茶屋 | |
239 | 丸型ポスト | ||
120 | 上松の長老 (上松町寝覚) |
中山道に立つ樹齢300年を超えるといわれる桂の木 | |
27 | 牙岩にのぼる月 (上松町寝覚) |
寝覚地区から2月初旬の満月の時だけ中央アルプスの牙岩の真上から昇ってくる月を見ることができる。 | |
28 | 寝覚から見た木曽駒ケ岳 (上松町寝覚) |
札幌農学校でクラーク先生に習った地理・地質学者の志賀重昂は明治28年「日本風景論」を著したがその初版の表紙として紹介された | |
177 | 臨川寺 (上松町寝覚) |
境内より寝覚ノ床を一望できる。寺の境内には文人の句碑や浦島太郎伝説などが残る。 | |
267 | 木曽路美術館 | ||
266 | 寝覚ノ床美術公園 | ||
73 | 寝覚の床 | 木曽川の激流が花崗岩を削り長い年月をかけて現れたもの。浦島伝説が残り奇岩の上に浦島堂がある。 | |
292 | 浦島太郎伝説 | 龍宮から帰った太郎は知る人がいなくなった故郷をあとに諸国を放浪するうち美しさに見とれこの木曽の地に住み暮らしたという。 浦島太郎がここでお土産の玉手箱を開いたことから「寝覚の床」と呼ばれる。 | |
74 | 裏寝覚 |
参考文献 |
木曾とっておきコレクション |
中山道おしながき①上松宿 |
木曽路をめぐる旅 木曽観光連盟 |