100 | 菅橋 (旧) | 昭和8年に完成、昭和40年の新菅橋完成までの車道。 | |
206 | 菅古道 | 中山道以前に松本平と木曽谷を結んでいたとされる古道。木曽馬を木曽福島の馬市に運ぶ際も利用された。 | |
154 | 衣更著神社 | 本殿は一間社流造・軒唐破風付・柿葺で建築年は19世紀前期と推定される。 | |
132 | 菅のエドヒガンザクラ | ||
133 | あやめ公園池 | 昭和48年に完成した人工湖 | |
1 | やぶはら高原スキー場 | スキー場山頂、立ヶ峰 (1689m) | |
277 | 超ロング雲梯 (スカイウォーカー) |
雲梯は校庭や公園で見かける遊具。こだまの森にあるものは100m | |
276 | 巨大迷路 ランスボローメイズ木曽 |
||
37 | 反射板からの眺望 | 藪原駅の東側、藪沢から神谷峠方面の山腹に味噌川ダムの通信用の反射板がある。そこから藪原、小木曽、鉢盛山、御嶽山を望む景色が良好 | |
62 | 水の始発駅 | ||
187 | 大日様石造物群 | 藪原の木曽川を渡った中山に庚申塔・大日如来・千手観音等の石碑が40基ほど建立されている。 木曾最古の貞享三年の文字碑二十三夜塔もある。 | |
278 | 布袋様 | 平成十年シナノキの大木を田中喜一氏から寄贈を受け五月日晴雄氏が一刀彫により布袋様を彫上げた。高さ2m幅0,9m | |
171 | 極楽寺 | 藪原地区の東側中高地に位置する。薬師如来座像を本尊とし天正年間に開山し1691年現在の堂宇が建立された。観音堂の天井絵には藤田嗣治・近藤浩が若き画学生の頃に描いた作品8点を見ることができる。 | |
153 | 藪原神社 | 永正8年(1511)に現在地へ遷座された。本殿は2代目和四郎富昌による秀作である。 | |
134 | もみじの里(オオモミジ) | 鳥居峠天降社境内の一画にある。 | |
241 | 藪原祭り | 木曽の三大祭りの一つ。雌雄2台の屋台、神輿が練る現在の形態となったのは270年位前と言われる。 | |
205 | 藪原宿 | 藪原宿は飛騨街道・奈川道の分岐点ともなっており追分の宿場として繁栄した。お六櫛の産地として江戸中期後半から明治時代に大量の木櫛が生産され江戸を中心に全国に売りさばかれていた。 | |
152 | 諏訪神社 | 貞享2年(1685年)に建立された木祖村最古の神社建造物。小木曽地区の産土神として崇められている。本殿は三間社流造り、屋根は柿葺である。朱塗りの大鳥居には山岡鉄舟の筆になる「諏訪神社」という額が掲げられている。 | |
170 | 田ノ上観音堂と枝垂れ桜 | 茅葺で総欅造りの安政5年の棟札が残る古堂。境内には樹高17m、幹周囲4,2mの枝垂れ桜があり江戸天保年間の書物には既に桜の大木ありと記されている。 | |
61 | 床並の滝・平垂(ひらだる) | 木曽川の源流域の支流の一つ床並沢にある滝。 落差20mで階段状に流れ落ちる。 | |
188 | 牛頭観音 | 狐塚と呼ぶところに3基の石造物がありそのうちの一つが牛頭観音。境峠をひかえ上り下りの険しい峠道では蹄の割れた牛でなければ通行が困難であったことがうかがえる。弘化4年(1847年)7月と記されている。 | |
128 | 水木沢天然林 | ||
60 | 味噌川ダム(奥木曽湖) | 平成8年に完成したロックフィルダム。総貯水量6100㎥で諏訪湖の水量に匹敵する。現在日本で最も高いところ(標高1130m) にある。 | |
252 | キャンバス生産 | ||
279 | お六櫛 | 「旅人につげの小櫛は峯張りの木曽路はここと指して教えん」と太田南畝(蜀山人)が歌った小櫛は木曽のお六櫛のことで藪原がその主産地であった。 「その昔妻籠にお六という娘がいて、頭の病に悩まされていた。それで御嶽山に願をかけたところ、みねばりという木で櫛を作って髪を梳くとよい。というお告げがあったのでその通りにしてみるとまたたく間に病は癒えた」という伝説が残っている。 |
|
イ | 藪原駅 | 明治43年(1910年)に中央本線の全通に合わせて開業した。標高は924m | |
ロ | 一里塚跡 | 江戸よりおよそ66里京へ70里の位置にある。 | |
ハ | 高札場跡 | 江戸幕府が情報伝達方法として設けられた今でいう掲示板。定三札(人倫・徒党・切支丹)と駄賃札が主だったと言われる。 | |
ニ | 防火高塀跡 | 元禄8年の大火の後防火対策として各戸1間につき1寸を提供し合って広小路を作った。その後土を盛り石垣を築きその上に高い土塀を作って防火壁とした。 | |
ホ | 本陣跡 | ||
ヘ | 飛騨街道追分 | ||
ト | 御鷹匠役所跡 | ||
チ | 御嶽神社 | 御嶽神社は地元の御嶽信者が崇拝してきたもので昔から江戸方面からくる信者がこの鳥居峠で初めて御嶽を遥拝することができたところである。御嶽信者は「御嶽四門」といって御嶽を中心にして東西南北の四方からそれぞれの道を辿って御嶽を遥拝した。 北は鳥居峠、南は王滝の三浦山、西は開田高原の長峰峠、東は福島旧岩郷村の神戸にそれぞれ遥拝所があった。 |
|
リ | 鳥居峠 | 1197m 鳥居峠は古くは奈良井峠、藪原峠と呼んでいたが木曽義元が松本の小笠原氏と戦った時に御嶽に戦勝を祈願して勝利をおさめたのでその記念に鳥居を建てたことから鳥居峠と呼ぶようになったという。 |
|
ヌ | 丸山公園 | 「木曽の栃うき世の人の土産かな」と詠んだ芭蕉の句碑や戦国時代に木曽氏と武田氏が戦った古戦場跡の記念碑などがある。 | |
ル | 木曽義仲の硯水 | 英泉の描いた木曽街道藪原宿の絵には義仲の硯清水が描かれている。 | |
ヲ | 明治天皇駐蹕所碑 |
参考文献 |
木曾とっておきコレクション |
中山道藪原宿案内図 |