南木曽町周辺
木曽路の寄り道①湯舟沢
木曽路の寄り道②田立の滝
240 | 与川農山村風景 (南木曽町読書) |
与川地区を通る歴史の道は「与川道」(中山道の迂回路)と呼ばれる。 | |
125 | 白山神社の大杉 (南木曽町読書) |
大杉は2本。1本は目通り周囲8,2m。もう1本は6,7mで南木曽町の天然記念物。白山神社に伝わる獅子踊りの獅子頭は総桧2尺余りの巨頭。190年程前に加賀白山の人が伝えたと言われ10月18日神社祭礼で悪魔払いの舞が奉納される。 | |
297 | 古典庵 (南木曽町読書) |
木曽氏の一族が住んだという古典庵のあった坂本平から眺める中秋の名月は木曽随一といわれ木曽八景のひとつとなっている。 | |
34 | 広域農道見晴らし台展望 (南木曽町読書) |
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130 | 蘭(あららぎ)美林 (南木曽町吾妻) |
蘭美林は南木曾岳の麓に広がる自然探勝園 | |
82 | 額付川(ひたいづけがわ) (南木曽町吾妻) |
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299 | 木地師の里 (南木曽町吾妻) |
蘭地区には1500年続く伝統ろくろの作品を展示販売する店舗が並ぶ。木地師は江戸時代近江国の小椋谷から全国各地(北海道・沖縄以外)の山々へ良材を求めて移った。近江木地師子孫の木地師が伝統技法を続けているのは漆畑が唯一。 | |
55 | 大平街道と木曽見茶屋 (南木曽町吾妻) |
大平街道は中山道と飯田を結ぶ道筋で昭和11年には歌人斉藤茂吉がアララギ歌会に出席するため三留野からこの峠を越えて飯田へ向かった。この時の「大平峠」と題した歌の一首を刻んだ歌碑が木曽見茶屋付近に建立されている。 | |
127 | 大平街道のさわら (南木曽町吾妻) |
木曽路街道と伊那街道を結んだ大平街道は江戸・明治と重要な街道であった。諏訪・伊那・高遠の侍も天狗党も通った道である。 | |
169 | 峠熊野神社灯明 (中津川市馬籠峠) |
峠集落のはずれに位置する熊野神社では地域住民が毎日順送りで境内の灯篭にローソクを灯し100年もの間お参りを続けている。 | |
199 | 牛頭観音 (中津川市馬籠) |
峠集落は江戸時代の牛方の集落。牛方の親方今井が中津川の問屋と運賃のごまかしで争いストライキを起し木曽の牛方が同一歩調で勝利したことは有名。牛頭観音は牛を多く飼って使役しその祀りの痕跡。 | |
224 | 峠集落 (中津川市馬籠) |
1762年に大火に見舞われ集落の大半を焼失したがその後火災がないことからこの集落の家は江戸中期以降の姿を今にとどめている。 | |
56 | 峠のもみじ山 (中津川市馬籠峠) |
峠集落に在住する阿部兼男(故人)さんが昭和50年頃から20年の歳月をかけて一人で育てた山。ほぼ山全体がもみじで覆われている。 | |
57 | 馬籠展望台 (中津川市馬籠) |
住民が自らの土地を整備した展望台。恵那山はもとより美濃平野から遠くは伊吹山まで見渡せる。 | |
200 | 五輪塔 (中津川市馬籠) |
木曽義仲の妹、菊姫が建立した尼寺、法明寺の跡地と推定される場所に建造される。 | |
59 | 恵那山を望む田園風景 (中津川市馬籠青野原) |
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225 | 宿場の守り番 (中津川市馬籠) |
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300 | 馬籠のホタル (中津川市馬籠) |
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226 | 馬籠丸山城址 (中津川市馬籠) |
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58 | 燃える夕焼け (中津川市馬籠荒町) |
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124 | 八剣神社の杉 (南木曽町読書) |
八剣神社境内の杉の巨木。 昭和30年頃までは四本杉といわれ四本の木が合体したものと思われる。現在二本残っていて、高さ約38m目通り周囲11m樹齢550年位である。 | |
112 | 柿其水路橋 (南木曽町読書) |
読書発電所への導水路のうち柿其川を渡る鉄筋コンクリート造りの水路橋。全長は142,4m中央部は2連アーチ橋。両端部は桁橋となっている。大正12年の建造で、現存する戦前の水路橋の中では最大級の規模。 | |
250 | 大鍬大明神の祭礼 (南木曽町読書) |
南木曽町の無形民俗文化財 | |
35 | 駒ケ岳連峰の展望 (南木曽町読書) |
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97 | タルガ沢滝群 | ||
80 | 柿其渓谷 (南木曽町読書) |
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298 | 与川の伝説 (南木曽町読書) |
天保15年(1844)に尾張藩の伐採事業所が蛇ぬけ(水害)にあい大勢の命が失われた史実に基づくもの 。山の神のお告げに従わず木を伐採し蛇ぬけにあってしまったお話。現在も与川渡しには供養するお地蔵さまが存在する。 | |
113 | 桃介橋 (南木曽町読書) |
「桃介橋」は別名「桃の橋」と呼ばれ大正11年9月に完成。 木曽川の水力発電の開発に力を注いだ大同電力(福沢桃介社長)が読書発電所(大正12年完成)建設の資材運搬路として架けたもの。全長247mの吊り橋は、木組みが美しい日本最大級の木橋。国の重要文化財(近代化遺産) | |
146 | ミツバツツジ公園 (南木曽町読書・吾妻) |
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147 | 天白公園なぎそミツバツツジ (南木曽町読書) |
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81 | 木曽川の巨石たち | ||
270 | 福沢桃助記念館 (南木曽町読書) |
電力王と呼ばれた福沢桃介が大正8年に別荘として建てたもの | |
221 | 園原家住宅 (南木曽町読書) |
三留野東山神社の神官を勤めた家で木曽の学者園原旧富は五世である。現在の家屋は18世紀初期と言われ木曽の社家住宅では最古といわれている。 | |
272 | SL公園 (南木曽町読書) |
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184 | 兜観音 (南木曽町吾妻) |
朝日将軍・木曽義仲が京都に出発する前に木曽谷の南のおさえとして吾妻に砦を築いた際に兜についていた観音様を祀り戦勝を祈願したとの言い伝えがある。 | |
54 | 原野新田から見る夕日 (南木曽町吾妻) |
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271 | 読書発電所 (南木曽町読書) |
大正12年大同電力株式会社によって当時最大出力4万7百キロワットの水路式発電所として建設された。 本館は煉瓦壁・半円形の窓や明かり窓などの近代西洋様式意匠が特徴。 | |
222 | 妻籠城跡 (南木曽町吾妻) |
室町時代に藤原氏の領地となる。藤原氏は木曽義仲の子孫と称し木曽南部を治める拠点となる。木曽義昌の時武田信玄に屈し直轄地となる。木曽義昌が寝返り妻籠城を手に入れたのがきっかけになり武田信玄は織田信長に敗れたといわれている。 | |
223 | 妻籠宿 | 中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目の宿場 | |
脇本陣奥谷 | 明治10年当時の粋を集めて建てられた総檜造りの建物。国指定重要文化財。 | ||
251 | 城山の火祭り (南木曽町吾妻) |
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98 | 田立の滝 (南木曽町田立) |
うるう滝、らせん滝、洗心滝、霧ヶ滝、天河滝、不動滝、そうめん滝など大滝川の渓谷にかかる無数の瀑布を総称して「田立の滝」と呼んでいる。 | |
198 | 足がた様 (南木曽町田立) |
昔足の病で苦しむ年寄りが夢の中のお告げに従い谷の中の石を祀ったところ病が治ったという言い伝えが残されている。大正2年に「足形大明神」と名づけられ毎年例祭が行われている。 | |
185 | 禅東院 (南木曽町田立) |
曹洞宗の小寺。瀬戸内寂聴の著書や随筆によって[木曾の文学寺]と紹介される。第9代住職藤田得翁と岡本一平・かの子の奇縁により多数の文士芸術家が来山。武者小路実篤の鐘銘、一平、亀井勝一郎、坂上宗詮らの句碑・詩碑などが豊富。 | |
273 | 田立和紙の家 (南木曽町田立) |
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53 | 細野山から望む南木曾岳 (南木曽町吾妻) |
南木曾岳は別名金時山とも呼ばれる。古くは山岳修験の山。標高は1677m | |
114 | 対鶴橋 (中津川市山口) |
大正8年関西電力賤母発電所完成に向けて資材運搬用に架けられた橋である。工事完成後には一般に開放され坂下と19号を結ぶ橋として使われるようになる。 | |
150 | シダレエノキ (中津川市山口) |
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126 | 中山道下り谷のさわら (南木曽町吾妻) |
下枝が直角に曲がり立ち上がる特異な枝ぶり。こうした針葉樹を神居木(かもいぎ)という。 昔から山の神(または天狗)が腰をかけて休む場所と信じられ傷つけたりすると祟るとされ杣人は下を通ることも嫌ったという。 | |
148 | 一石栃立場茶屋枝垂れ桜 (南木曽町吾妻) |
妻籠宿の白木改番所は一石栃に置かれ明治2年まで木曽五木をはじめとする伐採禁止木の出荷統制を行ってきた。 | |
149 | 南木曽町の一本桜 | 推定樹齢が100年を優に超える枝垂れ桜が14本ある。 | |
イ | 倉科祖霊社 | ||
ロ | 子安観音 | ||
ハ | 男滝 | ||
ニ | 女滝 | ||
ホ | 上久保の一里塚 | 両側に一里塚が残っている。 | |
ヘ | 石柱道標 | 妻籠は中山道と飯田街道の分岐点として栄えたところ。石柱道標は明治14年(1881年)に飯田・近江・地元の商人によって建てられた。 | |
ト | 藤原家住宅 | 17世紀半ばの古い住宅で長野県宝に指定されている。 | |
参考文献 |
木曾とっておきコレクション |